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■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.2] ■■■
[60] 倭歌のみなもとは古事記
古事記の歌をわざわざ取り上げようとする人は少なさそうだが、歌論に興味があるなら、必読書では。

その辺りを語ろうということで、最初の勅撰和歌集である、「今昔和歌集」の無署名"仮名序"を取りあげてみたい。流石に、仮名だけではとても読めたものではないので、素人の勝手訳で。・・・

先ずは和歌の意味付け。
  "やまとうた"とは
 倭歌は、人の心を種とし万の言の葉とぞ成れりける。
 世の中にある人、事・業・しげきものなれば
 心に思ふことを、見る物、聞く物につけて
 言ひい出せるなり。
 花に鳴く鶯、水に棲む蛙の声を聞けば、
 生きとし生ける者、いづれか歌を詠まざりける。
 力をも入れずして天地を動かし、
 目に見えぬ鬼神をもアワレと思はせ
 男と女の仲をも和らげ、
 猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。

漢語である和歌という語彙を避けたようだ。現代人からすれば、ここでの定義は至極常識的なものに映る。種⇒葉⇒繁茂(⇒花)を暗示しており、芽(目)・花(鼻)という日本人的な植物アナロジーを踏まえた書き方をしており、植物が言葉を発した時代があったことを示唆していそう。
当然ながら、鶯や蛙といった動物はいわずもがなで、季節の息吹そのものとしての存在と明言している。
成程感はあるものの、すべて情緒的な解説である点には注意が必要であろう。この後は、マゼコゼな記述だからだ。
言葉には呪術的霊威ありと指摘したかと思えば、交際の嗜みでもあり、コミュニケーションの道具として重要としてみたり、社会生活の潤滑油にもなると語っているからだ。その通りではあるが、論理的説明からほど遠く、饒舌的な印章さえ与える。
初の嵯峨天皇命勅撰漢詩集(「凌雲集」814 年)の序が、帝王の不朽の盛業と記載し、残りはほぼ儀礼的な書誌事項であるから、意気高しの気分はわからぬことはないが。(紀貫之が著者とすれば、職掌的には御書所預であるし、小内記・大内記に任官しているから、漢文能力は卓越していた筈.)

続いて、和歌の発祥についての解説に入る。
「万葉集」には一言も触れずに、神話が原点と語る。朝廷編纂書だから、公的史書の「日本書紀」収載譚がそれに当たると語る訳だ。
しかも、情緒で皆に同意を求めているような書きっぷり。そこが人気を集める秘訣だったか。

  やまとうたの"みなもと"

 この歌、
 天地の開け始まりける時より、出来にけり。

 しかあれども、世に伝わることは
 久方の天にしては
 下照姫に始まり

 粗金の土にては素盞嗚尊よりぞ起こりける。
 千早振る神代には、歌の文字の定まらず、
 素直にして、事の心湧き難かりけらし。
 人の世となりて、素盞嗚尊よりぞ、
 三十文字余ち一文字は詠みける。

 かくてぞ、花を愛で、鳥を羨み、霞をアハレび、露を悲しぶ心、
 詞多く、様々になりにける。
 遠き所も、い出立つ足下より始まりて、
 年月を渡り、
 高き山も、麓の塵よりなりて、
 雨雲棚引く迄、追い登れる如くくに、
 此の歌も、かくの如くなるべし。



別天神の時代、人格神は存在するものの、歌が詠まれたとは書いていないし、天地開闢はクラゲのような状態で、そこから神が出現するのである。国生みの命にも歌の存在を示唆するものは何も無い。
宇宙創造も神の言葉によるものではなく、ソコ存在する場から神が成るのであり、そこに歌が関与するイメージは湧いてこない。
そこで、流石に、注が付いている。
天の浮橋下にて、女神を神と成りへる事を云へる歌なり。
このことを指すのだろうか。
○「古事記」上巻
伊邪那美命 先言「あやに吉し(阿那邇夜志) 愛男。」
此後 伊邪那岐命言「あやに吉し愛乙女。」



ところが、ここで、突然、歌が伝わっているとの話に移る。この手法は思考を奪う常套手段。考え抜いて書いたのではなく、いかに人々に受けそうかという発想としか言いようがない。
<下照姫>も注付き。
下照姫とは、天若神子の妃なり。舅の神の形、遠方に映りて、輝くを詠める、恵比須哥なるべし。これらは文字の数をも定まらず、歌のやうにもあらぬことども也。
太安万侶は、ここらについてはしっかりと吟味している。"仮名序"とは姿勢が全く異なる。
歌と呼べるか、ナントモ言えぬ、との調子での評価など、唾棄すべきとの感覚では。
これこそは歌であり、【神語】であると。見識の違いは大きい。
○「古事記」上巻
爾其后。取大御酒坏。立依指擧而。歌曰。・・・
如此歌。即爲宇伎由比。而。宇那賀氣理弖。至今鎭坐也。此謂之【神語】也。

以下など、小生は、しっかりとした完成された歌になっていると見る。
太安万侶に言わせれば、それは【夷振】の範疇の歌であると。
○「古事記」上巻
怒った味耜高彦根神が飛び去った時に、同腹妹 高比賣命が、その御名を顧みるために詠んだ。(故阿治志貴高日子根神者。忿而飛去之時。其伊呂妹高比賣命。思顯其御名。故歌曰。)
 天なるや 弟織機[淤登多那婆多]の 項がける
 珠の御統 御統に
 あな珠はや 御谷 二渡らす
 味耜高彦根[阿治志貴多迦比古泥]の神ぞや
此歌者【夷振】也。

【夷振】は、鄙風情という意味であろう。都での歌とは、万葉集の本歌を加工したり、言葉遊びや、故事等々の推敲された雅なもの。直接的な感興をママ表現せず、二重の意味にしたりして、婉曲で奥ゆかしい知的遊びを取り入れた作品に仕上げてこそ意味があるということだろう。
ただ、【夷振】だから単純という訳ではない。この収録歌は、飾らない心象表現ではあるものの、意味深だからだ。
夫を殺され、その夫によく似る、親族でよく知っている美男子が消えていったのを、牽牛話に乗せるのだから、なかなかに複雑な心境が詠まれており、文芸的にも光る歌だと考えるべきだろうし。


一般的には、和歌の起源は<素盞嗚尊>の歌とされるのではなかろうか。言うまでもないが、阿治志貴多迦比古泥の神登場のずっとずっと前のことになる訳で。
こちらにも注あり。
素盞嗚尊は、天照大神の子の神也、女と住み給はむとて、出雲の国に宮造りし給ふ時に、その所に八色の雲のた立つを見て詠み給へる也。やくもたつ いづもやへがき つまごめに やへがきつくる そのやへがきを。
○「古事記」上巻
茲大~[速須佐之男命] 初作須賀宮之時
自其地雲立騰。
爾作御歌。其歌曰。
 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

(夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁)
五七五七七の三十一文字ではあるものの、普通の短歌と構成は同じと見なす訳にはいくまい。
和歌の体裁が決まっていないのに、"八雲立つ"が枕詞である筈はないし、ましてや八"色"の雲の訳がなかろう。出雲の"国"に降り、八俣大蛇退治に成功し、姫を得た嬉しさと、須賀の地に新婚居宮のために八重垣を造る喜びを寿ぐ、自然に生まれた歌と見るべき。だからこそ、その美しさが引き立つのである。

なんと、"仮名序"の古代歌はこれだけ。

神代の時代の叙事詩が収録されている「古事記」上巻にはこの他にも"歌"と著されている作品が並んでいるにもかかわらず。

<素盞嗚尊>の出雲八重垣を原点とするなら、尚更であろう。
ここで言う、宮垣とは都の宮廷を防衛する城砦とは違うからだ。どう考えても、それは歌垣時代からの習わしの象徴。それを意図的に書かないのが、"仮名序"流なのだ。
「古事記」のように、あっけらかんとした男女の交情歌を詠えない時代に入ってしまったのであろうか。同腹兄妹の同衾を問題視され、命を絶つ際の歌など、なかったことにしたいのかも。


高志國に君臨する沼河比賣を従えるべく、訪問して来た八千矛神との歌の交換は、事績的にでも触れておくべきでは。歌そのものを紹介せずとも、歌の起源を語ろうと言うのだから。
そこには、女王としての意気と、それを超えた男女の想いが複雑に交錯しており、豊かな文学性を示しているという点でも特筆モノだし。
なんといっても、重要なのは、男女交換歌である点。出雲八重垣とは違うのである。
○「古事記」上巻
此八千矛神。將婚高志國之沼河比賣幸行之時。到其沼河比賣之家。歌曰。・・・
爾其沼河日賣。未開戶。自内歌曰。・・・



もちろんのことだが、この手の「古事記」収録歌は沼河比賣だけではない。・・・
○「古事記」上巻
又其神之嫡后須勢理毘賣命。甚爲嫉妬。故其日子遲神和備弖。・・・繋御馬之鞍。片御足蹈入其御鐙而。歌曰。・・・


上巻の完結は、産まれた天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命を玉依毘賣に託し豐玉毘賣命が海に入って帰っていくシーン。
○「古事記」上巻
獻歌之。其歌曰。
 赤瓊は 緒さへ光れど 白瓊の
 君が装ひし 尊く有りけり
爾其比古遲。答歌曰。
 沖津鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝し
 妹は忘れじ 世の事々に

珠を切っ掛けとして、一目惚れ状態で結ばれたが、文化の違いで別れるしかなくなったことを語りかける歌ではあるものの、"仮名序"が無視するのも、道理と言えなくもない。
南島系王国と深い関係があったにもかかわらず、九州南部の天孫族が断絶に踏み切ったことを示す歌でもあるからだ。政治色濃厚。
出雲の国が国土を制覇していく過程を描いた婚姻歌も同様であり、その様な歌は"やまと歌"にふさわしくないと見なしたと言えなくもない。
しかし、それは理念先行と言わざるを得まい。現実からはほど遠い。だからこその文芸との考え方もあろうが。

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