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■■■ 古代の都 [2018.12.14] ■■■
[番外-14] 墓制と「古事記」
(9:異界の力)

「古事記」の"御陵譚"を読む限り、そこは異界であり、石で結界が作られた禁足地とされているように思える。ところが、そこにわざわざ踏み込むことがあり、その結果、王権が発足する。・・・
伊邪那伎命が伊邪那美命を追って黄泉國に入ったことで生まれた3貴神のうち、建速須佐之男命と天照大御神が統治者となる訳だし、建速須佐之男命の系譜に連なる大国主命は建速須佐之男命の根の國に入ったことで王権を得ることになるからだ。

どう読もうと、国の出来始めの国生みと神生みは、結婚を切欠としてはいるものの、伊邪那美命の独り舞台。ただただ、性根遣い果たして、病で逝したのである。
女系制社会らしさ芬々。
ところが、ほとんど出番がなかった伊邪那伎命は、伊邪那美命が死ぬと俄然輝くのである。死因となった我が子を切り捨てることで神を生み、さらに黄泉國に入り込む騒動ことから3貴神を生むことになるのである。

現代感覚なら、えらく暗い話に映っておかしくない。臨床心理学者の北山修が指摘しているように、苦労した妻との約束を自ら勝手に破っておきながらそれを当然とする精神は世界的に稀な態度。
古代の観念の理解はそう簡単ではないのだ。
しかし、どうあれ、禁則地に入り込むことで、建速須佐之男命という統治者を生み出すことができたのである。だだ、スムースに王権を得た訳ではない。
父君の命に背いた上に、その傷みをグサリと突くことで怒らせ放逐されるのだから。しかも、高天原では、その地での不文律的ルールを無視した振舞いで罰を受ける。
しかし、地上で、人身御供的な信仰を断ち切って、自ら思うルールで社会を築いたのである。だからこその"スガスガし"気分であろう。

大国主命も同様に困難に遭遇し、須佐之男大神の根の國に入り、即、嫌われる訳で、困難な課題を次々と乗り越える。と言っても、常に他力本願そのもの。
ところが、突然、意を決して、神器を持ち出して娘と共に逃亡する。それによって、地上に自ら思うルールの社会を築いたのである。
ただ、伊邪那伎命や建速須佐之男命と違って御陵の記載はなく、永住場所として壮麗な大社が造営されるという話しか残っていない。
「こもる」風習があったようだから、殯の後は設定された狭い地域での散骨的風葬か、「籠」水葬が行われていたのかも。と言うことは、出雲系と見なされている四隅が目立つ墳墓は後世に突然発生したもので、過去との繋がりはないということかも。

3貴神は、建速須佐之男命だけでない訳だが、月読命については全く接触の無い異界に行ってしまったようでなんの記載もない。
一方、天照大御神は命により高天原を治めることになる。地上とはとんどかわらぬ社会にしか思えぬ風景が描かれているが、そこで王権を発揮している情景は、建速須佐之男命到来に際しての武装した姿のみ。
ところが、天の岩戸お隠れという、地上と違って死のない永遠の世界たる異界での"死"に当たる事件が勃発し、その後、活躍話が始まる。と言っても、高木の神の命や、衆議を踏まえての行動ではあるが、リーダーシップを発揮している姿が描かれていると言ってよいだろう。

このような異界譚を眺めると、後世の最重要祭祀は、墓域での統治権継承儀式ということになりそう。
継承者は死去した前任者が葬られた異界に乗り込み、戻ってくることで新たな力を授かる訳である。
前方後円墳とは、そんな施設ということになろう。当然ながら、異界であるから全面的に石で覆われねばならぬ訳で、頭領に従う人々はその石を提供した筈である。同時に神々を生んで死んでしまった地母神への崇拝も行われたと考えるのが自然であろう。

前方後円墳にしても、列石墓の時代からの墓制をそのまま引き継いだ風習にほかなるまい。社会の拡大に応じて、規格の統一と、存在を"知らしめる"ための大型化と考えれば驚くような変化ではなかろう。
おそらく、列石墓にしても、環状である必要がある訳ではなく、様々な関係勢力(クラン)がそれぞれ石を持ち寄って作った祭祀場であろう。従って、作りは簡素だが、造成にはそれなりの年月が必要であり、大型前方後円墳と基本概念は何ら変わるところがなかろう。

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