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■■■ 古代の都 [2018.12.31] ■■■
[番外-31] 墓制と「古事記」
(26:皇位継承争いの刀)

なんといっても凄まじいのが、16代〜20代の皇位継承争い。
殺戮に使用された刀は、はたして御陵に埋葬されたのだろうか。・・・

儀仗用と実用性高い武器とが峻別され、ここらあたりから、埋葬は前者のみになったのではなかろうか。

[16]大雀命と石之日売命の皇子間の抗争は激烈。
第一皇子が皇位継承[17 大江之伊邪本和気命]したが御殿に放火され、かろうじて逃げ延びる。そこで、同母の第三皇子[18]水齒別命に対し、その兄の謀反人 墨江中王を殺して、邪心無き事を示せと伝える。そこで、指示に従い、兄の側近警護役の隼人を甘言で取り込み、主人を殺させる。さらに、約束通り位階授与式を挙行と称し宴席を設け、反逆者として斬殺し一件落着。結果、天皇面会がかなう。結局、兄弟継承となる。
《水齒別命の謀》
席下之劒
 雖報其功滅其正身・・・
 其隼人賜大臣位百官令拜 隼人歡喜以爲遂志
 其隼人飮時大鋺覆面
 爾 取出置席下之劒 斬其隼人之頸
 乃明日上幸
 故 號其地謂近飛鳥也


第四皇子[19 男浅津間若子宿禰命]の御子間抗争も又激烈。
《皇太子(木梨軽皇子)は近親相姦で廃位、自害》
《連れ子目弱王[7歳]により[20 穴穂命]天皇[56歳]斬殺》
天皇御寝の傍の太刀
 天皇不知其少王遊殿下 以詔
  吾恒有所思
  何者汝之子目弱王成人之時 知吾殺其父王者
  還爲有邪心乎
 於是 所遊其殿下目弱王聞取此言
 便 竊伺天皇之御寢取其傍太刀

《皇子[21]大長谷王による兄殺害》
打殺刀…兄(境之黒日子王)を殺害
 大長谷王詈其兄言
 一爲天皇一爲兄弟何無恃心 聞殺其兄不驚而怠乎
 即 握其衿控出拔刀打殺

生き埋め…兄(白日子王)を殺害
《大長谷王臣の家に逃げ込んだ目弱王を追撃》
都夫良臣の刀…逃げ込んだ王子、臣に斬殺させ、臣は自刃
 力窮矢盡白其王子
 僕者手悉傷矢亦盡今不得戰如何
 其王子答詔
 然者更無可爲 今殺吾
 故以刀刺殺其王子 乃切己頸以死也

[17 大江之伊邪本和気命]の御子は狩で射落とし斬殺し遺骸を斬葉桶に入れ埋像》
切身の刀
 忽之間自馬往雙拔矢射落其忍齒王
 乃亦切其身入於馬與土等埋

《大長谷百枝槻の下での宴で不仕付けな行いをした采女を斬殺寸前で赦免》
將斬之刀
 天皇看行其浮盞之葉 打伏其
 以刀刺充其頸將斬之時
 其白天皇曰
 莫殺吾身 有應白事・・・


悪辣非道で暴虐を尽くしたかのよう行為がこれでもかと続く天皇であり、尊敬語的用法が欠けた記述が多いが、だからこそ"大王"そのものという根本論理がありそう。収載されている歌から見ての話。・・・
 天皇歌 曰
  毛々志記能 淤富美夜比登波 宇豆良登理
 [百礒城の 大宮人は 鶉鳥]
  比禮登理加氣弖 麻那婆志良 袁由岐阿閇
 [領巾取り懸けて 鶺鴒 尾行き和へて]
  爾波須受米 宇受須麻理韋弖 祁布母加母
 [庭雀 髻華住まり居て 今日もかも]
  佐加美豆久良斯 多加比加流 比能美夜比登
 [酒御付くらし 高光る 日の宮人]
  許登能 加多理碁登母 許袁婆
 [事の 語り事も 此をば]
天語なのである。

現代の感覚では、殺伐した雰囲気の時代と見なすことになるが、あっけらかんとした殺しにすぎないと言えないこともない。21世紀でも、そのような風土の国家は実は珍しくない訳なのだから。
ただ、太安万侶にしても、かなりノスタルジーを感じる部分だった可能性があろう。言ってみれば、叙事詩として描くに足る最後の社会だったことになる。
「万葉集」の冒頭[巻一#1]に収録された、春菜摘みの乙女への求婚歌は大長谷王の御製だが、そんな風情を醸し出している。
泊瀬の朝倉の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 天皇の みよみませる御製歌
  籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち
  この丘に 菜摘ます子 家告らせ 名のらさね
  そらみつ 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ
  しきなべて 吾こそ座せ 吾をこそ 夫とは告らめ
  家をも名をも

権力者ならではの実に大胆そのものの求婚。なにがなんでもあなたが欲しいと一直線に言い出した歌でもる。しかし、敬語を用いることで、荒くれた強引さは微塵も感じさせないように仕上がっている。これではプロポーズから逃れるのは難しかろう。
喜怒哀楽の極を見せる、この天皇にしてこそできる歌として伝承されてきたのだと思う。
自分の心根さえも対象化し、高所からそれを眺めることを不思議とも思わない現代人のセンスではその辺りの感覚はおそらくわかるまい。「古事記」はその辺りにとことん拘って編纂されている書なのである。

   表紙>
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