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■■■ 古代の都 [2018.12.17] ■■■
[番外-17] 墓制と「古事記」
(12:他界について)

"『古事記』作成の目的は、…天皇の権威をいっそう強め、天皇支配の正当性を歴史的に証明し合理化しようとするところにあった。"[黛弘道@「日本大百科全書」小学館]とされている。

どうあれ、乙巳の変でほとんどの書物が焼失した頃のコト。その内乱を制して即位した、有能な為政者でもある大海人皇子/天武天皇にとっては、消失した記録復活と、自身の系譜上の正統性訴求が不可欠なのは当たり前。
読者にとって注目すべきは、正式な史書が別途作成されているにもかかわらず、内容的に克ち合う書が編纂された点。しかも、威厳を感じさせたいなら正調漢語で記述しそうなものだが、それを避けた。編纂者[太安万侶]の序文は漢文なのに。と言って、表音文字で母国語一色の文章に仕上げた訳でもないのだ。文章そのものに、相当凝ったことを意味している訳だ。
そして、中身とは少々異なる印象を与えかねないガイストが「序」にわざわざ書き留められているのも面白い。
 臣安萬侶言
 夫混元既 凝氣象未效
 無名無爲 誰知其形 然 乾坤初分 參~作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖
 所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 ~祇呈於滌身


「參~」「二靈」「洗・海水」となっているので、確かに本文の要約ではあるものの、創成神話の典型パターンを記述しているようにも映る。しかし、肝心な滌身の箇所の、天照大神+月読命+建須佐之男命は"神(天ッ神)(国ッ神)"としており、正直、解ったような解らないような説明である。

太安万侶は、注意深く、日本の神話鑑賞のポイントを伝えたということでは。
当時のインテリは海外の神話もご存じだった可能性が高いと考えると、だが。・・・

呉の時代の、徐整:「三五歴紀」に収載されている中国神話では、創世神"盤古"が、卵の中身のような混沌とした状態から出現して天地開闢を成し遂げるのだ。その死後、眼から日と月、その気(息)から風雲が生成される。
 天地混沌如子,盤古生其中。
 萬八千,天地開闢,清陽為天,濁陰為地。・・・,是為人也。首生盤古。
 垂死化身,氣成風雲,聲為雷霆,左眼為日,右眼為月,・・・


卵生型創成神話はツングース(高句麗,等)や中華帝国特有。「古事記」は海人なので、そこは全く違うが、創造神の死により、眼から日と月の神が生まれ、息をする鼻から凄まじき神が出現するという点ではほとんど同じである。もしかすると、仏教経由のインド神話や、瑤族の信仰、中国北部土着伝承、等が習合したインターナショナル的な観念かも。

印欧民族たる古代インドの聖典[祭祀歌頌集]リグ・ヴェーダの「プルシャ[原人]Puruṣa」が元祖かもしれないのである。神々が供犠のために巨人を殺すと、眼から太陽、意(心)から月、息から風神が生まれるからだ。
 When Gods prepared the sacrifice with Puruṣa as their offering,・・・
 The Moon was gendered from his mind, and from his eye the Sun had birth;
 Indra and Agni from his mouth were born, and Vāyu from his breath.

  [Book 10 tr. by Ralph T.H. Griffith@1896]

インテリの最高峰でもあったろう太安万侶は、そこらに気付いたのでは。そして、「古事記」のあり方を考えたのである。

リグ・ヴェーダは確かに神話集そのもの。文字化されてはいるものの、即興的に言語的に美しく謡うからこそ、古代の息吹を伝えることができる"作品"だ。しかし、現実には、おそらく暗記で手一杯。大部の上、お話はバラバラだからだ。そのため難解で、筋はあってもその意味が皆目解らなくなってしまった。祭祀家の様々な伝承を集めて残すだけでは、古代精神は伝えることはできないことがよくわかる。ただ登場してくる古代神はバラモン教に信仰対象として起用されて生き残った。そのかわり、誕生時の背景を失ってしまったから、バラバラな昔物語の主人公でしかなくなってしまった。
これがさらに進めば、選別され、磨かれ、出自不明で思弁的な"神々しさ"だけが目立つ姿になってしまう。もともと神が生きていた場の臨場感を感じさせるものであった歌謡も、「詩経」のように、”美しい”断片だけがピックアップされることになる。結果、表面的鑑賞しかできなくなり、底に流れていた古代精神はトレースさえ難しくなる。

これを避けたいなら、神権政治の”歴史的"流れのなかでそれぞれの神話を位置づけ、文字として歌謡を残しておく以外に手はなかろう。それこそが、太安万侶の意図とは言えまいか。

そう考えると、禁忌である墓域訪問の後の「襖ぎ」譚こそが「古事記」の"肝"と言えそう。
 十四島三十五神を生んだが、結局、伊邪那美~は神避。
  葬 出雲國與伯伎國堺 比婆之山也

世界の創出神は存在せず、創世期の神は宇宙から自然に生成し、海人的な男女神交合による出産神が国土と様々な神を生むというのが日本語圏の神話の一大特徴。そして、いかにも火山列島らしく、火のお蔭でその神は死ぬのである。その墓域は出雲に近い地。(有力比定地は、巨石がある円丘@庄原[1264m]と、柱状節理箇所にほど近い山頂古墳(比婆山久米神社)@安来 伯太[331m]。)
古代から、そこらが神が他界に行く入り口と見なされていたのであろう。日本列島の臍のような位置とみられていたのかも。その後の出雲の国譲りとはそのような神々の地の終焉を物語っているとも言えそう。「襖ぎ」とは、それを予期させるような行為でもある。3貴神は、創成神の婚姻・出産ではなく、腐乱した遺骸の汚穢的残滓の清水による再生で生まれたのだから。3貴神誕生は、死して食料に変わることもない、日本的地母神の時代が終わったことを示しているとも言えよう。

つまり、「妣國」、「根(之堅洲)國」、「黄泉國」は多少の違いはあるものの、「常世」あるいは「あの世」と全く同じ"他界"概念と考える訳だ。言うまでもないが、現代ではさらに日本仏教の「極楽」や「浄土」までもがここに加わっているし、キリスト教用語の「天国」までもが同類とされている。
(南島信仰の"ニライカナイ"を"根の国"と同一との柳田國男の主張はもっともな話。そこはグソー(後世)の地なのだから。ニライカナイ=ニーラカイ=根界=根の国=魂再生の聖地ということ。その元は、ニスマ=根の島=魂が去来する聖地だろう。)
これこそが、「日本語圏」の人々がこだわり続けている死生観そのものと言えよう。
キリスト教やインド仏教とは、根本的に相容れない思想である。

例えば、キリスト教の「天国」とは「あの世」ではないが、対立を和らげるために、日本では概念が勝手に変えられてしまう。
「この世」に神が降り立ち、すべての死者と生者に対する「最後の審判」が行われ、祝福された人々だけが永遠に生き続ける地こそが「天国」である。そこは死者は復活して生者となり神と共に生きるのだから、敢えて言えばあくまでも「この世」。勿論、罪深いと見なされれば地獄行となる。ココこそが聖書信仰の核だ。拡大解釈の余地はない。終末の日まで、死者は復活を待ち続けるだけ。死した魂は肉体に宿らなければ価値は無い。死者の行く「あの世」は、たとえ存在したところでなんの意味も無い。

インド仏教の六道輪廻の「天界」も「あの世」や「極楽浄土」ではない。「彼岸」の説明が面倒なので「あの世」と呼ぶが、それはインド仏教では有り得ない概念である。
インドの他界観とはあくまでも輪廻。死とは魂が肉体から遊離する現象でしかなく、早晩、新たな肉体を獲得することになる。それ迄の期間や獲得対象については様々な考え方はあるが、魂が「あの世」に行く訳ではない。釈尊は、輪廻からの解脱を究極の目標とした人であり、それが成功すれば涅槃の境地ということに。
言うまでもないが、日本仏教はこのようなインドの輪廻的他界観を捨て去り、「死ねバ皆仏」を基底の死生観にしたから定着できたのである。太安万侶はそうなるとは予想だにしなかったに違いない。だからこそ、「古事記」には全く仏教色が無いのである。

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