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■■■ 古代の都 [2018.10.27] ■■■
[26] 伊波禮玉穂宮

26代 哀本杼命(品太王五世孫@近淡海國)継体天皇の宮は伊波禮玉穂宮。
43歳、527年[丁未]崩御。御陵は三島之藍御陵。

宮地は桜井の南。
┼┼┼┼┼┼↓初瀬川
┼┼┼┼┼┼│三輪駅
┼┼┼└┐┼┼┼┼ ←三輪山
┼┼┼┼└┐┼┼┼┼┼┼┼┼↓白川
┼┼┼┼ΛΛΛΛΛΛΛ ←長谷列木宮◆25
┼┼久大桜││┼┼┼┼┼┼┼ ←長谷朝倉宮◆21
┼┼山福└┐井│└┐∴┌─────── ←師木島大宮◆29
─┐駅駅└──────┬┴ ←他田宮◆30
───○───○─────○───────○─
──○────○┘┼┼┌┘大和朝倉駅│┼┼長谷寺駅
┼┼┼┼└─┐┌┘┼┼┼┼┼┼
──────────┘ ←R165
└┐┼┼┼ ←阿部文殊院
┼┼└┐┼┼ ←春日神社=池邊宮◆31
┼┼┼└┐┼┼┼
┼┼┼┼└┐┼┼
┼┼┼┼┼┼ ←伊波禮若櫻宮◆17 伊波禮玉穂宮◆26
┼┼┼┼┼↑米川 ↑寺川
┼┼┼┼┼ ←御厨子神社=伊波禮甕栗宮◆22
┼┼┼┼┼┼ ←香久山
┼┼┼┼┼┼┼└┬──■ ←倉橋池
┼┼┼┼┼┼┼┼ ←金福寺=倉橋柴垣宮◆32
【上記載宮】 伊波禮若櫻宮◆17 長谷朝倉宮◆21 伊波禮甕栗宮◆22 長谷列木宮◆25 伊波禮玉穂宮◆26 師木島大宮◆29 他田宮◆30 池邊宮◆31 倉橋柴垣宮◆32
【鉄道駅名】[→]

系譜は以下。

天皇┬手白髮命([24]天皇の御子)
┼┼└─天國押波流岐廣庭命⇒皇位継承[29代]
天皇┬若比賣(三尾君等祖)
┼┼├─大郎子
┼┼└─出雲郎女
天皇┬目子郎女(尾張連等祖 凡連の妹)
┼┼├─廣國押建金日命⇒皇位継承[27代]
┼┼└─建小廣國押楯命⇒皇位継承[28代]
天皇┬麻組郎女(息長眞手王の女)
┼┼└─佐佐宜郎女…伊勢神宮拝
天皇┬黑比賣(坂田大俣王之女)
┼┼├─神前郎女
┼┼├─田郎女
┼┼├─白坂活日子郎女
┼┼└─野郎女/長目比賣
天皇┬倭比賣(三尾君加多夫の妹)
┼┼├─大郎女
┼┼├─丸高王
┼┼├─耳上王
┼┼└─赤比賣郎女
天皇┬阿倍之波延比賣
┼┼├─若屋郎女
┼┼├─都夫良郎女
┼┼└─次阿豆王

近淡海国(近江)より上ったというだけで、御子一覧はあるが、父母も記載されておらす、天皇自身の系譜は見えてこない。中巻の最後の系譜話でそこらを多少明らかにしてはいるものの。
[15]
品陀天皇┬息長真若中比売(咋俣長日子王の娘)
┼┼┼┼└─若沼毛二俣王
若沼毛二俣王と同一人物だと思われる若野毛二俣が別途記載されている。この御子の意富富杼王の末裔であろう。
┼┼若野毛二俣┬百師木伊呂弁/弟日売真若比売命(母の妹)
┼┼┼┼┼┼┼├─大郎子/意富富杼王
┼┼┼┼┼┼┼┼┼(祖:三国君, 波多君, 息長君, 坂田君, 酒人君,
┼┼┼┼┼┼┼┼┼山道君, 筑紫之米多君, 布勢君, 等)⇒[26]天皇
┼┼┼┼┼┼┼├─忍坂之大中津比売命⇒[19]皇后
┼┼┼┼┼┼┼├─田井之中比売
┼┼┼┼┼┼┼├─田宮之中比売
┼┼┼┼┼┼┼├─藤原之琴節郎女
┼┼┼┼┼┼┼├─取売王
┼┼┼┼┼┼┼└─沙禰王
┼┼根鳥王┬[庶妹]三腹郎女
┼┼┼┼┼├─中日子王
┼┼┼┼┼└─伊和嶋王
┼┼堅石王┬n.a.
┼┼┼┼┼└─久奴王

五世孫だと、鼠算的だと遠縁とも言い難くなりかねないのに、どういう経緯で継承者になったのか不明だが、婚姻関係からすると、北の日本海ルートの勢力が支援していたのは間違いなさそう。・・・
大郎子/意富富杼王は、
 三国君…越前 坂井 三国神社辺(九頭竜川)
 波多君…大和 高市 波多
 息長君…近江 坂田 息長 山津照神社辺
 坂田君…近江 坂田(琵琶湖東岸)
 酒人君…酒人造
 山道君…肥後 合志 山道
 筑紫之米多君
 布勢君…三国系
等の祖。
婚姻相手は、
 [24]天皇の御子
 三尾君等祖…近江 高嶋 三尾
or 北陸道 三尾駅@福井 あわら 御簾ノ尾
 尾張連等祖 凡連の妹…熱田
 息長眞手王の女…近江国坂田
 坂田大俣王之女…〃
 三尾君加多夫の妹
 (阿倍之波延比賣)。


大繁栄の根拠となっていた、河内潟の港湾地区だが、今とは状況が全く違っていた筈で永続的に使用できる訳ではない。(おそらく、毎年洪水に見舞われただろうし、淀川と大和川の河口が近く浚渫でもしない浅瀬だらけになる。)北方の日本海ルート確保が重要になったということか。(太平洋側ルートは黒潮が強く高い技術が無いと航路としては不適。)
日本海側で九頭竜川があげられ、"玉"生産の糸魚川支配の重要性は薄れていそう。脱"玉"は国際派から始まったような気がする。

尚、筑紫君石井の乱も大事だったと思うが、鎮圧担当者を簡単に記載しただけ。朝鮮半島統治は一筋縄ではいかぬことを示唆している訳ではあるが。

御陵はこの辺り最大規模の茨木大田の茶臼山古墳ではなく、時代考証から、近くにある今城塚@高槻 郡家新町とされているようだ。迎えられた天皇であるから、祀るべき地があるとも思えず、他とは異なる地に埋葬されて当然だろうが、巨大古墳を越えない配慮がなされている訳で、もともと皇位継承の可能性が高かった系譜に属していることが分かる。系譜が曖昧なのは、皇位継承で殺されてはたまらぬということで逃亡した系譜に属しているということかも。
┼┼┼ ←今城塚古墳=三島之藍御陵◇26
┼┼┼
┼┼┼
┼┼┼女瀬川(⇒芥川⇒淀川@唐崎)
─○──────←摂津冨田駅@JR東海道本線
────────←阪急京都線

   表紙>
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