[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.12.1] ■■■ [番外] 珠玉の「古事記」(5:政治的歌謡の意義) 巷には「古事記」の紹介・解説本が溢れている。 ほとんど読んだことがないから、中身を云々することはできないが、"帯書き"のお勧め文から判断すると2つの系統があるようだ。 ○ 日本の古代史を知ろう。 ○ 古代精神が籠められた文芸に触れよう。 なんとなくわかる気がする。 「古事記」は政治的な書であるが、敬遠せずに読んでみたら、と呼びかけているのでは。 マ、そうかも知れぬが、歴史書を期待するなら、編年体の「日本書紀」、文芸なら「万葉集」がよいと思う。 「古事記」を読むなら、「神権政治の叙事詩」として正面から向き合った方がよくないか。グローバルな地平で、古代の歴史観が読み取れる可能性があるからだ。そのような書には滅多にお目にかかれぬ訳だし。 「古事記」の鋭いところは、神統譜や皇統譜の役割を見抜いた点。もちろん、一般的には、系譜はヒエラルキー的権威を高めるために書かれているとされるが、そんなことは実はどうでもよいのである。 伝承されている神話と対になってこその意義。系譜なくしては、神話はお伽噺、思想信条の例え話、あるいは創作説話でしかない。換言すれば、残存している神話はほとんどがその類いということ。そこから、本来の意味を読みとるのは至難。 神話は、共同体の神権政治の基盤を形成する上では重要な役割を担っていたが、「古事記」編纂時はすでに文書でコトが進む律令国家体制下。神話は語られてはいたものの、その本来の役割はすでに消失していたのである。 つまり、残存している神話を集めただけでは、神話の遺骸を眺めるだけになってしまいかねない訳だ。 伝承神話を政治的視点で系統化し、歴史的に体系化しない限り、その精神は全く伝わらなくなってしまう。・・・ 中国の書物を読めば、そう感じて当然であろう。 その地ではすでに神話はすべて死んでいる。と言うか、殺されてしまい、バラバラになった遺骸が散見されるだけなのだ。従って、日本も風前の灯であると感じた筈。 それに関係する、もう一つ重要な点がある。 「国つ神」と「天つ神」の違いである。 単純に言えば、前者は被支配者で後者が支配者。 従って、国史として描くなら、未開の遅れた人々を啓蒙したとか、温情で残存させる話を残すことになるだろう。しかし、「古事記」の神話はそうはなっていない。 「国つ神」が「天つ神」より先に国家を樹立したとはっきり書いてある。そして、「国つ神」こそが"神話の宝庫"と高らかに謡っており、被支配者の神話はバラバラにされず体系的に残されたのである。 古代、エジプトやギリシアでは、キメラ体やママの動物の神が人的姿の神と併存していた。ところが、一神教が登場すると、ヒト的な姿の創造神以外は唾棄すべき対象となる。それでも一部は残ったが、異教の神とされ、最終的にはお伽噺化させられてしまう。 一方、多神教の地では、一見すると古代からママ残っているように思ってしまうが、互いにどうつながるのかさっぱりわからぬママで併存しているだけ。人気のストーリー部分だけ残して、ご利益信仰の対象になっているが、どのような経緯で生まれたのかわからないし、祭祀や風俗習慣との繋がりに至ってはほとんど発見することもむずかしい。 「古事記」編纂者は、それに気づいたから、どのように古代のコトを残すために奮闘したと言ってよいだろう。奈良盆地に各地の代表が移住し中央政界を形つくる仕組みが幸いし、天皇系譜との繋がりの伝承が残っていたので、それらを網羅的に眺めて、叙事詩としてまとめることができた訳だ。 「国つ神」とは蛇や鰐のトーテム信仰の時代の神々であると示唆し、そうした神々が"日本語の国"を樹立したのであって、「天つ神」は権力を移譲されたに過ぎないと言いきることができたのは、驚くべきこと。もちろん、それなりに婉曲な表現であるが。 ココを単なる日本史の一情報として読んでしまうともったいない。グローバル感覚なら、トーテム部族連合体から部族統合国家へと変わる、歴史的大転換点が記述されているのだから。 ただ、「古事記」が示唆しているその大転換の方法はいかにも当たり前の手続き。被支配者の信仰の核となっている神器を奉納させ、支配者が標準化している祭器を下賜し、統一祭祀を行うというだけ。従わない場合は殲滅する以外に手はないのだと思われる。 要するに、「天つ神」の神器を導入させるのである。住民に被害をもたらす、土着霊や動物神を駆逐するというスローガンで統一が図られたのであろう。 しかし、それは、各部族が擁する語り部の伝承を消し去る行為ではなく、全く逆だった。被支配者の古詞歌謡をじっくり聴き、精神的交流ができて、初めて支配者としてふさわしいと承認されたからだろう。 現代では歌謡は文芸的なものであるが、政治的絆を確認する誓約として機能していたのは間違いない。ところが、律令国家になると、その意味を失う。歌謡は風俗的習慣と見なされ、儀式次第に形式的に組み込まれてしまうのである。 「古事記」は、その実態をかすかではあるものの、伝えることができた世界唯一の書かも。 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |