[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 古代の都 [2018.10.20] ■■■
[19] 遠飛鳥宮

19代 男淺津間若子宿禰命允恭天皇の宮は遠飛鳥宮。
御陵は河内之惠賀長枝。454年[甲午]に78歳で崩御。

宮は在明日香ということだろうが、場所はなんとも言い難し。この天皇が後の飛鳥時代の明日香繁栄を切り拓いた訳ではない。そこらが、"遠"という意味に籠められているのかも。川原寺や橘寺からすれば、かなりの北方にあたることもあるし。そんなことを考えると、飛鳥川の雷丘辺りと見るのが自然。
《飛鳥川一帯》
 加夜奈留美命神社/葛神社@明日香 栢森
 飛鳥坐神社@n.a.⇒[奉遷]明日香 飛鳥 神奈備 鳥形山
 飛鳥神社@明日香 真神ヶ原⇒[奉遷(元興寺)]平城京左京四条
 天の香具山@明日香 栢森・・・伽耶式土器出土
 小墾田寺
 ∴雷丘←◆19
 豊浦寺
 甘樫丘
 飛鳥寺
 飛鳥宮
 川原寺
 橘寺 ミハ山@祝戸
 嶋宮
 石舞台

御陵は《古市古墳群》。

  《古市古墳群》
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←津堂城山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←喜志駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =河内多治比高◇21
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←島泉丸山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←市ノ山古墳
─○──○────○──┤   =河内之惠賀長枝陵◇19
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←仲津山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←古室山古墳 道明寺駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←岡ミサンザイ古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =河内惠賀之長江陵◇14
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←誉田御廟山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼   =恵賀之裳伏岡◇15
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←墓山古墳
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○─ ←古市駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ←軽里大塚古墳=白鳥陵◇
↑高鷲駅
┼┼┼┼↑藤井寺駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼↑土師ノ里駅
【鉄道駅名】[→]

系譜は以下の通り。
天皇┬忍坂之大中津比売命(意富本杼王の妹)
┼┼├─木梨之軽王
┼┼├─長田大郎女
┼┼├─境之黒日子王
┼┼├─穴穂命⇒皇位継承
┼┼├─軽大郎女/衣通郎女
┼┼├─八瓜之白日子王
┼┼├─大長谷命⇒次の皇位継承
┼┼├─橘大郎女
┼┼└─酒見郎女
【事績】
新羅国主が船81艘に御調を積載して献上。
 御調の大使 金波鎮漢紀武が漢方治療し疾病回復。
氏姓錯誤対策に探湯瓮採用@味白檮/甘樫の言八十禍津日前
(氏姓名称制度厳格化は重大だったとみえ、天皇名に、天皇らしからぬ"宿禰"という用語が入っている。)

執筆に力が入っているのは、上記ではなく、木梨之軽王と美しい軽大郎女/衣通郎女の禁忌である同母恋愛関係譚。この辺りの血族概念や歌垣以来の自由恋愛についての厳格化というか、儒教的官僚統制の絶対王朝への移行期らしい動きと見ることもできよう。
つまり、宗族第一主義におけるルール整理が行われていた訳だが、それについて注意を喚起しているとも言えよう。(辱めを与えた一族に対しては、子孫代々その恨みを伝え、いつか絶滅させねばという大陸儒教的発想ではでてこない動きであると。)
血族的家系が途絶えそうなら、その名前を残してあげようという「御名代」制度は日本的発想と強調している点がユニークである。儒教信仰とは相いれない。
 木梨之軽太子⇒刑部
 皇后 意富本杼王の妹⇒河部


   表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com