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■■■ 古代の都 [2018.11.29] ■■■
[番外] 珠玉の「古事記」(3:国生みに見る洞察力)

日本の風土が箱庭・幕の内弁当的なのは、列島誕生の経緯上そうならざるを得ないから。
地球的規模で眺めれば、この辺りは3つのプレートの出逢いの地であることが原因と言ってもよいだろう。
(プレート論によれば、大陸側は"ユーラシアプレート"からなり、これに海側から南の"フィリピンプレート"、北の"太平洋プレート"が迫る。これに加えて、四番目がある。北海道地区はアリューシャン列島を生む"北太平洋プレート"がぶつかってくる。)
海の南北境界で生まれたのが伊豆〜小笠原弧で、大陸と大海の境界で生まれたのが日本列島ということ。
(その臍とも言える交点に位置しているのが伊豆半島。南側は駿河湾に面しているが、そこには、とてつもなく深い日本海溝がある。もちろん、その一帯で存在感を発揮するのは富士山だが。)
日本列島は、地学的に見て大いに込み入った地域なのだ。その動きは、世界の大陸形成の軌跡の縮図と言えなくもない。少なくとも、地表に現れる地質のバラエティは半端ではない。

そこは、アフリカで生まれた人類が目指した、ユーラシア大陸での日の出が一番早い東端の地でもある。
何時頃どのルートで到達したのかは定かではないが、古くは4万年前との説があるようだ。間氷期にユーラシア北方ルートから新人が渡来した筈ということか。ナウマン象を追う狩猟民と考えてよかろう。言うまでもなく、ベーリング陸橋を越えた人々の同類であり、大陸と陸続きの北海道から日本に入ったことになる。野尻湖発掘の旧石器はこの流れに属すのでは。太陽信仰とは異なる人々。
(沖縄以外は、人骨は化石化せず消滅してしまうので、よくわからない。)

大陸東沿岸を流れる暖流の勢いは今より強烈だった可能性があり、寒流は細っていたから、(日本列島には氷河はあったものの、大規模な氷床は存在してなかったようだから。)寒冷な時代であったにもかかわらず、沿岸部だけは温暖で、森での狩猟や鮭の漁獲で食には不自由しなかったかも。当然、定住が進んでいたに違いない。
そんな環境だったとしたら、太陽信仰を抱いて、楠船を駆使し、大陸東端を目指す黒潮海人勢力もかなり早くから渡来した筈だ。大陸的な狩猟族と混淆社会を作り上げていた可能性は高い。海人の方が生活能力的には格段に上だったろうし。
いずれにしても、打製石刃の時代⇒細石器の時代⇒縄文土器の時代と進展したことが、遺跡からみてとれる。つまり、日本列島にはかなりの数の人々が定住していたのである。
(黒曜石は早くから広域交易されていることが分かっており、縄文時代初めに、採取狩猟・堅果樹栽培・農耕漁撈の混合経済社会が作り上げられていたことも判明している。縄文早期の大型遺跡は都市機能があったと見ることもできるし。)

このような日本列島像を確認した上で、縄文期の一大環境変化に触れておかねばなるまい。
(発掘調査記録では、縄文遺跡は圧倒的に東日本が多く、西日本は少ない。しかも本州の最北域に大型の三内丸山遺跡@青森がうまれるほどで、経済力的に見て極めて水準が高いものが少なくない。この遺跡は、5500〜4000年前と見積もられているが、津軽半島陸中央奥湾側の大平山元遺跡になると13,000年前。当たり前だが、その前の石器時代から、ここらにまで人が住んでいたのである。
時間軸を考えれば、4大文明発祥の後、その文化が未開な東端にまで伝わって来たというモデルではとうてい説明不可能である。メソポタミア文明は5,500年前で、インダス文明は、4,600〜3,800年前でしかないのだから。黄河文明論はすでに破綻しているが、彩陶土器の河南仰韶文化で6,800〜4,500年前、畑作農耕竪穴住居の陝西老官台文化が8,000〜7,000年前だ。)


最終氷期末期には大陸の広大氷床が融解したので、毎年数cm海面上昇したと見積もられている。その結果、海水面は少なくとも100mは高くなったのである。
この結果、日本海が形成され、さらに紀伊水道と豊後水道辺りに海水が侵入し始める。それは、一説によれば、15,000年前頃と見積もられている。そこから本格的な海進となる。瀬戸海はこんな風らしい。
 13,500年前 紀伊水道〜伊予灘
 12,000年前 大阪湾
 10,000年前 明石海峡〜播磨灘
  9,500年前 鳴門海峡

そして、9,000〜8,000年前に今のような内海が生まれたと考える訳だ。

所謂、国生みでは、塩(潮)作りのようにして大八洲を作るのだが、それは、この気候温暖化=縄文海進を指摘していると考えることもできるのでは。
間違い無く、この時点に日本列島が生まれたのだから。

常識的に考えて、天上遥かかなたから潮を垂らす訳もなく、海原に浮かぶ雲の上からの作業で塩の山を造ったイメージの記述である。急速な温暖化が進んでいたから、常に、海上からの上昇気流でモクモクと雲が浮き上がっていたに違いなく、年中雨がふり、雷も凄かったであろう。
そんな情景を彷彿させるシーンとは言えまいか。

古代地理の年代は大雑把な推量にすぎないとはいえ、"縄文"海進が発生したのは間違いない。それが、人々の記憶に残っており、国生み神話として残ったの違うか。

そうなると、国生み神生みの6つの小島のなかに、黒曜石産出地である御島(三島)信仰発祥の神津島を入れてもよさそうに思うが、儒仏道が揃ってしまった社会のまっただなかで、その天地発想とは異なる海原発想の極め付けを直接持ってくることは避けたのかも。
黒潮本流の伊豆方面より、瀬戸海航路(吉備児島, 小豆島, 大島, 女島)や九州西側海域(知訶島, 両児島)の多島海的シーンの思い出を語ることで、島伝いに東へと東へとやってきた黒潮海人勢力の動きを表したと考えるのが妥当なところか。黒曜石時代の島としては女島(姫島)を入れた訳だし。

こうなると、「古事記」冒頭の神々の記述とは、人類の海経由の東方大移動の記憶を残した部分かも。
神権政治の叙事詩であるから、別天神三柱は、黒潮源流に行き着いた時点ですでに形作られていた祭祀を中心とする社会構造を示していることになろう。それは、以後の日本の基底信仰として連綿と引き継がれるのである。

勝手に解釈すれば、それは船材たる柱信仰共同体と言う事になろうか。
それを支える枠組としては、二つあり、片方は、太陽信仰を支える首長による祭祀国家観。他方は、巫女が土着的女系社会を支える祭祀国家観。両者は本来的に相容れないように見えるが、柱を通じて微妙に習合できるのである。
大陸では、異なる国家観の勢力は闘うしかなく、奴隷にするか消滅させるかの二択。辱めを受け残存しても、子々孫々それを贖うことが使命となり、根絶やしを誓うことになる。一方、常に漂着リスクを抱えている海人は、異人と共存できる道を探るのが普通。分権社会であり、奴隷化は例外でしかないので、従属しているから大損という訳でもないからだ。大陸的発想では、中央の「柱」には何の意義もみとめられず、まるっきりの"空"に映るが、その存在こそが共同体社会樹立の肝なのである。
(そもそも、海から陸を造成する決断自体が、天つ神の"総意"によるのもの。宇宙創造神を欠く神々の社会で、皆から命じられて初めて海に出向いたように見える。しかし製塩を陸地化プロセスに見立てているのだから列記とした海人系統の神である。ところが、その道具である沼矛は自らのものではなく御下賜されたもの。国粋主義や儒教的宗族主義からすれば、国の祖をそのように描く気が知れぬといったところではないか。)

一方、黒潮に乗って、ユーラシア半島東端の地に到達し、そこで定住するようになった過程の想い出は~世七代ということになろう。
それぞれの神の名前の意味を探れば、どういう記憶から来ているのか分かる可能性があるが、残念ながら力不足。
┼┼┼┼【別天神五柱】=南方熱帯海域(基底信仰)
_三柱@高天原(天之御中主~)+(高御産巣日神+神産巣日神)
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_二柱(宇摩志阿斯訶備比古遲~+天之常立~)
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┼┼┼┼【~世七代】=黒潮に乗り日本列島進出
___国之常立神
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___豊雲野神
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_宇比地邇┬須比智邇
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___角杙┬活杙
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意富斗能地┬大斗乃辨~
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_於母陀流┬阿夜訶志古泥
┼┼┼┼┼
_伊邪那岐┬伊邪那美
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┼┼┼┼【国生み】=縄文海進

せっかくだから、気の向くまま、お遊びで縄文海進までの状況を想像してみよう。上記の流れが想定できるかは別として。
大まかな時間軸としては、こんなところか。
 ・石器使用開始…4万年前頃(これ以前については無視した方がよかろう。)
 ・姶良カルデラ大噴火…3万年前頃
 ・土器登場…1万5千年前頃
 ・縄文海進…1万5千年〜8千年前頃

要するに、「日本列島は文化の吹き溜まり」仮説に合うように、「古事記」的感覚で土器出土以前シナリオを作って見ただけのこと。
中華帝国の都がインターナショナルな社会であることを十二分に知っていた「古事記」執筆者としては、それは中央集権国家がとりあえず創った見かけと気付いた筈である。換言すれば、分権的国家である日本以外に、インターナショナルな文化を寄せ集めた共同体は存在しそうにないと言う事。倭語で謡う神権政治の叙事詩を、表音漢字と漢語単語で記録していて、フト感じたのではあるまいか。
どう見ても、全く異質の勢力が混淆し、日本語が形作られていったのは間違いないと。・・・

《大陸側から渡来した勢力》
●ユーラシア大陸の草原を移動しシベリアに到達した狩猟勢力(色白長身門歯発達モンゴロイド)の渡来。
 北方地域洞窟棲(動物群と共に移動)
 大型獣
(マンモス/古代牛馬/大角鹿)狩猟
  …
刺石大刀+解体石ナイフ
 シャーマニズム 星信仰
この勢力は対象動物とともに移動。一種の動物的勘でもある、お告げで何時何処にでも出立する体質なので、箱庭的環境では至るところに出没することになる。当然ながら、そんな状態になれば大量草食の大型獣は早晩絶滅の憂き目。従って、所詮は消滅の運命の勢力だが、生き残ろうとすれば、狩猟対象はテリトリー内定住の小型獣に変えるしかなくなる。林域棲息なので生活様式を変えるしかない。半定住化必至。野原の空にこそ神が存在するという信仰だけは残ったに違いないが。大型獣尊崇は草食大型獣から林棲息の雑食性の熊へと対象が変わることになる。
狩猟を弓矢主体に変えるのは簡単なことではないから、大型動物で経験している、落とし穴等のトラップ的狩猟に精を出したに違いない。磨製石斧@3万年前頃や柱穴明瞭な竪穴式住居跡で知られる(時代重層の)はさみ山遺跡@藤井寺 羽曳野丘陵段丘から出土したナイフ形石器は、そんな流れを彷彿とさせる。
●大陸でも、草食大型動物は僅少化一途だったから、草原移動勢力から森周辺進出の分派が登場した。ステップの道から遠く離れている大河上流域(シベリアならエニセイ,レナ)や湖周囲(シベリアならバイカル)といった未踏地居住。当然ながら弓矢/鏃が主流となる。船も不可欠となるので、樹木と石の調達が可能な地が選定される。大陸から渡来すれば、日本列島は最高の環境という評価が生まれたに違いない。
 半定住化 川船移動
 鹿/猪狩猟+河川鮭漁
  …大量生産可能な
細石ナイフ(柄に多数埋め込み方式)+石斧
 黒曜石ルートあり(北海道白滝→越後,サハリン)

○大陸から朝鮮半島経由渡来については、日本列島に進む理由が読めない。
朝鮮半島の黒曜石は白頭山から。時期的にも遅い。(一方、腰岳から入っており、もともとの玄界灘⇔多島海交流以上ではなかろう。)そして、沿海州は別ソース。狩猟業具もボーラ(投擲型の紐でつなげた対石)を使っており、文化的に異なる様相で、朝鮮半島からの流れがあったとは思えない。
○西域から沿海州迄ゆっくりと移動してきた勢力(原モンゴロイド)も日本列島へ入ったと思われる。遊牧系を生み出した本家本元だが、遊牧系との摩擦を避けるため大移動を余儀なくされただけ。
 半牧畜(鹿/猪)+小規模農耕(黍)+狩猟(主に海獣)
  …
磨製石器+土器+角/骨/貝殻器具
狩猟対象動物激減に直面し、遊牧ではなく小規模牧畜で定住化を図った勢力。遊牧勢力はユーラシア東端には到達していないと見てのこと。遊牧に先立つ動きではなく、逃亡。内海的だった沿海州での海獣猟が可能だったため、一大勢力化したものの、早々と消滅である。沿海州〜朝鮮半島東は縄文海進後は強い寒流に洗われ農耕地としては超劣悪化するからだ。(半島は南西端の多島海的地域で、ようやく、沿岸流が暖流となる。)
おそらく、この勢力の痕跡は大陸には残っていないが、日本には彼等の土器活用技術が受け継がれている筈。
尚、縄文草創期(16,500年前)と判定されている大平山元I遺跡@青森 外ヶ浜から土器片と石鏃が出土している。

《太平洋航海で渡来した勢力》
●スンダ大陸から黒潮に乗って北上した海人勢力(色黒短身臼歯発達モンゴロイド)の渡来。
 南方地域洞窟定住棲
 軟実/芋/堅実採取&半栽培+漁撈/小鳥獣狩猟
  …焼蒸用礫/煮用焼石+破砕擂り潰し棒状石器/皿石
   +掘穴/樹木伐採用石斧+骨/貝殻器具
 アニミズム 太陽信仰

この勢力は子孫は良好な地を求め移動。栽培作物も適宜変更多様化。北方に行く程、環境対応で生活パターン変更を与儀なくされる。生活水準も千差万別。
 小屋棲
 熱帯ジャポニカ稲栽培追加
(粗放農耕:非温帯ジャポニカ)
 鵜飼漁撈追加
 
鏃用細石器
 トーテム信仰

そして、縄文海進勃発。

地球規模の急速な温暖化のインパクトは凄まじかった筈だ。生産力の飛躍的向上に結びついた地も多かろう。しかし、その状態で寒冷化に襲われたりすると、南下の大移動が発生するから混乱必至。しかも、紀元前17世紀に現れた殷(商)は、敵対部族絶滅/奴隷化方針の国家であり、以後、多くの勢力が難民的に周囲に放散することになる。その最終吹き溜まり的地が日本列島だったと言ってもよいだろう。

その結果、「大八洲語」が生まれる。もちろん、大陸と北海道は圏外である。南島だが、吐喇/慶良間ギャップがあっても、那覇山下町第一洞穴遺跡(32,000年前)、宮古島ピンザアブ洞穴遺跡(26,000年前)、種子島切遺跡の同質性から見て交流の絆は極めて強いものがあり、一貫して同一言語圏であったと見て間違いなかろう。
一方、大陸に属す朝鮮半島だが、言うまでもなく、戦乱で押し出された中国系が支配することになった地である。日本と違い、以後、支配者層の標準言語は支配層の中国語となる。そのため、日本列島とは違い、分権化できない社会構造になってしまう。社会的には北方のツングース系シャーマニズムも入ってはいるものの、中華帝国同様に死んだ神話の断片的伝承しか残っていないと思われる。そもそも文書そのものが消され続けてきたから、いくら検討を重ねようと実態はほとんどわからない。

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