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■■■ 古代の都 [2018.12.26] ■■■
[番外-26] 墓制と「古事記」
(21:都牟刈之大刀)

剣は切り殺す殺戮の武器であるが、御子を殺すという、いわば自刃的行為であるから、神剣としては今一歩だ。しかも、この行為から直接的に天皇の系譜に繋がる神が成る訳ではない。3貴子誕生はあくまでも黄泉國の穢れに由来するのである。父母神のお蔭ではあるものの、系譜的に繋がっているとは言い難い。

ところで、系譜に直接繋がる御子誕生は物實たる"八尺勾玉之五百津之美須麻流珠"由来。速須佐之男命と天照大御~の誓約で、剣と珠を互いに交換し神を化生させた結果である。
"十拳劒"の方からは、"吹棄気吹之狹霧"で3女神が成る。この剣、伊邪那岐命持ち物と同名だが、父から見放されたのだから貰える筈がなく、一般名と解釈するしかない。
天照大御~が噛み砕いてバラバラにするのだから、物理的に脆い銅剣だったに違いない。イメージ的には、剣が男を示しており、女神がそれによって御子を産んだということになるが、そのような関係は禁忌に触れるかも。
建速須佐之男命の十拳劒[I]
 天照大御~ 先乞度建速須佐之男命所佩十拳劒
 打折三段 而 奴那登母母由良邇振滌天之眞名井
 而 佐賀美邇迦美・・・


その後、建速須佐之男命は大暴れして罰せられ、出雲国 肥河上流の鳥髪に降臨し大蛇退治を行うことになる。
一般的には、王になる英雄譚に登場する神剣とはこのタイプ。
十拳劒だ。邪悪な停滞者に対しては容赦せずに斬り捨てるとの思想性を反映した剣と言ってよいだろう。よく知られているから、なにげなく読んでしまうが、荒ぶる大蛇を従わせるのではなく、最初から亡き者とするという姿勢で臨んでいる姿が描かれている点が特筆モノ。
登場する生贄の父母である足名椎命と手名椎命は、その意味からして、肥の川に棲む蛇トーテム族と思われるからだ。つまり、古来からの蛇神信仰を切り捨てる決意をもって行動していることが示されていると見て間違いないだろう。畏怖の対象であった歴史的に古い神であっても、邪悪と見なしたら放置せずに抹殺するとの思想が根底に流れている訳だ。
換言すれば、蛇神は唾棄すべき対象であり、その役割を担うのが神剣ということになろう。
従って、神剣としては、退治に当たって使用した剣より、退治された大蛇が持っている剣を所有することの方が価値が高かろう。
速須佐之男命の十拳劒[II]+都牟刈之大刀/草那藝之大刀
 其八俣遠呂智信如言來 乃 毎船垂入己頭飮其酒
 於是飮醉留伏寢
 爾 速須佐之男命 拔其所御佩之十拳劒
 切散其蛇者肥河變血而流
 故 切其中尾時
  御刀之刄毀
 爾 思怪以御刀之前刺割而見者
 在 都牟刈之大刀
 故取此大刀 思異物而
 白上於天照大御~也
 是者草那藝之大刀也


この大蛇退治譚は、蛇信仰を表舞台から消し去る話でもある。そういう意味で、大まかな筋は「捜神記」巻十九 東越中と似ている点があるのは確かだ。人身御供役を言い出て大蛇を切り殺した娘が、越王に后として召されるのである。ただ、神剣は登場しないが。(比較神話学では、ギリシア神話の、ゼウスの子ペルセウスが自ら生贄になろうとしている王女アンドロメダを怪物から救った話に見られる典型的英雄譚として分類されるが、背景無しでこの程度の類似性を議論しても得られるものは少なかろう。)
蛇退治譚と見るなら、漢王朝高祖劉邦の斬蛇剣(銅剣)の影響を受けているとも考えられる。(白帝の子たる大蛇を斬った剣を所有したことで天下を取った。)

そんな風に考えると、各地区の墳墓副葬品に剣がでてくるのは、蛇信仰を克服したということかも。

【注】
剣/劔/劒[つるぎ:岐/藝]は原則的には両刃の武器を指す用語。片刃[かたな]はもともとは太刀[たち]と呼ばれていたが、後世用語として"つるぎたち"が使われているので太刀は広い概念の可能性もある。両刃の特徴は、剣先が菖蒲(尚武)の葉型という点と、身の中央鎬の両側に溝[樋]が作られている点。
銅剣の出土品は身の大きさで分類[細形、中細形、平形/広形]されており、時代的には、それぞれ弥生の前・中・後期に当たるとされている。細形銅剣はママ渡来型だが、広型銅剣は固有型である。広型になると当然ながら実用性はほとんど失せるが、細形銅剣だと、ヒトに刺さっている例があるので戦闘用にも使われたと見なされている。(刺さった部分の残りが副葬されている例があるので、祭祀行為の可能性もある。)


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