→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.2.22] ■■■ [52] 継承ルール変更と鎮護仏教化の切れ目 ただし、尊名不記載ではあるものの、系譜上に34代天皇が存在している。後代の祖に当たるのだから、御子迄収載して完了としてもよさそうなもの。 しかし、承継様態で上・中・下巻の切れ目を設定しているとすると、そうするしかないということかも。 はっきりしては殷あいが、以下を示唆しているようにも見えるからだ。 上巻…様々な継承パターン(天皇以前) 中巻…男子直系(天皇制萌芽期) 下巻…兄弟継承完了後に次世代継承の原則(天皇制) 後代…皇族より血統と影響慮kで選定 要するに、30〜33代は、29代の子が近親婚継承しているのだが、34代は突然にして曾孫になるということ。・・・ (但し、太安万侶は用意周到。ここらだけ、皇位存続期間の注的記述をしているのだ。前代までで長期間に渡ったため、29代の皇子相続が完了した時点で、孫世代の相続対象者が見つからなくなってしまい、曾孫世代から選ぶしかなくなったと示唆している訳だ。) [29]天皇 [29-1]3柱⇒[30]天皇 [29-1-1]8柱 [29-1-2]2柱 [29-1-3]3柱 [29-1-3-1]3柱⇒[34]天皇 [29-1-3-2]2柱 [29-1-3-3]2柱 [29-1-3-4]4柱 [26-2]1柱 [29-3]3柱 [29-4]13柱⇒[31]天皇, [33]天皇 [29-4-1-1]1柱 [29-4-1-2]4柱 [29-4-1-3]2柱 [29-5]5柱⇒[32]天皇 さらに、34代の承継者は、出自がはっきり書かれていない皇后である。しかも弟に譲位し、崩御したので重祚するという異例づくめ。皇子ではない天皇が続いたことになる。 巫女として顕著な霊験ありということで、古代の仕組みが戻って来たのだろうか。さらに、古代はタブーどころか、貴種存続風土で好まれたていた、近親婚も行われた。 ともあれ、継承ルール無し状況と言ってよいだろう。 理由はどうあれ、37代と38代の間には空位期間も生じており、「古事記」下巻の系譜状況とは全く異なっているのは確か。 同じような調子で系譜は記載する訳にはいきませんナ、という太安万侶の考えが表れているととってもよいかも。 「日本書紀」を見ると、明らかに皇位継承の殺戮合戦の時代であり、ルールも何もないのだから、ハイライトシーンを書く気もしなくなっただけとも言えそう。どう見ても。天皇暗殺でさえ、何時あってもおかしくない雰囲気なのだから。仏教祭祀を巡る戦いとされていても名目的にも映るほど。 そうなると、温故知新でもなかろうが、巫女的女王を戴いて、姉弟による政祭分離統治により、倭国大乱が収まったことに習い、特殊な状況に入ったということだろうか。(尤も、大乱沈静化は、中国の史書ベースの情報しかないが。) 一方、仏教にはなんら触れない古事記だが、それなりの見方はある筈だ。「今昔物語集」では仏教定着の端緒は聖徳太子とされているが、系譜は覇権争奪戦により途絶えているし、仏教の最初の公的プロモーターだった蘇我本家も滅亡。 太安万侶は、これらの流れについて全くふれていないから、廃仏と崇仏の戦いではないと見ていた可能性も高そう。仏教定着の役割を担ったのは、34代天皇ということでもあろう。ここで、鎮護仏教体制化が始まったということ。 情緒的には、蘇我氏が私寺開基という事績を重視したくなるが、仏教の時代は34代から。 ○蘇我稲目(@[28]宣化天皇→[29]欽明天皇) ├┬・・・ ○蘇我馬子(@[30]敏達天皇→[31]用明天皇→[32]崇峻天皇→[33]推古天皇) │△蘇我小姉君/[34]欽明天皇妃 ○蘇我蝦夷/豊浦大臣(@[33]推古天皇→[34]舒明天皇→[35]皇極天皇) ├┬┐ ○蘇我入鹿(@[35]皇極天皇) ┼○物部大臣 ┼┼△手杯娘…[34]舒明天皇妻 (推定埋葬者:馬子⇒石舞台古墳[方50x50m]@明日香) (埋葬者:不詳⇒小山田遺跡[方50x50m以上]@明日香) ----- 系譜 ----- ●[29]天国押波流岐広庭天皇@師木島大宮/欽明天皇 │ (御陵不詳---平田梅山古墳[前方後円]=檜隈坂合陵@明日香) 1 └┬△石比賣命(檜坰;天皇[28]の御子) ┼├┬┐ ┼○八田王 ┼┼●[30]沼名倉太玉敷命@他田宮/敏達天皇 ┼┼││ (御陵:太子西山古墳[前方後円]=川内科長@太子) ┼┼│○笠縫王 ┼┼1 ┼┼└┬△豐御食炊屋比賣命(庶妹) ┼┼┼○靜貝王/貝鮹王 ┼┼┼○竹田王/小貝王 ┼┼┼○小治田王 ┼┼┼○葛城王 ┼┼┼○宇毛理王 ┼┼┼○小張王 ┼┼┼○多米王 ┼┼┼△櫻井玄王*↓ ┼┼2 ┼┼└┬△小熊子郎女(伊勢大鹿首の女) ┼┼┼├┐ ┼┼┼○布斗比賣命 ┼┼┼┼▲寶王/糠代比賣王**↓ ┼┼3 ┼┼└┬△比呂比賣命(息長眞手王の女) ┼┼┼├┬┐ ┼┼┼●忍坂日子人太子/麻呂古王 ┼┼┼│○坂騰王 ┼┼┼│┼○宇遲王 ┼┼┼1 ┼┼┼└┬▲[庶妹]田村王/糠代比賣命**↑ ┼┼┼┼├┬┐ ┼┼┼┼●[34]天皇@岡本宮(…舒明天皇) ⇒後代天皇 ┼┼┼┼┼││(御陵:段ノ塚古墳[上円(八角壇)下方105m]=押坂内陵@桜井) ┼┼┼┼┼○中津王 ┼┼┼┼┼┼○多良王 ┼┼┼2 ┼┼┼└┬△大俣王(漢王之妹) ┼┼┼┼├┐ ┼┼┼┼○智奴王 ┼┼┼┼┼○妹桑田王 ┼┼┼3 ┼┼┼└┬△[庶妹]玄王*↑ ┼┼┼┼├┐ ┼┼┼┼○山代王 ┼┼┼┼┼○笠縫王 ┼┼┼4 ┼┼┼└┬△老女子郎女(春日中若子之女) ┼┼┼┼├┬┬┐ ┼┼┼┼○難波王 ┼┼┼┼┼○桑田王 ┼┼┼┼┼┼○春日王 ┼┼┼┼┼┼┼○大俣王 2 └┬△小石比賣命(檜坰;天皇[28]の御子) ┼○上王 3 └┬△糠子郎女(春日之日爪臣の女) ┼├┬┐ ┼○春日山田郎女 ┼┼○麻呂古 ┼┼┼○宗賀之倉王 4 └┬△岐多斯比賣(宗賀之稻目宿禰大臣之女) ┼├┬┬┬┐ ┼●[31]橘之豐日命@池邊宮/用明天皇 ┼│││││ (御陵:石寸掖上⇒春日向山古墳[方60x66m]=科長中稜@太子) ┼│○妹石坰;王 ┼│┼○足取王 ┼│┼┼●[33]豐御氣炊屋比賣命@豊浦宮/敏達天皇皇后/推古天皇 ┼│┼┼┼│ (御陵:大野岡上⇒山田高塚古墳[方58x66m]=河内 科長大稜@太子) ┼│┼┼┼○亦麻呂古王 ┼│┼┼┼○大宅王 ┼│┼┼┼○伊美賀古王 ┼│┼┼┼○山代王 ┼│┼┼┼○妹大伴王 ┼│┼┼┼○櫻井之玄王 ┼│┼┼┼○麻奴王 ┼│┼┼┼○橘本之若子王 ┼│┼┼┼○泥杼王 ┼1 ┼└┬△意富藝多志比賣(稻目宿禰大臣之女) ┼┼○多米王…田目皇子/豐浦皇子@「日本書紀」 ┼2 ┼└┬△間人穴太部王(庶妹) ┼┼├┬┬┐ ┼┼○上宮之厩戸豐聰耳命>…聖徳太子 ┼┼┼○久米王 ┼┼┼┼○植栗王 ┼┼┼┼┼○茨田王 ┼3 ┼└┬△飯女之子(當麻之倉首比呂之女) ┼┼├┐ ┼┼○當麻王 ┼┼┼△須加志呂古郎女 5 └┬△小兄比賣(岐多志比賣命の姨) …「日本書紀」:蘇我小姉君(蘇我稲目の娘) ┼├┬┬┬┐ ┼○馬木王 ┼┼○葛城王 ┼┼┼○間人穴太部王 ┼┼┼┼○三枝部穴太部王/須賣伊呂杼 ┼┼┼┼┼●[32]長谷部若雀命@倉橋柴垣宮/崇峻天皇 ┼┼┼┼┼ (御陵:倉椅岡上@桜井) ----- 「古事記」後の系譜 ----- ○押坂彦人大兄皇子 └┬△糠手姫皇女 ┼├┐ ┼●[34]舒明天皇 ☚「古事記」では3柱の長子。茅渟王の名前は無い。 ┼┼○茅渟王 ┼┼└┬△吉備姫王 ┼┼┼├┐ ┼┼┼▲宝姫王/[35]皇極天皇/[37]斉明天皇↓ ┼┼┼┼│ (@飛鳥小墾田宮⇒小墾田宮⇒飛鳥板蓋新宮) ┼┼┼┼│ (御陵:牽牛子塚/御前塚[八角32m]@明日香=越智崗上陵 ┼┼┼┼│ or 車木ケンノウ古墳[円45m]@高市高取) ┼┼┼┼●[36]孝徳天皇/軽皇子 (⇒@難波長柄豊碕宮) ┼┼┼┼│ 御陵:山田上ノ山古墳[円]=大阪磯長陵@太子) ┼┼┼┼1 ┼┼┼┼└┬△間人皇女 ↓ ┼┼┼┼2 ┼┼┼┼└┬△阿倍小足媛 ┼┼┼┼┼〇有間皇子…謀反処刑 ┼┼┼┼3 ┼┼┼┼└┬△乳娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘) ┼1 ┼└┬▲宝姫王/[35]皇極天皇/[37]斉明天皇 ↑ 近親婚 ┼┼├┬┐ ┼┼●中大兄皇子/葛城皇子/[38]天智天皇 ┼┼┼△間人皇女/[36]孝徳天皇皇后↑近親婚 ┼┼┼┼●大海人皇子/[40]天武天皇…「古事記」編纂命 ┼2 ┼└┬△田眼皇女(敏達天皇+推古天皇皇女) ┼3 ┼└┬△法提郎女(蘇我馬子の娘) ┼┼〇古人大兄皇子/吉野太子 ┼4 ┼└┬△蚊屋采女 ┼┼〇蚊屋皇子/賀陽王 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |