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■■■ 古代の都 [2018.11.27] ■■■
[番外] 珠玉の「古事記」(1:素晴らしき文体)

くどすぎるが、「古事記」は神権政治の叙事詩。
古今東西、これに匹敵するような作品は無かろう。国際情勢で緊張が高まり、それに対応すべく国家一丸となって動いた時代が背景にあることは間違いないが、時代性や地域性を超越していると言ってよいだろう。

偶々、生まれた訳だが、それこそ偶然を媒介として必然が現れるモノ。日本だからこそ、このような珠玉の逸品が生まれたというのも確か。

しかし、残念ながら、その価値を理解できる人は稀かも。

その理由のイの一番は言語問題である。

はっきり言って、漢字の原文を読むのは無理がある。それは、万葉集と同じで、基本表音文字であり、漢文でないからだ。漢字の意味を考えながら、訓読み日本語を表記しているため、なんとなくわかる程度で読み取っても真意と違う解釈になりかねないのである。
しかも、叙事詩に仕上げているから、音調に気遣って読文体を避けているため、助詞や接続詞の使い方が普段読む文章とは全く違い、えらくわかりにくい。本来的には語り手が謡う類の文芸だろうから、音読で愉しめる筈だが、そのような素養を決定的に欠くから、そうもいかない。

ともあれ、それが第一級であるのは間違いないところ。
編纂者は序文に関しては、美麗で格調の高い漢文で記載している訳で、そのセンスは卓越していると考えられるから。

つまり、宮名や、天皇名1つにしても、そこには深い意味がある。
神武天皇という漢語表記は便利なだけで、伝えるべきものが失われてしまう。初國之御眞木天皇と呼ばれたとの話とは次元が違う。
敬称の付け方も違うし、敬称だけの場合さえある。そこにはなんらかのメッセージがあるのは明らか。
八千矛の神・宇都志国玉神・大国主神・葦原色許男・大穴牟遲の神という表記にはそれぞれ意味があり、それを吟味できないと、色々な名称で呼ばれましたというだけの通り一遍の粗筋読書になってしまうのである。

白眉は、本文冒頭文章の注記である。
 天地初發之時 於高天原 成~ 名天之御中主~
 [訓高下天云阿麻 下效此]
 次 高御産巣日~
 次 ~産巣日~
 此三柱~者 並 獨~成坐
 而 隱身也
従って、このように読むのであろう。
 あめつち はじめに おこりたる
 たかあまはらに かみ なりまして
 なつけて あめのみなかぬしのかみ・・・

ところが序文の漢文でのガイストではこんな具合。
 無名無爲 誰知其形
 然 乾坤初分
 參~作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖
こちらは間違いようもなく、テンとチの陰陽二元論。2霊が諸物の祖と明瞭に言いきっている。乾・坤は儒教の八卦であり、そのような宇宙観ですゾとイの一番に紹介した訳だ。

この記述、矛盾どころの話ではなかろう。最初に1神が現れる訳で、それは乾坤の混沌の世界の表象なのかという気にもなろうし、その後、次世代を生むにしても、ペアの男女神がという当たり前の陰陽構造だけではないない。
 上二柱獨~各云一代次雙十~各合二~云一代也

ココでガツンと一発浴びることになる仕掛け。

当然ながら、ユング系臨床心理学者 河合隼雄[1928-2007年]が指摘した"中空構造"が頭に思い浮かぶ訳である。天之御中主~は2神の間に存在するだけにすぎぬという指摘。

その初発の神にしても"成りませり"で、原理そのものともいえる、無二の宇宙創造神とは似てもにつかぬ形で登場する。信仰の求心力を生み出すことなど考えられないし、絶対的支配者としての片鱗も見せないのだから。
マ、それが日本の信仰ですな、で終わるのが普通だが、3神のうち、2神はその後現実世界に登場してくる。片や母性的な救難行為、もう一方は天照勢力支配への応援行為を行う。その方が一大特徴と言ってもよいかも。

月読命を同じように扱う訳にはいかないと思うからだ。実は、ココこそが、「古事記」が示したわかり易い古代観でもあるからだ。・・・
伊邪那岐命┬伊邪那美命
┼┼┼┼┼(禊)
┼┼┼┼┼├─天照大御神・・・太陽
┼┼┼┼┼├─__・・・月
┼┼┼┼┼└─須佐之男命・・・海

日本の基層信仰は海原由来で大陸とは違うと考えれば、これは当然の話だろう。
黒潮を、大木の舟で島と沿岸の山を目印にし、南方から漂流してきた海人らしさを示しているとしか思えない。古代であるから、航行に当たっては、陸地予測と潮目を読むことが最優先される。方位を示す夜の星をいくら眺めたところで、陸行とは違い、ほとんど役に立たない。明るい月夜なかりせば、それもできなくなる訳だ。

そのように考えれば、天アマとは、海と空を意味する言葉ではなかろうか、と考えざるを得まい。
アマと読めという注記は重い。

「古事記」が上梓されたのは律令国家の時代だが、とんでもない古層の精神を語っているとしか思えない。
何故にそんなことが可能だったかと言えば、口承伝承が豊富だったからに他ならない。豊饒の地に住み、絶対者尊崇と奴隷制度を嫌って、文字導入を避けてきた人々の地ならではの風土ということでは。

しかし、文書作成は避けることができない流れであり、それに伴い、読みは訓であっても言葉の意味も変わってしまうから、そこらを残そうとしたのが「古事記」であろう。

そういう点でまさに珠玉。

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