[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 古代の都 [2018.12.25] ■■■
[番外-25] 墓制と「古事記」
(20:伊都之尾羽張)

副葬品としての、鏡・剣・玉の組合せは、"弥生時代の墳墓や古墳に広汎に見られる。

"古典の記述と併せて、これが古代王権のシンボルとして一般的"[「国史大辞典」さんしゅのじんぎ]なものであり、各地の首長クラスの共通的な風習だったとされている。
日本列島で、銅器と鉄器が使用され始めた時期はほとんど差がないようだが、剣については、最初が銅器で、中期後半にそれがすべて鉄器に代替されていくという流れだったようだ。少数ではあるものの、代替品は木製や石製のこともあったようだ。
ただ、剣と称されてはいるものの、短いものは柄に取り付ければ槍になるから、矛のように使われた可能性もなきにしもあらずだが、「古事記」では当初から、矛と剣は別扱いのようで、剣はもっぱら斬る機能を発揮するモノということで、長さが握り拳で10ほどとわざわざ記載しているから、帯剣姿を基本形としているようだ。

「古事記」に最初に登場する剣は、生まれた自分の子を斬るのに用いられ、地上に武力的に君臨するシンボルとしての剣ではない。
伊邪那岐命の十握剣/天之尾羽張/伊都之尾羽張
 伊邪那岐命 拔所御佩之十拳劒
 斬其子迦具土~之頸

・・・ということで、迦具土の体はバラバラに切り刻まれてしまう。岩火雷信仰を示唆していそうな箇所である。山の神が並ぶということは、8島は噴火する火山のだらけという様相を暗示しているかのよう。注意すべきは、大陸とは違って、星信仰とは全く無縁そうな神々が並んでいる点。
 [血から8柱]
  石拆~、根拆~、石筒之男~
  甕速日~、樋速日~、
建御雷之男~/建布都~/豐布都~
  闇淤加美~、闇御津羽~

 [体から8柱]・・・山津見神
  正鹿、淤縢、奧、闇、志芸、羽山、原神、戸

この剣は、他の神の依代ではなく、その威力そのものの"神"。モノに霊が籠るのではないようだから、アニミズムではなくマナイスムということになる。
しかし、全体を見れば、"火"に対する畏怖感とは"雷"由来であることが語られている訳で、その暗喩的存在が"剣"らしいと感じるように記載されている。いわば、"血を見ることになる剣"の製造過程でソコに霊魂が籠められていく様子を分解して描いたともいえよう。
渡来金属器の威力を知り、新たな信仰が生まれた訳だ。

その後に、黄泉國の死せる伊邪那美命を訪問し、穢らわしいということで逃げ帰るが、軍勢に対抗するために、武器として剣が使われる。しかし、それで敵を斬る訳ではない。この場合の剣は武力として価値がある訳ではなく、呪術的威力発揮を促す祭祀器といった風情。
八雷~の軍勢に対抗できる、雷威力を持った自分の剣を示し、その力で呪力を次々と引き出したということのようだ。

 且後者 於其八雷~ 副千五百之黄泉軍 令追
 爾 拔所御佩之十拳劒
 而 於後手布伎都都 逃來


そもそも青銅器は、薄くすれば物理的に脆弱であり、接近戦闘では銅剣は簡単に折れがち。太い突刺武器や重厚にした打撃武器として使うしかない。そのような戦闘が多かれば、鉄と違って錆びることもないから意味があるが、箱庭的国土だからそれが向くような大規模戦争は少なかったと思われ、日本では銅剣は当初から、武器としての機能は期待されていなかったのではなかろうか。従って、以後、さらに武器的スタイルから遠ざかり、黄金色に輝く点を強調するだけの広型形状になっていったのは必然だろう。

この剣の神が、国譲り要求部隊編成譚で再び登場する。
つまり、その後、剣を特別に神聖視する観念にまで昇華したということ。これは、現代に至る日本刀の審美雁に繋がっているのだろう。その辺りをして、ナイーブな感性と指摘したのは和辻哲郎だったか。
(伊都之尾羽張~ & 建御雷之男~)
 於是天照大御~詔之 亦遣曷~者吉
 爾 思金~及諸~白之
 坐天安河河上之天石屋名伊都之尾羽張~ 是可遣
 若亦非此~者 其~之子建御雷之男~此應遣
 且其天尾羽張~者 逆塞上天安河之水
 而 塞道居故他~不得行 故 別遣天迦久~可問
 故 爾 使天迦久~ 問天尾羽張~之時
 答白
  恐之仕奉 然於此道者 僕子建御雷~可遣 乃貢進
 爾 天鳥船~ 副建御雷~而遣

建御雷~の十掬劒
 天鳥船~ 副 建御雷~ 而遣
 是以 此二~
  降到 出雲國伊那佐之小濱
  而 拔十掬劒 逆刺立于浪穗 趺坐其劒前
 問其大國主~言

(建御雷之男~)
 其建御名方~千引石フ手末
 而 來 言 誰來我國而 忍忍如此物言
 然欲爲力競
  故 我先欲取其御手
  故 令取其御手者
   即取成立氷 亦取成劒刄
  故 爾 懼
 而 退居
  :
 故 建御雷~返參上
 復奏 言向和平葦原中國之状


出雲勢力は剣の威光にひれ伏すしかなく、"言向和平"で国譲りは成功裏に幕となる。この剣は、あくまでも1柱の天ッ神だからか、現物の剣が伝承していないせいかはわからぬが、神器には選ばれない。
と言うことは、副葬品の剣は、この類縁ではないということだろう。

この建御雷神は東征で窮地に陥った際の話にも登場する。神熊が出現したので、剣神を降下させたのである。
建御雷神の佐士布都~/甕布都~/布都御魂
 大熊髮出入髪失・・・
 御軍皆遠延而伏
 此時 熊野之高倉下 一横刀到於天~御子之
 伏地而獻之時 天~御子即寤起詔長寢乎

高倉下が見た夢によれば天照大~と高木~が建御雷神に降臨を命じたが神刀だけで十分と。
 僕雖不降專有平其國之横刀可降是刀
   <此刀名云 佐士布都~ 亦名云 甕布都~ 亦名云 布都御魂 此刀者坐石上~宮也>

"布都"とは刀剣の擬音とされている。病魔に襲われた状態から抜け出ようということで、"お祓い"が必要となり、刀剣を振り回す儀式が行われたという意味なのだろう。
石上神宮@天理 布留山北西麓に納められているとの注がある。
武器庫かつ宝器貯蔵庫といった風情を醸し出している地である。[11代]伊久米伊理毘古伊佐知命の御子は十六王。そのなかの印色入日子命(旦波の比古多多須美知宇斯王の娘 氷羽州比売命が母)は横刀を作ら令め、石上~宮に奉納との記載がある。・・・
横刀壹仟口
 印色入日子命者 作血沼池又作狹山池 又 作日下之高津池
 又 坐鳥取之河上宮
 令 作横刀壹仟口 是奉納石上~宮 即坐其宮
 定河上部也


   表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com