[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 古代の都 [2018.12.3] ■■■
[002] 須賀の宮

建速須佐之男命は八岐大蛇退治後に須賀に宮を建てる。
暴虐的行為の連続だったというのに、突然にして別人になったかのように、美しい響きの歌を詠むことになる。
 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
 八重垣作る その八重垣を


比定地は八雲山(須我山:檜,枌)を背にした須我神社@雲南 大東 須賀(「出雲国風土記」大原郡の須我社)だが、海潮郷の須我小川辺りに造成されたのであろう。
 須我山 郡家東北一十九里一百八十歩
 御室山 郡家東北一十九里一百八十歩(檜,枌) 神須佐乃乎命 御室令造給 所宿 故云御室

「出雲国風土記」には、当然ながら須佐之男命の伝承がいくつか記載されている。
大原郡の東隣、意宇郡安来郷では
 神須佐乃袁命 天壁立廻坐之 爾時 来坐此處而詔 吾御心者安平成 詔 故云 安来 也

大原郡の西隣、飯石郡須佐郷では
 神須佐能袁命 詔
 此國者雖小國 國處在 故我御名者 非着木石
 詔而 即己命之御魂 鎮置給之 然即 大須佐田小須佐田 定給
 故云 須佐


奇しき稲田の姫を娶って、治水にも尽力し、出雲一帯の水田開拓に成功したのであろう。採取狩猟漁撈に堅果樹栽培から農耕までという混合経済を旨としていた豊饒の社会が存在しており、水田稲作自体はすでに珍しくもではなかったものの、そこに五穀系モノカルチャー農耕を持ち込んだということでは。
それは、労働集約的農耕であり多様性は失うが生産効率は急上昇させることができたのだと思う。

その転機は八百萬~共議に基づいて、皆で"~夜良比夜良比岐"[遣らふ 遣らふ]されたこと。膨大な数のお祓に、鬚切と爪切のお祓いをした上で、出ていけ出ていけの大合唱である。
 於是 八百萬~共議而
 於速須佐之男命負千位置戸
 亦切鬚及手足爪令拔而
 ~夜良比夜良比岐


ところが、どこに追放したかが記載されていない。根堅州国へ行けということか。
その途中で、唐突に、大気津比売神が現れる。阿波国の別名で登場した神だが、食物を乞う。穢汚なモノを作ったとして殺してしまうが、その遺体から蚕と五穀の種子が産まれ出るのだから偉大な功績。但し、種を拾うのは須佐之男命ではなく、神産巣日御祖命。東南アジア〜オセアニアに広く伝わる死体化生譚とそっくり。もっとも、熱帯モンスーン地域で産まれるから芋だが。

ここから先、須佐之男命態度は一変するので、面食らうが、ストーリーからすれば、本格的に農耕に依拠する経済に転換させる神としては、当然の姿勢かも。もともと、須佐之男命は海原の神になることを拒否し、植物の根の神になることを目指したのだから。

八岐大蛇退治とは、印度〜中国にも存在している河神を退治したということでもあり、蛇信仰を消滅させる動きだ。蛇の神器たる刀を奉納したのであるから、蛇神を太陽神に平伏させたことになろう。

さて御陵だが、常に、場所が問題となる。

須佐之男命は、父君が生んだ子で海原を治めるように命じられたにもかかわらず拒絶して、ただただ妣國を慕った。その"妣"とは普通は母のことだが、父が母無しで生み出した御子。従って、伊邪那岐命の妃を仮の母と考えるしかないが、それなら行先が黄泉国となりそうなもの。ところが、行く先は根堅州国。異なる地かと思えば、出入り口は黄泉国へ出入りする黄泉比良坂であり共通。しかし、同一異名と記載していないから、考えあぐねる訳だ。
辻褄合わせするなら、ここでの"妣"とは、須佐之男命の母という意味ではなく、神々の母懐とするしかなかろう。(ここでのハハは"はぶり(葬り)場所(カ)"を暗示しているのかも。)つまり、黄泉比良坂から先は、神々の"おゑ"[=瘁, 臥]の地ということ。

須佐之男命は"おゑ"の地の、黄泉国には入らず、根堅州国を選んだことになる。
両者には、墓制というか"常世"感の違いがあることを示していると考える訳だ。

本土の黒潮海人が日の出を製麺誕生と感じていたとすれば、死霊は、日が落ちて"昏くなっていく"西方の地へ漂って行く見方になろう。仏教的な西方浄土思想に適合し易い観念だが、古代は、伊邪那岐命が訪れた死の穢れだらけの黄泉の国的な見方があったということか。
そうだとすれば、須佐之男命がそのような地に愛着を覚える筈がない。
実際、根堅州国の雰囲気は黄泉の国と対照的で、地上とほとんど変わらない印象さえ与えるし、清らかな聖地に社殿ありのイメージで語られてももおかしくない。これは、黒潮海人の本貫地に近い沖縄的な死者の地の概念に近い。
考えてみれば根堅州国譚は、民俗的には、大陸南部の鳥トーテム部族の成人儀礼の風習そっくりだ。そんな地の信仰は、一般的にはアニミズム。死霊は土中に潜んで休息していると考えるらしいが、活動を開始すると、森に見える形で登場し、動植物霊やヒトと交流することになる。呼寄せれば集落来訪も。その霊力を活かし、被害を避けるために儀式が行われる訳だ。

須佐之男命はそんな南方信仰を引き継いだのではなかろうか。
自ら進んで根堅州国の主を目指したのであり、それは、植物の生命の元である根の神に成ったということでもある。日本列島の"水穂(瑞穂ではない。)"の神になったとも言えよう。(陰陽論や木火土金水的万物生滅盛衰論とは馴染みずらそうな概念である。)

   表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com