→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.9] ■■■
[98] 「日本書紀」の位置付け解説書でもある
中華帝国の正式な歴史書は、言わずと知れた司馬遷:「史記」から始まる。
一方、日本国では「日本書紀」。
その分量をみるだけで、とても両者を比較云々できるレベルにないとしがち。
しかし、太安万侶はそう考えていなかった可能性が強い。

おそらく「日本書紀」編纂に携わり、その仕事のつまらなさに嫌気がさし、短期間ではあるものの、「古事記」の最終編纂に全力で打ち込んだのでは。
ただ、同時に、史書編纂の意義については分かりすぎる位わかっていた筈。
だからこそ、「古事記」が生まれたと考えるべきだ。

従って、「日本書紀」は「史記」と比べてなんらひけをとらぬ書と見ていた可能性が高い。
「史記」の構成を理解していたとすれば、そう考えていておかしくないからだ。

そんなことをついつい考えてしまうのは、「古事記」を読むと、「史記」と「日本書紀」の違いの"意味"が自ずと見えてくるからだ。

但し、そのような発想が自然に出てくることはない。「史記」の5部のうちの"表"を軽視するからだ。読み物ではないから、それも道理ではあるものの、太安万侶のような仕事人にとっては、ココこそが肝と見るに違いなく、それに気付かないと、そんな発想は生まれようがない。
 1 本紀[1〜12]
 2 表[13〜22]
 3 書[23〜30]
 4 世家[31〜60]
 5 列伝[61〜130]

と言うのは、「日本書紀」の出番はどこかと言えば、編年体記述の"表"だから。実は、それ以外の4部は、日本国では史書には不要なのである。個別に編纂されるべき対象以外の何物でもないからだ。

ここらの文化的違いは大きい。

要するに、中華帝国の風土では、"表"は様々な記述の突合せを図っているオマケと見なされてしまうということ。
しかし、実際のところはオマケどころか、司馬遷自身は、"表"を「春秋」継承ということで、大いに力を入れて作成している。索引の類の作成とは違うのだ。
(この辺りの理解は難しいか。日本は現代歴史教育においても、年表暗記が核だからだ。"表"の重要性がかえってわからなくなりがち。)

つまり、仕事人が「史記」を読めば、"表"を肝と見なすことになる。これなくしては編纂者が提起する歴史観がわからなくなってしまうからだ。
繰り返すが、そのため司馬遷もかなりの労力をかけて編纂したのである。

重要なのは、これは他の部分の単純な抜粋とは違うということ。価値観に基づいて、情報を取捨選択するだけでなく、他の記載との矛盾発生を顧みずに、敢えて書き換えることも辞せずという、緊張感溢れる作業が続くことになるからだ。用語的にはこれは潤色そのものだが、歴史観に従って伝承を"事実"に"訂正"しているのである。

史書とはそういうもの。

従って、"正義"とか、"真実"を史書から読み取ろうという姿勢は拙いのだ。ましてや、そこに"謎"などあろう筈もない。

ただ、そのような記述が目立つ訳ではない。お話を創っている訳ではないからだ。簡単に言えば、都合10枚の単なる総合年表に過ぎないのである。
卷十三_#_1三代世表…"国号⇒帝王⇒子孫系譜"
卷十四_#_2十二諸侯年表
【前841〜前477@周・魯・齊・晉・秦・楚・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・吳】
卷十五_#_3六国年表
【前476〜前207@周・秦・魏・韓・趙・楚・燕・齊】
卷十六_#_4秦楚之際月表
【3年間月表@秦・楚・項・趙・齊・漢・燕・魏・韓】
卷十七_#_5漢興以来諸侯王年表
卷十八_#_6高祖功臣侯者年表
卷十九_#_7惠景間侯者年表
卷二十_#_8建元以来侯者年表
卷二十一・#_9建元以来王子侯者年表
卷二十二・#10漢興以来将相名臣年表


流石に、このような簡素な年表だけ提示されても、その意義がわからない人だらけになりかねないから、それなりの配慮は施されている。
十四巻末に"賛"を入れ込んであるのだ。それを読めば司馬遷の心意気が素人でもわかるようになっている。・・・
太史公曰:
儒者斷其義,

儒者は自分達の観点での義を断じ
馳說者騁其辭,不務綜其終始;
遊説者は辞を弄して、終始を綜べる事を務めず
歷人取其年月,
暦家は単に年月を取り上げるだけで、
數家隆於神運,
(陰陽)数術者は神運興隆を図っており、
譜諜獨記世謚,其辭略,
譜諜家は独りよがりの世系・諡号を記して文辞を略している。
欲一觀諸要難。
お蔭で、ひとたび、諸々の要を観たいと欲しても、困難そのもの。
於是譜十二諸侯,
と言うことで、ここにおいて、十二諸侯の系譜をつくり候。
自共和訖孔子,
共和以後、孔子に至る迄の間について、
表見春秋、國語學者所譏盛衰大指著于篇,
「春秋」「国語」学者の成果から、盛衰の大所を一篇の表として著わした。
為成學治古文者要刪焉。
学を成し古文を治めようとする者のために、要点を簡略化したのである。

日本国にとっては、もともと、この手の"付き合わせ"がことの他重要となる。これを捨象してしまうと、東アジアにおける自らの状況が全く読めなくなってしまうからだ。
ところが、作成しようとなると、ことのほか難しい。既存文書はそれぞれの思惑で成立したものであり、以後の改竄も加わっていたりして、整合性を図ろうとすれば至る所で齟齬が生じてしまうからである。他書記載を出鱈目と断じる訳にはいかないから、モグラ叩きでは対応しきれないのは自明で、そこは官僚達の知恵のみせどころ。
しかし、グループ毎の分担作業体制だと、それが奏功するとは限らない。

 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME