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■■■ 古代の都 [2018.12.21] ■■■
[番外-21] 墓制と「古事記」
(16:副葬品"矛")

遺跡からは武器/武具類が出土するが、その大部分は古墳から。
ところが、戦闘機能を欠く非実用品の青銅器が少なくない。

埋葬方法にしても、被葬者近辺に置かれ、いかにも生前の保有物らしきモノもあれば、象徴的に多種少量の1セットを並べていたり、同一タイプを大量に置いたりと、目的が違いそうな埋葬パターンが見受けられる。
棺内身近品にしても、故人が異界で使うためか、現世に取りに戻られてこまるから埋葬したのか定かでないし、準レガリア的な身分象徴品だったり、被葬者近親者の血族の紐帯に関係するモノの可能性も考えられる。
棺外品に至っては、遺骸を外部から防衛する目的なのか、死霊による生活域への祟りに対する障壁の役割か、相反する意味がありえるが、判断はつきかねる。
それに、属している社会との関係も考える必要があろう。軍事組織の長だったりすれば、殉死代替の弔意的供物かも知れないし、功績をたたえるための行事用品かも。
さらには、墳墓域埋葬とはいえ、別箇所に大量埋葬される場合があり、こうなると葬儀に直接関係していると言いきれなくなる。・・・
はっきり言って、皆目わからないのが実情。しかし、そう言ってもいられないから、それなりの推定がなされる訳である。

このうちの【銅矛】について見ておこうと思う。

言うまでもないが、下記に示すような形態の武器群に所属するが、青銅器の出土品は戦闘機能を失っている形態のものがほとんどである。
 /鉾…長柄を袋状部分[]に装着する穂型の突き刺す武器。
 薙刀…手鉾の発展形とさているが、旧名は長刀。
   太刀の柄を長くしたと見た方がよさそう。(武芸として剣道と並んで成立しているから。)

 /鎗…長柄に金属を挿入する突き刺す武器。
 /鉞/戚…長柄[]に先端が尖った刃部[援]が長柄に直角につく。
   その基部[内]の小孔に目釘で長柄を留めて固定。
   回転力で引き斬る鳶口的武器である。戦車切込みに都合がよい。
   基部の柄に沿った部分を長くし[胡]刃を広げた改良品もある。

 …三つ叉の矛。戈+矛だろう。
 モリ…矛あるいは槍的な刺突漁具。
   穂先に喰い込んで外れないような返し[顎]を付ける場合が多い。
   これが無いと武具と区別はつかない。

 /ヤス…柄が竹筒の小型銛。
 カギ…ひっかける鉤を長柄に付けた漁具。

そうなると、"ホコ"は"穂凝"という扱いかも。威嚇的武具と言うよりは、防衛的な"保古"を示す威儀用具として用いられているのではなかろうか。
黒潮海人の用具だとすれば尚更で、銛=矛と考えるべきかも知れない。もちろん「古事記」の最重要シーンを考えての話。
天沼矛
陸地が生まれるシーンは矛から。
強烈な日差しに晒された海水が滴り落ちて泥塩になる様が描かれている訳だが、珊瑚礁の白砂でできた小島の風景を連想させる。
  修理固成 是 多陀用幣流之國
 賜天沼矛
 指下其沼矛
 以 畫者
 引上時 自其矛末垂落 之 鹽累積
 成嶋

海面に挿し入れた矛を動かして、線条のような痕跡を一時的に残しながら、矛の先から滴り落ちた海水を眺めていると、次第に水が蒸発して塩が残り、固まって陸地ができたという描写だ。美しい叙事詩に仕上がっている訳だ。
つまり、日本列島に於ける"矛"とは、沼様なドロドロした状態に挿し入れて掻く道具ということになる。これこそが海人の神器と高らかに謡っている訳だから、明らかに武具ではない。武闘を暗示させる必要もなかろうし。

しかしながら、大陸での統治者レガリアとしては、殷(商)代から武器だったのだから、そうならざるを得まい。日本列島で選ぶなら、矛になるのは当然と言えよう。
○(八千矛神)
神権政治の流れのなかで"始作國"の神が八千矛神/夜知富許 能 迦微とされる訳だ。
金色に輝く矛の群れが現れれば、それだけで畏怖感が生まれたということではなかろうか。武器としての実用性がなくとも、八千矛とは、強力な戦闘集団の存在を示唆しているのだから。侵攻時に多少の小競り合いはあったに違いないが、武器を豊富に所有していそうな侵攻勢力と全面的に戦えば滅亡のリスクにさらされるのは間違いなく、複雑な思いはあったものの、八千矛神との婚姻を受け入れて従うしかないだろう。
ここにおいて、大国主命の神器として、矛の地位が確立したと見てよかろう。
しかし、その後の国譲りに当たっては、命令に従うと断言したものの、神器たる矛は献上しなかったようである。
 此葦原中國者隨命既獻也

従って、天皇が、実権を喪失し祭祀権のみになった大国主命末裔勢力の力を活用する際には、新たに、矛が不可欠となる。但し、矛と楯の一式になったりはするが。
●宇陀墨坂~祭赤色楯矛+大坂~祭K色楯矛
御眞木入日子印惠命の時代は疫病大流行。そこで、建甕槌命の子 意富多多泥古を探し出し、大物主大神を祀らせて対処したのである。
 以意富多多泥古命爲~主 而 於御諸山 拜祭 意富美和之大~前・・・
 又 於宇陀墨坂~祭赤色楯矛 又於大坂~祭K色楯矛・・・


もともと、大国主命が平定した地域は日本海側中心だが、北方内陸部への影響力も大きかったから、神器たる矛の力への期待感も小さなものではなかったようである。
●比比羅木(柊)八尋矛
12代天皇は、倭建命の東征を命ずるに当たって矛を下賜。
 天皇亦頻詔倭建命
 言向和平東方十二道之荒夫琉~及摩都樓波奴人等
 而 副吉備臣等之祖 名御友耳建日子而遣之時>
 給 比比羅木之八尋矛

おそらく、倭建命譚が、後世の武将が"鉾立"する習わしの元祖であろう。桙衝神社@福島 須賀川桙衝亀居山にそのような伝承があるようだ。

この場合、征服話だから、矛は戦闘用具と考えがちだが、多分そうではない。丁度同じ時期に、神器的に扱われた情景が描かれているからだ。
多遲摩毛理四矛2組
橘の実を採って矛を持って来る間に既に天皇崩御。皇太后と御陵に矛を献その上し、号泣して逝去とあいなる。
 多遲摩毛理遂到其國採其木實
 以縵八縵矛八矛將來之間 天皇既崩
 爾 多遲摩毛理 分縵四縵矛四矛獻于大后
 以縵四縵矛四矛獻置天皇之御陵戸而フ其木實
 叫哭以白
  常世國之登岐士玖能迦玖能木實持參上侍
 遂叫哭死也

橘の実を矛に挿して、皇太后献上の上、天皇陵にも同じモノを、都合、8ツ捧げたのである。
橘の歌一首、また短歌[「万葉集]巻十八#4111]
 田道間守 常世に渡り 八矛こ持ち 参ゐ出来しとふ 時じくの 香久の木の実を 畏くも 残し賜へれ・・・

■曾婆訶理の矛
もちろん単なる武器であるのは間違いなく、位を得るという甘言で、主を殺してしまう隼人の話も収載されてはいるのだが。
 曾婆訶理 竊伺己王入厠以矛刺而殺也

○新羅国主王子の名"天之日矛"
天之日矛持参品に神器矛は入っていないのは、そもそも矛たる王子が渡来したということか。ここでは、矛がやって来るという話が人々の心にしっくりくる点に注目したい。
 昔 有新羅國主之子名謂天之日矛 是人參渡來也・・・
 其天之日矛持渡來物者
  玉津寶云而珠二貫又振浪比禮
  切浪比禮振風比禮切風比禮又奧津鏡邊津鏡八種也

矛が太陽神の依代であることも意味していそう。

実は、勝手に、"依代"と決めつけている訳ではない。「古事記」に"玉(≒魂)矛"が登場するからだ。"〜道"とされる収載歌数は総計で30を越す。その【玉矛の】だが、"道"の神(他に, 里, 手向)の枕詞とされている。例えば、こんな具合。
藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌[巻一#79]
 ・・・玉ほこの 道行き暮らし 青丹よし・・・
右、大伴宿禰池主が報贈ふる和歌。五月二日。[巻十七#4009]
 玉ほこの 道の神たち 幣はせむ 吾が思ふ君を なつかしみせよ
この手の歌を眺めていると、矛とは、潮が太陽に照らされて陸地が生まれた譚に由来する日の魂の依代と見なされていたのではないかと思えてくる。
従って、知らぬ土地への道行には、矛を杖のように携行するのが当たり前だったのでは。一方、土着民からすれば矛を持つ渡来者とは異界の美しき神であり、歓迎するのが習わしだったという気もしてくる。

副葬品として矛が入るということは、異界へ旅立つ死霊の杖になるということではなかろうか。そこに、武器のセンスはほとんだ無いことになる。

そんな風に考えると、鳴器たる銅鐸の意味も想像がつく。

鳴らさない農業祭祀器具との説が主流だが、小生はそうは思わない。舌は金属ではなく、木製だっただけで、音を出したと考える。大型になったのは、武器類再鋳造で原材料が膨大になっただけのことで、鳴器としての本質が変わったとは考えないのである。基本、音器で、純然たる神器ではないと見る。従って、贈与も多かったろうし、常時飾る必要もないから、大型品の場合は、その黄金色を保つために潜に埋めるのが普通だったろう。
要するに、小型は道行側が矛に着けて携行し、鳴らす音器ということ。これに対して、大型は渡来者受け入れ側が歓迎のために鳴らす音器となる。
(鳴器としては、鐸の他には、鈴、鐘、鼓、鐃、鉦があり、銅鐸は大型鈴的に使われたのだと思う。神の呼び出し品たる鈴は純然たる神器とは違う。)

但し、矛と銅鐸が共に知られぬように埋納されている場合は、八千鉾の神的な一種の威儀用の意味があったと考えれるから、侵略者を防ぐ境界用祭祀が行われた可能性が高かろう。

突然、矛の話から、銅鐸に移ったので唐突に映るかもしれぬが、そう考えるのは、ほんの小さな祭祀例を見てのこと。・・・
御柱祭で有名な諏訪大社には正式には本殿が無いようで、樹木信仰が根底にありそう。樹木を尊ぶ行事が別途あったからでもある。神使廻湛[タタエ]は、高鉾に鎖でぶる下げた截頭円錐形の鉄鐸を鳴らし、ご神木を巡るのである。 [→]
その意味は伝わっていないものの古い行事であるのは間違いない。次のような天の岩戸の別伝もあることだし。[斎部広成:「古語拾遺」@807年]
 于時 天照大神赫怒 入于大石窟 閉磐戸 而 幽居焉。
 爾 乃六合常闇 晝夜不分。・・・
 令天目一筒神作雜刀 斧及鐵鐸
[佐那伎さなき]。・・・
 令天鈿女命・・・手持著鐸之矛
 而於石窟戸前覆誓槽
 舉庭燎 巧作俳優 相與歌舞。

(尚、小野神社@塩尻には12個1連の鉄鐸が吊るされた鉾が所蔵されており、御柱祭にあたっての行事に使用される。)

   表紙>
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