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■■■ 古代の都 [2018.11.25] ■■■
[00] 高千穂宮(3:常陸国)

「古事記」の歴史観を探っているので、できれば「風土記」参照も避けたいのは山々なれど、どうにも情報不足なので致し方無く眺めている。その点については十分注意を払う必要があろう。
散逸がひどすぎ逸文については信頼性に乏しいものもあり、そんな断片をいくら読み込んだところで全体像などわかる筈もなく、恣意的な解釈のために引用していることになりかねないからだ。

しかし、それ以上に気がかりなのは、ここにも「古事記」 v.s. 「日本書紀」的体質が見えてくる点。両者を峻別しないと、滅茶苦茶になりかねないのである。・・・完本に近そうな、出雲国バージョンは神話が多いものの、律令国家編纂本の態。それならすべてそうかと思えば、常陸国は古事記的センス濃厚とくる。
一方、日向や薩摩については、僅かな断片なので、どうなのかさっぱりわからぬといったところ。

ということで、ご想像がつくように、「風土記」参照なら、常陸國に目を通しておかねば、となる訳である。・・・

「常陸國風土記」(総説)
 ・・・古は、惣べて吾姫[あずま]の國と稍ひき。是の當時、常陸と言はず。・・・
  (大化の改新で創設された足柄の坂より東の8ヶ国の1つ。
   山川沿いの陸路交通可能なので「直通」が語源とも。
   倭武天皇が、
   掘らせた井戸から湧いた清涼な水で手を洗おうとして袖が浸ったということで、
   衣袖漬の国とも。)

 ・・・それ常陸の國は、堺は是廣く、
 地も亦緬にして、土壌も沃墳え、原野も肥衍えて、墾發く處なり。
 海山の利ありて、人々自得に、家々足饒へり。・・・
 ・・・古の人、
常世の國といへるは、蓋し疑ふらくは此の地ならむか。・・・

常世の國と呼ぶこともあったようだとの記載だが、明確に言いきることを避けたのであろう。本州最東端と言えば、物理的には宮古 ヶ崎[東経142°]だが、朝日が一番早く昇るのは銚子 犬吠崎[東経140°]だから(地球の軸が傾いているため。)、そのような地とされるのはおかしなことではない。
と言うか、普通に考えれば、ヒタチ=日立であり、日向、日代と並ぶ言葉では。

ちなみに、沖縄のはるか西を北上する黒潮は、蛇行するので変化することはあるが、薩摩半島あるいは屋久島で東へ向かい大隅 佐多岬[九州最南端]を越えて北上し、串間 都井岬⇒足摺岬⇒土佐 室戸岬⇒串本 潮岬[本州最南端]⇒志摩 大王崎⇒御前崎⇒伊豆 石廊崎⇒伊豆諸島⇒南房総 野島崎⇒九十九里浜⇒銚子 犬吠埼⇒鹿島灘⇒大洗岬と進んで北からの寒流の親潮とぶつかる。
つまり、常陸は水産物の宝庫を抱えているようなもの。しかも、南には利根川、北には那珂川が流れているので、内陸への交通も至便である。
那珂川側には、大洗磯前神社(大己貴命)と酒列磯前神社(少彦名命)が対で存在し、利根川側には、同じように対で、上総 香取神宮(主:経津主大神…「古事記」には無い, 相殿に天兒屋根命)と常陸 鹿島神宮(主:武甕槌大神=建御雷之男神)が祀られている。その辺りに入る入口には息栖神社(久那戸神=岐神)@神栖
思金神(高御産巣日神の子)を除いて、結節点的なシーンに登場する神は以下の通り。・・・
 《天岩戸での神々》
 ・(常世長鳴鳥I
 ・(天津麻羅)
 ○伊斯許理度売命(祖:作鏡連,等)
 ○玉祖命(祖:玉祖連,等)…八尺勾瓊之五百津之御須麻流之珠
 ●天児屋命(祖:中臣連,等)…斎殿での祝詞奏上役
 ●布刀玉命(祖:忌部首,等)…祭具を用いる司祭役
 ○天手力男神
 ○天宇受賣命(祖:猿女君,等)
 《国譲りを迫った神々》
 ○天鳥船の神
 ●伊都之尾羽張(迦具土神を斬った剣)@天安川川上の天石屋の子 建御雷之男神
 《高千穂降臨随行神々》
 ・猿田毘古の神…伊勢の案内人(海人)
 ●天児屋命(祖:中臣の連)…?⇒枚岡神社@河内⇒春日大社
 ●布刀玉命(祖:忌部の首)…安房神社@館山, 等各地
 ○天宇受売命(祖:猿女の君)
 ○伊斯許理度売の命(祖:作鏡の連)
 ○玉祖命(祖:玉祖の連)
 ・常世思金の神
 ・手力男神
 ・天石門別の神/櫛石窓の神


降臨部隊をどう見るかは人によって違うだろうが、楠舟黒潮勢力鹿島立ちの印象を与える布陣である。伊勢で沿岸南行潮流に乗る体制を整え、南九州に向かったと考える訳だ。
そうなると、高天原は常陸の国との説もまんざらえはない訳だ。超古代の黒潮域での入墨風習海人勢力が大繁栄していたことの記憶から生まれた話と考えることになる。考古学的には、貝祭具と黒曜石の出土地域ということになろうし。
【参考】
新井白石:「古史通/付録:"古史通惑問"」(1716年@白石全集第3巻] は、神武天皇迄を旧事紀と古事記を参照しながら日本書紀を史実的な視点で考証した著。"読法"、"凡例"、"本文(全4巻)からなり、歴史書とは事実に依拠して"世の鑑戒"を示すためのものと、言いきっているそうだ。儒教的(朱子学)合理主義の視点で君主徳治の事跡を眺めた書と見てよかろう。書かれた時代から見て、神儒併行的な日本主義がベースになっていそう。
簡単に言えば、神とは、過去に存在した人々に他ならぬと考え、それは古代の為政者達であるから、その政治状況を描こうとした訳である。
そんなこともあって、語彙を伝達用文字として見ず、本来の意味や言葉の流れからとらえることで、史実を読みとろうと注力したようである。
・・・以上、受け売り。国史の「日本書紀」は、当時の編纂者達の文殊知恵で作られた結晶だから、小生は読み替えは無理筋と思うが。
ともあれ、得られた結論は、高天原は常陸国 多珂にあると。
当時の江戸幕府にとっては有り難い解説かも知れぬから、そんな類の書と見なされそう。ただ、黒潮勢力という概念で考えると、この説には一理ある。


どうあれ、降臨を黒潮勢力の動きと見るなら、鹿児島涌水⇒霧島へと「天降川」を遡って行ったという話になるだろう。有明海にまで回る必然性は薄いから。

−・− 黒潮勢力考 −・−
黒潮は1〜2万年前から流れていたと推測されており、その源流部はフィリピン諸島東側なのは間違いない。その辺りに住むフィリピン土着民の歴史はわかっていない。と言うのは、インドネシア海域とはウォーレス線で隔絶されているし、オーストラリア大陸やパプアニューギニアとも人種的関係が切れているとされるから。しかし、孤立している訳ではない。何時頃からかは定かではないが、インドネシア多島海〜フィリピン諸島〜ボルネオ島には純海洋民たる家舟漂流民が存在しているからだ。アンダマン海から流れてきたのではないかという気がする。その生活様式は黒潮支流の対馬海流沿いの日本海側海洋民と似ているのではないか。
尚、黒潮は南支那海に入り台湾 小蘭島とルソン島北のバタン諸島間のバシー海峡(100km)へと北上するが、そこは一大難所。フィリピン側から北に流されることはあっても、人力南行航行は皆無だろう。
一方、日本列島の太平洋側のモンスーン気候域の海洋民は定住型。農耕狩猟も並行して行う点が特徴。黒潮の湾岸逆流を読む力を持っていたようで、漂流ではなく、もっぱら楠の大木を用いた航行を敢行していたようだ。そんな木材資源が尽きればそれができなくなるだけの話。
日本語の基底はこの勢力によって形づくられたのではなかろうか。地区毎に言葉は違っていたが、遠路からの渡来者を尊崇し、異なる文化を許容し習合する雑種体質だったので、言語基盤が自然に揃っていったのでは。世界的に滅多にない風土かも。


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