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■■■ 古代の都 [2018.12.13] ■■■
[番外-13] 墓制と「古事記」
(8:火葬)

一般には、火葬は、700年に元興寺の道昭の遺言に基づいて始まったとされている。仏教(法相宗)伝来で始まったとされる。
確かに、仏教の影響力は大きく、薄葬令によって、威信を示すための墳墓造成とその地での盛大な継承儀式は無くなった訳だ。
それを転機として、集落支配も制度的に徹底化されていき、葬儀は里から離れた特定域での野焼きに変ったと思われる。当時の寺院にはその担当職があった筈。
そう考えるのは、廃仏毀釈で、真っ先に政府命令で火葬禁止となったから。

大都会は墓地難だから、土葬が難しく火葬止む無しなのですぐに復活したと言われているが、葬儀はそのようなご都合主義で決まるものではなかろう。
そもそも火葬は大量の燃料と見守り役が必要で、古代から大事にならざるを得ない。余裕がある社会ならではの風習なのは間違いない。天竺でも、おそらく高貴な人しかできず、普通は水葬・風葬・鳥葬と見て間違いなかろう。
従って、火葬が導入できたのは仏教の力と言うよりは、それを是とする信仰がもともとあったと考えるべきでは。

小生は、ここらの姿勢はは、いかにも黒潮海人らしき感覚だと思うからでもある。

ユーラシア全体を見ると、聖書、儒教の民は土葬にあくまでも拘るからでもある。土葬ではないが、ナイルの民のミイラ信仰も同根。
なかせも、イスラム教は遺体を傷つけることは禁忌。キリスト教圏にしても血抜処理後埋葬の場合が多く、明らかに遺骸保持重視である。儒教も表立って表明しないだけで、中華帝国域土着の再生復活信仰が根底にあると言わざるを得まい。

ところが、日本列島では、全く異なる姿勢が散見される。縄文期の遺跡の集積葬地からは、火葬したと考える骨が見つかっているのだ。
従って、この時代の想定される葬儀プロセスはこうなる。地域によって葬儀や墓制は大きく異なるものの、基本的思想はこれに則っている印象を与えるものが多い。
 [1]死亡地祭祀
  別離儀式
 
[2]遺体移動行事
 
[3]配石集積墓地行事
  安置祭祀
  被土
【一次葬】
  遺骨発掘
  (洗骨 or "焼骨")
  選骨/分別
  壺納入
(or 包布)+集団地埋葬
  骨壺の土坑埋葬儀式
【二次葬(再葬)】

現代の感覚からすれば、深い追悼の念からの一貫した儀式と見がちだが、素直に眺めるべきだろう。おそらく、遺骸そのものに対する恐れや穢れ感があった訳ではなく、腐った遺骸や結界を越えて霊が住む墓域入場にのみ恐れや穢れを感じていたと考えるべきでは。
そうでなければ、住居と墓地が隣り合わせの筈がなかろう。逝去した親族の霊と共に生きることを無上の喜びとしていたと考えるのが自然である。
移動能力を欠く人々を遺体と共に放置して移住せざるを得なかった時代を終え、皆で定住できた嬉しさの社会的表現ということ。
従って、墓地から見つかる土偶は農耕祭祀とは全く無縁と考えるべきだと思う。死んだ人々も含めた社会的な紐帯の確認と継承の儀式に使われたと見るべきだろう。
つまり、土偶は壊すことに意義がある訳ではなく、新しい儀式のために造られて配布されたので、持ち寄られた古いものは壊されただけ。現代の神社のお札も、祭祀場所に返されて焼却され、新しいお札が配布される仕組みをまもっている訳で。
思い入れがある人は、新しい像と共に古い方の破片も持ち帰ってもおかしくなかろう。
(その辺りの心情を考えると、伊邪那伎命の黄泉国訪問は過渡期的状況を描いていると言えなくもない。坂の下まで逃げて石戸で難を逃れたという話と考える訳だ。山中洞窟での風葬であり、葬儀はその前に作った社で行ったと見なすことになる。山麓には桃林があり、途中での行為とは、山に生えている植物が描かれているに過ぎない。)

さて、肝心の火に関してだが、伊邪那美~が生んだ火~は火之夜芸速男/火之R毘古神/火之迦具土であり、死の原因でもあると同時にその結果様々な恵をもたらす神々が生まれるという点でヒトの生活からすれば偉大な神である。
にもかかわらず、神生みとしては最期の〆で最初ではない。二次的な存在として扱っていそうで、複雑な思いがありそう。火葬もそんなところから来ている可能性もあろう。
火山列島に棲むようになった遠洋航海の達人である黒潮海人から見ると、噴火で大変な目にあった記憶が残っていない筈はないだろうし、長い年月の後には森を作ってくれる存在とでもあるというのに。

だからこそ、「火山」の影響が「古事記」全般で見られるということかも。但し、その表現は直截的なものではなく譬喩。
  寺田寅彦:「神話と地球物理学」1933年 @青空文庫
"きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう。"・・・その通りだと思う。

【注記】
小生は、"火"の利用こそが、二足歩行者たるヒトたる所以と睨む。それが裸体化が進んだ大きな要因かも。北京原人の焼肉跡やアフリカでも100万年以上前の猿人〜原人時代の焼けた獣骨出土品があるということで。自然"石"や木を道具として利用するのはヒト以外にもある。加工"石器使用は後世と見るから。


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