[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.10.22] ■■■ [21] 長谷朝倉宮 21代 大長谷若健命雄略天皇の宮は長谷朝倉宮。 御陵は河内多治比高鸇。489年[己巳]に124歳で崩御。 先代天皇の命を取られたからには、それ相応の姿勢をとるべしというのが、皇位継承を狙う王子の姿勢。そのような態度を見せぬ兄二人を惨殺。 白日子王 黒日子王 と言うか、木梨之軽王を追い落として皇位継承し、大日下王も殺すことで万全な体制にし穴穂御子も、この二人にして殺られたということだろう。お世継ぎが居ないうちに。 当然ながら、今上天皇を害し都夫良臣の邸宅に逃亡した目弱王にも軍勢を向けこの勢力を絶滅させる。 この結果、以下の系譜から大長谷命以外の男系がいなくなったことになる。 十六代天皇┬髪長比売 ┼┼┼┼┼├─大日下王┬長田大郎女 ┼┼┼┼┼│┼┼┼┼┼└─目弱王 ┼┼┼┼┼└─若日下王…娶の詔([次代天皇]大長谷王子) 十九代天皇┬忍坂之大中津比売命(意富本杼王の妹) ┼┼┼┼┼├─木梨之軽王 ┼┼┼┼┼├─長田大郎女 ┼┼┼┼┼├─境之黒日子王 ┼┼┼┼┼├─穴穂命(20代天皇) ┼┼┼┼┼├─軽大郎女/衣通郎女 ┼┼┼┼┼├─八瓜之白日子王 ┼┼┼┼┼├─大長谷命(21代天皇)承 ┼┼┼┼┼├─橘大郎女 ┼┼┼┼┼└─酒見郎女 二十代天皇┬長田大郎女(大日下王の嫡妻)…皇后 ┼┼┼┼┼《無》 さらに、市辺之忍歯王も淡海 久多綿の蚊屋野での狩に連れていき射殺し遺骸も残忍に扱った。 十七代天皇┬黒比売命 ┼┼┼┼┼└─市辺之忍歯王┬n.a. ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─意祁王 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─袁祁王 2人の王子は逃亡。山代国 苅羽井⇒樟葉で渡河(淀川)⇒針間(播磨)国 志自牟へ。身分を隠して馬飼、牛飼に。 ライバルすべてを亡き者にして皇位継承にこぎつけた訳である。 天皇┬若日下部王(大日下王の妹) ┼┼《無》 天皇┬韓比売(都夫良意富美の娘) ┼┼├─白髪命⇒皇位継承[22] ┼┼└─若帯比売命 天皇-婚約未履行-引田部の赤猪子@美和河 天皇┬吉野川の浜に居た乙女@吉野宮行幸時 ┼┼《無》 残忍な殺戮が多いが、その類の記述は淡々としたもの。朝鮮半島支配権を巡って中華帝国(宋)と緊張関係にあったに違いなく、国内での覇権争いの芽はすべて摘むためには、気のむくまま殺戮するような姿勢を保つしかなかったのであろう。皇位継承の熾烈な争いは常にあり、本質的になにも違いはないということでもある。 「古事記」のこの天皇期の記載内容としては、叙事詩的な話の方が多いし、地名譚の歌や、歌曲もあり(志都歌、天語歌、宇岐歌)その中身も濃い。 「万葉集」の冒頭には御製歌が収載されており、ここらの文化を確立させた天皇でもあった訳だ。 ▼泊瀬の朝倉の宮に天の下しろしめしし天皇の代 天皇のみよみませる御製歌[巻一#1] 籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この丘に 菜摘ます子 家告らせ 名のらさね そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾 れこそ座せ 吾をこそ 夫とは告らめ 家をも名をも 宮地の長谷は、初瀬川沿いということ。「万葉集」に度々登場する挽歌的な内容の歌での"隠口の泊瀬"地域だろう。宮から見れば3方山であり、そんな地をわざわざ選んだのは軍事防衛上有利と踏んだからなのだろうか。 あるいは、三輪山の西方尾根筋の嶺の初瀬山になんらかの信仰があったからか。 ┼┼┼│┼┼┼↓初瀬川 ┼┼┼│┼┼┼││三輪駅┼┼↓長谷朝倉宮◆21☚ ┼┼┼└┐┼┼│○┼>┼┼▲ ←三輪山 ┼┼┼┼└┐┼││┼>┼┼┼┼┼┼┼┼↓白川 ┼┼香┼┼│┼└│┐┼ΛΛΛΛΛΛΛ∴│ ←長谷列木宮◆25 ┼┼久大┼│┼桜││┼┼┼┼∴┼┼┼┼│ ┼┼山福┼└┐井│└┐∴┌─────── ←師木島大宮◆29 ─┐駅駅┼∴│駅│┼└─│─────┬┴ ←他田宮◆30 ───○───○─────○───────○─ ──○────○┘┼┼┌┘大和朝倉駅│┼┼長谷寺駅 ┼│┼┼┼┼└─┐┼┌┘┼┼┼┼┼┼│ ──────────┘ ←R165 ┼└┐┼┼┼卍┼│ ←阿部文殊院 ┼┼└┐┼⛩┼┼│ ←春日神社=池邊宮◆31 ┼┼┼└┐┼┼┼│ ┼┼┼┼└┐┼┼│ ┼┼┼┼∴│┼┼│ ←伊波禮若櫻宮◆17 伊波禮玉穂宮◆26 ┼┼┼┼┼↑米川 ↑寺川 ┼⛩┼┼┼│┼┼│ ←御厨子神社=伊波禮甕栗宮◆22 ▲┼┼┼┼│┼┼│ ←香久山 ┼┼┼┼┼│┼┼└┬──■ ←倉橋池 ┼┼┼┼┼│┼┼┼│卍 ←金福寺=倉橋柴垣宮◆32 【上記載宮】 伊波禮若櫻宮◆17 長谷朝倉宮◆21 伊波禮甕栗宮◆22 長谷列木宮◆25 伊波禮玉穂宮◆26 師木島大宮◆29 他田宮◆30 池邊宮◆31 倉橋柴垣宮◆32 【鉄道駅名】[→] 御陵は《古市古墳群》の外れ。 《古市古墳群》 ┼┼┼┼⊥┼┼┼┼┼┼┼││ ←津堂城山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○│ ←喜志駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ =河内多治比高鸇◇21☚ ┼⊥┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ ←島泉丸山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼││ ←市ノ山古墳 ─○──○────○──┤│ =河内之惠賀長枝陵◇19 ┼┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼││ ←仲津山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼┼○│ ←古室山古墳 道明寺駅 ┼┼┼┼⊥┼┼┼┼┼┼┼││ ←岡ミサンザイ古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ =河内惠賀之長江陵◇14 ┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼┼││ ←誉田御廟山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ =恵賀之裳伏岡◇15 ┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼┼┼││ ←墓山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○─ ←古市駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼⊥││ ←軽里大塚古墳=白鳥陵◇ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼⊥ ←高屋築山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼┼=河内古市高屋村陵◇27 ┼↑高鷲駅 ┼┼┼┼↑藤井寺駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼↑土師ノ里駅 【上記記載陵】 河内惠賀之長江陵◇14 恵賀之裳伏岡◇15 河内之惠賀長枝陵◇19 河内多治比高鸇◇21 河内古市高屋村陵◇27 【鉄道駅名】[→] 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |