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■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.22] ■■■
[80]日本語文法書としての意義
小生は、「源氏物語」に接し、古文の文法をまともに勉強するパトスを完全に失った。

その辺りの理由はどうでもよい話だが、古文の文法を考えたいなら、「古事記」の"読み下し文"で始めるべきかも。

文の構成とか、語彙の扱いといった、土台から始めることができるからだ。
こうした根本的な和文の概念的把握無しに、暗記文法を道具として、テクニックで読解を図ることを要求する"学び"は避けた方がよいと思う。もっとも、そんなことをしても大学受験にはなんの役にも立たないだろうが。

例えば、こういうこと。・・・

SV SVO SVOCといった文型から出発する文法からすれば、「古事記」の記載は徹頭徹尾出鱈目ということになろう。しかし、そんなレッテルを貼る訳にいかないので、必ず、なにかが省略されているということになる。
文は主語があって、それに対応する述語ありという、ドグマに従う限り致し方なかろう。
換言すれば、「古事記」は、こうしたドグマに真向から反する書ということ。

このドグマは、英語を習うと、その論理がすぐに実感できる。
文は末尾に終止符とか、次ぎの文に接続する言葉が必ず用意されており、場合によっては入れ子的な複文になることもあるが、重要なのは個々に独立している点。そして、文には主語とそれに対応する述語が必ず存在する。この両者がすぐにわかるように文型が設定されている。
例外は少なく、その場合は、どういう意味になるのかもはっきりしている。

要するに、全く違う言語構造なのに、できる限り同一地平で考えるべしとするのが、学校文法ということになろう。

「古事記」を自分の頭で読めば、このような文法に全く従っていないことにすぐに気付く筈である。
その独特の文法を知る由もないので、至るところで、躓くことになるからだ。

このような現代文で考えると違いがわかり易い。・・・
 Xに行くと、Aに遭遇し、
 帰途、Yで歌を詠み、
 臣下のMを遣った。


学校文法では、4つの連鎖的主語が省略されていることになる。つまり、本来は冒頭に主語があり、"and"で同一主語の4文が並列しているとされる。
この文はそういうものではなかろうと感じるのが、一般人。わざわざ、何故に主語を付ける必要があるのだということに尽きる。

各文は独立などしていない。1つの文章なのだ。連続的な行為だから、途中で主語を入れてはいけないのである。
ここでの、述語は実は4つではなく、5つ。それを時間の順番で並ばせて表現しているに過ぎまい。
主語は、たまたま省略したのではなく、その連続性を表現するために無くしたと見なすべきでは。日本語の最優先語はあくまでも主題を示す述語。

この見方をするか否かで、このような文章の解釈で大きな差異が生じてしまうので、結構重要な問題でもある。
 成る神は、A、B、C。
小生の感覚では、"成ったが、それは神。"という意味にとれる。"何かが成った。"ことこそが主眼であり、"成る"は主題語。残り全てはこの動詞の補語と考えてもよさそうに思うほど。

従って、系譜文章になったりすると、判断がつきかねたりする。直前記載の人物との関係なのか、全体の主との関係なのか、自明とは言い難からだ。

このことは、文章は単独で完結しておらず、続く文章に影響を与えていることになる。その表現のために、なんらかの文法が存在していておかしくなかろう。これは、文脈を読み取る話とは質的に違うからだ。
各文章を読み継いで、その内容から段落分けするというのが国語授業の第一段階だが、「古事記」は文章の物理的構造そのもので繋がりが示されており、それが段落分けの第一段階になるという書きっぷり。
これが、始原的日本語なのかも知れないという気にさせるところがある。

換言すれば、異なる文法体系が存在している可能性あり、ということ。

自明だから、主語を省略したのではなく、もともと前の文章との関係性を示すために入れないというルールと考えることもできると言うこと。主語を入れてはいけないのである。

ともあれ、学校文法の"主語省略"というドグマは捨てねば、「古事記」は読んでいることにならないから、注意すべきだろう。
現行文章でも、主語は、文頭でなく、語順を無視して、どこにでも入れて通用するが、意味は変わったりする。
つまり、主語とは述語に従属しており、主語の省略や文中の挿入位置こそが表現技法ということ。

このことは、日本語は、古代叙事詩の雰囲気を残した言語ということかも。

「源氏物語」ほどではないが、「古事記」にも主語を余り記載していない箇所がある。この部分は情緒的に読めということであろう。
一方、"○○命・・・。"と記載する、段頭や段末の文章型と違い、事績内容記述の後で、○○命のコトと紹介する場合は、華やかな伝承譚であることを示しているのかも。

ただ、読みが確定できないから、専門家の文法研究には向いていない素材である。

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