→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.1] ■■■ [59] 格調高き天武賛(漢文) 曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。 …[40]代天武天皇@飛鳥浄御原宮。 濳龍體元。 洊雷應期。 聞夢歌而想纂業。 投夜水而知承基。 …格調高すぎて浅学の身ではよくわからない。 然天時未臻。蟬蛻於南山。 人事共洽。虎步於東國。 …吉野山に入山し脱皮することで天子に。 霊虎と化し、東国の力を束ねた。 皇輿忽駕。 凌渡山川。 六師雷震。 三軍電逝。 …行軍賛歌。 杖矛擧威。 猛士烟起。 絳旗耀兵。 凶徒瓦解。 未移浹辰。 氣沴自清。 …敵軍殲滅。意気揚々。 乃。 放牛息馬。ト悌歸於華夏。 卷旌戢戈。儛詠停於都邑。 歳次大梁。月踵俠鍾。 清原大宮。昇即天位。 …ということで、飛鳥浄御原宮で即位。 道軼軒后[黄帝]。 コ跨周王。 握乾符而ハ六合[東西南北天地]。 得天統而包八荒。 乘二氣之正。 齊五行之序。 設神理以奬俗。 敷英風以弘國。 …本朝天皇は中華帝国皇帝と同格。 と言うか、それ以上。 重加。 智海浩瀚。 潭探上古。 心鏡煒煌。 明覩先代。 …ベタ褒めで完了。 天皇の命を受けてた編纂も完了し、臣下としては、ここで忠誠心を最大限発揮する要ありということのようだ。練りに練って工夫した文章なのだろう。 ただ、それだけかと言えば、そうでもなさそう。 と言うのは、「古事記」は叙事詩を残すために編纂されているものの、その真意は伝わりにくいからだ。従って、ここで中華帝国文化の特徴に触れてもらうのも、大いに意味があろうということ。 叙事詩といっても、この概念は様々。現代人だと、西洋的なの古代文学イメージをかぶせてしまうが、古事記はそのようなものとは全く違う。と言って、インドの物語りのように、その世界に入り込むことが信仰そのものになるタイプとも違う。 中華帝国は神話は消されてしまい、上記のような詩的表現がほぼ叙事詩になっているが、本朝とは違うことに気付いて欲しいということだろう。中華帝国では、官僚が天子を寿ぐことこそが叙事詩の本質だが、それは本朝とは根本的に異なる。 本朝の叙事詩は、ほぼライブだからだ。古代の話や、神話の世界を鑑賞するとか、その雰囲気に浸るのとは違い、ママ現実。 ・・・ここらの説明が難しいのである。 古事記は叙事詩をまとめたものだが、それは文学書でもなければ、神話を中心とした物語集でもないし、ましてや歴史書とは対極的なもの。 仏教の話を徹頭徹尾さけているのも、反仏教を意味している訳ではない。 本朝は、祭祀と政治をつかさどる王権が分離されておらず、口誦伝承の不文律で動く社会だったから、それを伝えるものは叙事詩しかないということ。 ところが、その時代を終わらせる決断がなされたので、その記録を残そうというのが「古事記」編纂プロジェクトである。 当然ながら、政治的事績の根幹は皇統譜と氏族系譜になる。各地区土着の氏族勢力による政治が行われてきたのだから。 誰が、この大転換を始めたかは自明で、聖徳太子しか考えられまい。推古朝が最後なのである。 そして、最終的決断を下したのが、天武天皇ということになろう。この大転換を仕上げないと、国家が消滅しかねまいと見ていたのではないか。国際派ということになろう。 太安万侶はそこらをしっかり認識していたと見てよかろう。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |