[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.12.16] ■■■ [番外-16] 墓制と「古事記」 (11:葦舟葬) 「古事記」は、国生みが冒頭に来る。すべてが嶋であり、大陸とは違うことが大前提と言いきっているようなもの。 そこでの、四国は伊豫之二名嶋と呼ばれており、伊豫國(愛比賣)+讚岐國(飯依比古)+粟國(大宜都比賣)+土左國(建依別)の四面からなる、と。(律令制下で、粟は713年に阿波と改名される。) 淡路島は淡道之穗之狹別嶋と記載されており、"粟(淡)国への道(路)"という位置付けなのは自明。 もしろん、これらは伊邪那美命と伊邪那岐命による国生みの島々だ。この名称の伊邪とは男女関係に"誘う"で、"那"は波であろうと考えられているが("阿波國の風土記に云わく、奈佐の浦。・・・海部は波をば奈と云ふ。")、それ以外に読めそうもないから妥当な見方と言えそう。 日本とは、神権叙事詩を謡う島国であるとのアイデンテイティを高らかに掲げた箇所と言えよう。 ところが、寿ぐ文章かと思うと、初子はなんと水蛭子。 現代人で感覚では、縁起でもない話に仕立ててあり、冒頭から思わずのけぞる記載になっている。 水蛭子はどう見ても国土ではないから、神生みから始めようと試みたことになり、それは成就せずだったのである。 そして最初の葬儀が行われる。もちろん、水葬。 此子者入葦船而流去 次子は、淡嶋であり、国生み。ところが、こちらも子に該当せず。 是亦不入子之例 島の誕生が、縄文海進で出現した瀬戸海のかすかな記憶を反映しているとするならば、淤能碁呂島の次ぎに出来た粟が実る島は大激流で消え去ってしまったということかも知れぬ。 国生みも神生みも、"お産"の情景を描いているのだから、水蛭子は流産と考えるべきだろう。現代とは違い、近親相姦は珍しくもなかったようだから、そのような事例は異常というより、よくあることでは。 ただ、先島地域等には、孤島に辿り着き、近親相姦に至ったとのヒト誕生譚が残っており、南方の黒潮海人と観念(最初の2回の出産は一般的にはヒトではなく、場所の変更などの対応がなされる。)を共有していると言われているから、その踏襲と考えるべきだろう。 尚、大陸南方にも、類似パターンの洪水生き残り兄妹婚神話がある。この場合、最初に生まれるのは水棲でなく陸棲動物になる。 葦舟は古代エジプトではパピルス製で、ごく当たり前の交通手段。当然ながら、インドや中国でも使われていた訳で、葦に思い入れがある日本列島の住民が葦舟を使っていなかった訳がない。葬儀も手厚くするなら、舟葬になって当然のことと思われる。 それが、日本のお棺の原点ではなかろうか。初の葬儀が葦舟なのだから。 ただ、それとは異なる発想の渡来人と混淆することで、そのような概念は消え去ってしまったと考えるのが自然だ。 そのように考えると、葦という植物を重視する気分は相当な古層精神に由来している可能性が高い。裸の二足歩行を実現し、火を使うようになった時代からのかすかな伝承の可能性も捨てきれない。 「古事記」では、ヒトは青草とされるが、出アフリカの頃の人類の感覚はヒトは葦原から生まれたと考えていたと見る訳だ。 その手の神話があろうとなかろうと、この辺りはセンスの問題。 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |