→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.22] ■■■ [141] 建=「たける」の創意 東京に住んでいるせいもあろうが、事績の碑や観光案内表示が目に付くせいもあろうが、全国的に見ても初代天皇の事績碑は公的なもの以外はほとんど目立たないが、倭建命関係となると、様々な形で記念碑的な建造物が作られているから、民の琴線に触れる魅力的な命と見て間違いなさそう。 ただ、小生としては、この「建」の読みが前々から気になっていた。 英雄的な性情を示す"猛る"の当て字だろうとの理解であるが、もともとは、制圧した敵対部族の勇猛な将に付ける用語のように思えたからだ。 言ってみれば、暴虐的なだけで知力を伴わないため、計略に乗せられ滅びた状況を示す言葉に映ったということ。 はたして、この見方でよいのか、考えあぐねていた。 それに、結構、一般用語的であり、建速須佐之男命や建御名方神の形容にも使われている。 この場合、称えているようには思えないし、国譲りでは決定的な威力を発揮した建御雷之男神/建布都神にしても、知力には無縁な印象であり、命を受けて働く武人とのイメージが強いこともある。 そもそも、<たける>≠<もともとの文字"建"の意味>であること自体が腑に落ちないのである。 <もともとの文字"建"の意味:[廴(真っすぐ行く)+聿(筆)]> 《意味》… 立(開始成立) 造 提出 【説文】立朝律 【広雅】立 ⇒【官慣用】建法(制定) 建官(設置) 建侯(封立) 建中(標準化) 建言(提議) 建策(献案) ⇒【詞性転化】北斗星斗柄部分名(暦月名の修飾語) 星官名(@南斗六星) 地名(@福建) ⇒【類縁拡張文字代用(省略使用)】健 腱 鍵 ⇒【異体文字】㨴 《読み》 【訓】 た-てる(た-つ) [希]くつが-えす 【唐音】ケン 【呉音】コン それに、<たける>=<"建"以外の文字>であるし。 <たける=盛りの時期である> 長/镸/兏…た-ける/おさ/なが-い 闌闌…た-ける/たけなわ <たける=大声で叫ぶ> 哮…たけ-る/ほ-える⇒[代替当て字]獗 <たける=荒々しく行動する> 猛…たけ-る "建"は「古事記」用法と違うか。 他はこれに倣ったということ。 <勇猛な部族長尊名> 建 ≒[「日本書紀」用語]梟師/梟帥 ただ、"建"の意味はこれだけという訳ではない。倭語特有の多義性=情緒的曖昧性を恣意的に表に出したかったようにも見える。・・・ ㊤降臨後〜㊥東征末 宮は作られるのであって、天皇はそこに座すのであって、"建てる"とは言わないようだ。 如魚鱗所造之宮室(綿津見~之宮) 作足一騰宮@豊国宇沙 作殿@宇陀の兄宇迦斯 ただ、"建てる"で無いと言ってよいかはなんとも。 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 ㊥東征(浪速之渡而泊青雲之白肩津の戦い) 五瀬命は崩御されたと記載されているから、前初代天皇扱いである。その詔の最期は明らかに"雄叫び(男建)"である。 於是與登美毘古戰之時 五瀬命於御手負登美毘古之痛矢串 故爾詔: 「吾者爲日~之御子向日而戰不良 故負賤奴之痛手 自今者行廻而背負日以撃」 : 從其地廻 幸到紀國男之水門 而詔: 「負賤奴之手乎死」 男建而崩 名称としての"建/たける"はその概念とはかなり違っていそうだが、死を恐れずに戦いに挑む英雄イメージを示す用語ということだろうか。そうなると、"猛る"の勇気を示す側面だけを取り出すための言葉を創出したことになろう。 その出自は古そう。 ㊤国生み 土 左 國 建依別 肥 國 建日向日豐久士比泥別 熊 曾 國 建日別 吉備兒嶋 建日方別 現代人の考える、多少偏見も加味した土地柄というか風土からすれば面白く感じるが、それが古代にも通用していたのかはよくわからない。 ただ四国を4面としているのは、小生的には納得できる。すべてが一本の大河から生まれた水問題を抱えた島の性情の4面性を書いているように映るからだ。・・・ 讃岐は穀類生産には地勢的にはよいが、絶対雨量不足は否めないが、阿波は逆に洪水と海水逆流に悩む地。上流側は伊予が水を得ようとすれば、土佐は大憤慨となろう。4面をまとめることは至難。海人の土佐としては力を見せねば水を奪われかねないから当然の姿勢だと思うが。これに、中央構造線の鉱物資源争いが加わる。 瀬戸海では、豪快に映るのが吉備兒嶋。とんでもなく早くから干拓で島を陸続きにしてしまった位だ。内海航路の関所的な威信を誇っておかしくないし。 筑紫島と呼ばれた九州からすれば、従属を毛嫌いするのが隼人と熊襲であるが、隼人は朝廷内勢力的地位を保持していたがが、熊襲はそれを嫌ったようだ。両者が並ぶことに堪えられずというところでは。肥前・肥後は色合いが違うが大陸的地勢上、強権勢力が最初に足を踏み入れることになるからその風土から脱するのは難しかろう。 いずれも建国の神々ではあるものの、力まかせが目立つ風土に坐しているということか。 ㊥吉備系 こうした国生みからの経緯もあるのか、吉備系は"たける"氏族と目されているようにも見える。 [祖:吉備下道臣, 笠臣] 若日子建吉備津日子命 …[7]大倭根子日子賦斗邇命/孝靈天皇+蠅伊呂杼(阿礼比売命の妹)の御子 [祖:吉備臣] 若建吉備津日子 …針間伊那毘能大郎女の父 ([12]大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇との皇子が小碓命/倭建命) [祖:吉備臣等] 御鉏友耳建日子@倭建命の副《言向和平東方十二道》 倭建命 └┬大吉備建比売=吉備臣建日子の妹 │建貝児王 └┬弟橘比売命…入水 若建王 これに対抗的に、国生みでの"建"の地域もあるのかと思いきや、そうではなく沼河(越)が代表的とされていそう。 何と言っても、勇気を讃え、"建"が入るように改名された天皇が存在するのだから。 この事績で、"建"の意味を明確に伝えている訳だ。そして、東方十二道派遣の将も建沼河だし。 ㊥沼河系・他 《初代からの皇位継承》 [2]神沼河耳命/綏靖天皇⇒建沼河耳命 故爾其弟~沼河耳命乞取其兄所持之兵 入殺當藝志美美 故亦稱其御名謂 建沼河耳命 《[8]大倭根子日子国玖琉命/孝元天皇御子》 御子 少名日子建猪心命 御子 建波邇夜須毘古命/建波邇安王 御孫(御子 大毘古命の子) 建沼河別命…東方十二道派遣 御孫:御子比古布都押之信命(祖:膳臣)の子 建内宿禰 …忠実な官僚層のように思われるが。 《[9]若倭根子日子大毘毘命/開化天皇》 御子 日子坐王娶 春日建國勝戸賣之女[沙本大闇見戸売] 《[13]若帶日子天皇/成務天皇婚姻》 穂積臣らの祖:建忍山垂根之女 弟財郎女 《喪船の息長帶日賣命御子(後の[14]帯中津日子天皇/仲哀天皇)の忍熊王討伐》 難波根子建振熊命…将軍 《[15]品陀和気命/大鞆和気命/應神天皇娶品陀真若王の3人の娘》 尾張連先祖 建伊那陀宿禰之女(志理都紀斗売)と 五百木之入日子命の子=品陀真若王 御子 建豐波豆羅和氣王 少々毛色が変わっている神もある、出雲系であり、"猛る"という状況ではないように見えるが、なんとも言い難し。 ㊤《誓(天照大御神と須佐之男命)で生まれた天菩比命(右の御鬟に纒った珠)之子》 建比良鳥命 …祖:出雲國造 无邪志國造 上菟上國造 下菟上國造 伊自牟國造 津嶋縣直 遠江國造 等 ㊥《[10]御眞木入日子印惠命/崇神天皇代の疫病流行時の神祇祭祀》 ┼┼┼┼┼┼陶津耳命 ┼┼┼┼┼┼┼│ 大物主大神┬活玉依毘 ┼┼┼┼┼│ ┼┼┼┼櫛御方命 ┼┼┼┼┼│ ┼┼┼┼飯肩巣見命 ┼┼┼┼┼│ ┼┼┼┼建甕槌命…類似名だが不詳 ┼┼┼┼┼│ ┼┼┼┼意富多多泥古@河内之美努村 天皇の特徴を示す修飾語のように用いられるようにも。・・・ ㊦天皇 《暴虐的イメージ》 [21]大長谷若健命/雄略天皇 《[26]哀本杼命(品太王五世孫@近淡海國)/継体天皇皇子》 [27]廣國押建金日命/安閑天皇 [28]建小廣國押楯命/宣化天皇 勇壮という感覚からすると、殲滅させた敵が弱体では威勢があがらないから、猛る将であり、アッパレとしたいところ。それが原点のような気がするものの、立国のための平定での勇猛果敢さの用語であることは間違いなさそう。 《東征》 八十建…尾を生やした土雲集団@忍坂大室 《倭建命平定譚》 熊曾建二人 出雲建 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |