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■■■ 古代の都 [2018.12.11] ■■■
[番外-11] 墓制と「古事記」
(6:渚に建てられた産小屋)

日本民俗学の巨人は柳田国男と折口信夫。その二人が生涯追求したのは「常世」を原点とする日本人の信仰。自らを浅学菲才としながら、同じように取り組んだのは谷川健一。
著作をたいして読んだ訳ではないから、勝手な思い込みでしかないが、巨人にはなりたくない、知的超エリートでは。自分ではとっくに解っていながら、それを証明するための作業を設計することを避け、常に"ささやかな"現地調査報告書の提供を旨としているとしか思えないからだ。何が肝かと言えば、そこから生まれている実感に基づいたコメント。

それが一番よくわかるのが、"若狭の産屋"。
[谷川健一:「常世論―日本人の魂のゆくえ」II-1 平凡社 1983年…古典と民俗の中に、海の彼方によせる日本人の原郷意識をたずね、観念化される以前の常世と生と死の関係を重ねて考察する。常世の思想は理性だけでなく、日本人の魂のもっとも奥深い部分で共鳴する。(出版社説明)]
かつては、"村祭"を通じて誰でもが知っていた、氏神様=鎮守様=産土様の、ウブスナが、実は産屋に敷く砂のことだったことを、長老の話で知ったという有名な下りが収載されている小論。
読者は、発見した谷川の驚きとその感動を"素直に"描いた筆の力に圧倒される訳である。

少し考えてみればすぐわかるが、「古事記」の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の誕生シーンを真面目に読んでいれば谷川が気付いていない筈がないことにも気づかされる訳だが。
 海~之女豐玉毘賣命自參出・・・
 其海邊波限 以鵜羽爲葺草造産殿・・・
 化八尋和邇而匍匐委蛇・・・

古墳定番鏡の三角縁神獣鏡に描かれている龍にしても、この鰐から来ていると考えてもおかしくないのである。

谷川の論は、いかにも、大胆な推論というか、連想に映るように書かれている。すべて"個人的"直感から来たと思わるのだが、果たしてそんなものか注意してかかる必要があろう。
例えば、八千矛~の本拠地からいずれ大量の青銅器の矛が大量出土する筈と考えていたに違いないが、それを表だって語るような方ではないというだけでは。
同じエスプリでも、発掘された遺跡情報を正直にママ受け止めてしまう和辻哲郎とは、その辺りが大きく違うのである。

おそらく、国生みの前に成った神々についても、どのような話かあるのか、想像がついていたに違いない。しかし、流石に、直接的な伝承話を聴くことができないので、避けざるを得ないというに過ぎまい。

前段が長くなったが、「古事記」には、その"産小屋に敷く砂"そのものの意義を示唆している箇所が存在する。

八十~が、八上比売に選ばれた大穴牟遲~を殺した話。
 以火燒似猪大石而 轉落 爾追下取時 即於其石所燒著而死
火山の噴石を思わせる話であるが、御祖命の請願で、神産巣日之命が再生を図ることになる。
 遣𧏛貝比賣與蛤貝比賣 令作活
 爾 𧏛貝比賣 岐佐宜集
 而 蛤貝比賣 持承
 而 塗母乳汁者 成麗壯夫
   而 出遊行

𧏛(蚶)/象貝/キサガイとは赤貝/アカガイ(サトウガイ類似)。蛤貝/産貝/ウムガイとは蚌蛤/浜栗/ハマグリ。どちらも、貝塚で大量に見かける貝である。その貝塚だが、1877に年エドワード・モースが大森で発見したことで知られるようになった。そこからは土偶や人骨が出土しており、当初から、護美(塵)や煮貝生産副産物が集められただけの場所ではないことがわかっていた。にもかかわらず、その後、ほとんど無視されていると見てよいだろう。
谷川流なら、貝塚をどう位置付けるかは言わずもがな。

遺跡という点では、"○○百穴"と呼ばれる、比較的内陸部にある集合墓地もよく知られている。そんな遺跡で、数的には全体の穴のうちせいぜいが1ヶ所だったりするが、僅かな貝や珊瑚が敷かれていることがある。(例外扱いのようで、全体としてどんな状態かは知りようがない。)熱海の山を越えた盆地内遺跡からは亀の甲羅が出土したことさえ。
わざわざ遠距離から運んで来るほど、海人信仰が根付いていたと考えざるを得まい。
貝は再生力のシンボルだったのは間違いないのである。だからこその、貝製アクセサリーということ。

そうなると、「割竹棺」を谷川ならどう思っていたかも自明。
そもそも、竹とは無縁なのに、丸太の半割刳り貫きの木棺にわざわざそのような名称を付けていることで、かまえた筈だ。
誰が見ても、丸木舟製作過程と全く同じなのに。実際、出土品の様子の記述には、いかにも船型ではないかと想定される指摘もあるが、原型を留めていないから判定不能となる。
言うまでもないが、「古事記」上巻が舟を重視していることは、読めばすぐにわかる。

伊邪那岐命と伊邪那美命の生める初子 水蛭子からして舟の話である。
 生子水蛭子此子者入葦船而流去
もちろん、葦船は空想の産物ではなく、実用船である。

国生みの次ぎは、(十柱, 八柱, 四柱, 八柱と)グループ毎の神生みになり、船神生みに繋がる。
 次生~名 鳥之石楠船~ 亦名 謂天鳥船

須佐之男命の八俣大蛇退治では、船毎に八塩折の酒を盛った。

少名毘古那神は天の羅摩船で渡来。

建御雷神による国譲りでは、天鳥船神が派遣された。

山幸彦の渡航は无間勝間と呼ばれる舟。

谷川が見た、死後の魂の住む「常世の国」は閉された地ではなく、薄明の世界。(かの地で、灯りをつけるシーンがあるが、それは暗い場所での話。追手を目で識別できる世界だから、暗い筈がなかろう。)
死が無い地だから永遠の世界だが、そこからこの世への再生が約束されていた。単に、それだけのこと。死霊は勝手にやって来る訳で、善きものもあれば、悪しきものもある。
闇の冥府とか、慈愛にみちた祖霊が集まる光明の社会とのコンセプトは後付。

(引用:「序章」)
日本人の意識の根元に横たわるものをつきつめていったとき「常世」と呼ばれる未知の領域があらわれる。それは死者の国であると同時に、また日本人の深層意識の原点である。いやそればかりではない。日本人がこの列島に黒潮に乗ってやってきたときの記憶の航跡をさえ意味している。仏教やキリスト教の影響による世界観や死生観が支配する以前の日本人の考え方を「常世」の思想はもっとも純粋かつ鋭敏にあらわしていると私には思われる。


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