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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.24] ■■■
[143] 倭語最初の文法が見てとれる
古文どころか現代文法にも疎い、とんでもなく不勉強な人間だが、「古事記」を読んでいて、「やはりそうだったか。」感に襲われた。
「日本語は西欧語や中国語とは根本的に異質」との直観(非直感)は間違ってはいなかった、と。話語しかなかった時代の息吹を現代に残す、唯一の言語である可能性があるということでもある。

「古事記」とは、太安万侶と稗田阿礼が考えた倭語のルールに則って書かれていると見て、言語的な面での気付きをいくつか書いてきたが、なんと言ってもピカ一記述は、「成神 v.s. 生神」。と言っても、有名な理由は言語的な観点ではない。もともと、この峻別が注目されるようになったのは、丸山眞男の政治的風土論のお蔭だろう。
なんだかわからないが、自然に成るとの認識。しかも、一旦、成ると次々々・・・の世界に落ち込むという言いえて妙な論。
ただ、ここでは、焦点がボケるのを避けるために言語の視点を遠ざけている。と言うか、極限すれば、恣意的な取り上げ方をしている。

よくよく点検してみれば誰でもすぐに分かるのは、「古事記」での、「成 v.s. 生」の記載は単純ではない。
このことは、太安万侶は真剣に2つの語彙を峻別していることを意味する。しかし、それは、よくある頑固一徹なイデオローグ的に分けた訳ではない。倭語を理解する上での肝として、分別してみた、と言って間違いないだろう。コメントの類がしっかりと記載されており、実に律儀で丁寧な記述である。

もったいぶった前置きで恐縮だが、言いたいことは単純。
西洋や中華帝国の<主語+述語>を根本概念とする<文型>から出発する文法を、<述部>表現が核で、基本"話ことば"である倭語に当て嵌めたところで、たいした意味はなかろうと考えただけのこと。(国家統制視点では逆に極めて重要。)

その非倭文法の象徴が自動詞と他動詞の峻別と言えるかもしれない。「古事記」を読むと、そう考えざるを得ないのである。
  🅢🆅…自動詞
  🅢🅅🅞…他動詞

例えば、🆅自動詞の典型はこうなる。
 (路を)🆅走る。
   [+ス]⇒🅅走らす。…使役的表現
ここでの[+ス]は「〜させる。」という意味だが、「"他人を" "走る状況に" "する。"」という表現であり、「"明るい状況に" "する。"="明るく" "する。"」との用法となんら変わるところはなく、助動詞とか特別な動詞と言うより、動詞の重なり表現と解釈した方がしっくり来る。様々な漢語をママ用いて倭文化するのに都合がよいこともあるし。

・・・なにが言いたいかと言えば、この[+ス]を言い易いようにすれば、自動詞と他動詞が別々に存在しているように見えてしまうという点。
 (川を)🆅渡る。
 (人を)🅅渡す。
 (家を)🆅出る。
 (料理を)🅅出す。(〜に)
 (石炭を)🅅出す。(〜は)≒(石炭が)🆅出る。(〜は)
 (家に)🆅返る。
 (家に)🅅返す。(〜を)
 (家に)[取って]🆅返す。

上記でわかるように、日本語の助詞は、西洋文法に則って、動詞に付属する前置詞的に解釈すると煩雑かつ錯綜して来て、はなはだ難しいものがある。その割に、母語話者にとってはたいして難しくない用法だから、文の構造概念が異なっていると見た方がよかろう。
上記の"〜を"は、場所を示すための助詞とされるが、行為の対象を示していることも多い。
その場合、🅢🅅🅞の構造を示すための助詞となり、格助詞に当たることになる。目的語があるから他動詞の文章と見なすことにもなる。
 (書を)🅅読む。
   [+ス]⇒🅅読ます。

話をもとに戻すが、行為の対象である目的語がなければ自動詞。
 __🆅喜ぶ。
   [+ス]⇒🅅喜ばす。
他動詞 v.s. 自動詞のコンセプトはわかり易いし論理も通ってはいるものの、実は、小生は、日本語に当て嵌めた時、かなりの違和感を覚える。日本語は文の構造ありきではないから目的語無しで他動詞を使おうが、意味が通じるなら何の問題もないからだ。つまり、たいした役割を果たしていない訳で、そのような概念を必要としていないと言ってもよいのでは、そうだとすれば、<文型>言語文法を用いるのは無理筋と言うことになりかねない。例えば、<文型>言語の特徴でもある関係代名詞が使われることなど金輪際有り得ないのでは。

繰り返すが、倭語の表現の核は、あくまでも述部表現。このため、要点だけの簡素な言い方から、詳細な言い方や尊敬や謙譲表現まで、多種多様に展開できるという点がミソ。
当然ながら、主語を使わない方がわかりやすければ外すし、目的語を欠く他動詞用法などいくらでもありうる。省略しているつもりなど微塵も無い。

そのような文章構造であるにもかかわらず、他動詞と自動詞という概念に果たして妥当性があるだろうか。両者を意味的に峻別するのは、倭語の世界では極めて難しいことを知っていながら。・・・
 雨が🆅降る。
 泉が🆅湧く。
 湯が🆅沸く。
最期の文章はお馴染み。"🅢湯が"は、正確には"🅢水が"だ、という話で。
どうでもよさそうな事だが、これは、"水を🅅沸かす。"ではない点に注意を払うべきだ。自動詞だから、水を主語とする以外に考えられない。
小生は、その場合、水に自ら沸騰するとの神意ありということになってしまうと思う。そうだとすれば、文型文法だとこうなる。
 "🅢神が" "🅞水を" "🅅降ら/湧か/沸か-せた。"
 なにげない自然現象に、神の働きを感じる人々からすれば、限りなく他動詞的な情感を含んでいる自動詞ということになる。以下の文の文型文法上の主語の詮索になんの意味があるのか、ということ。・・・
 河が流れる。

文型文法を追求すれば、例えば、次のような文章が生まれてしまう。
 (🅢吾は)(🅞神に)(🅞願を)🅅祈る。

この内容なら、動詞だけで十分意味が通じるが、主語と文型で成り立つ言語ではそうはいかない。しかも動詞毎にとれる文型が決まっているから、それを真似るなら、ここまで構成すべきとなりかねない。
倭人からすれば、面倒なことこの上なしの言語体系に映ろう。自動詞だろうが、他動詞だろうが、どうでもよいことで、"祈る"という単純明快な<述部>で全てが語られたと感じるからでもある。🅞に当たる部分は付属説明以上ではないということ。省略しているのではない。

つまり、両者のスタンスは、ほとんど水と油。

これを理解していると、🅅他動詞と🆅自動詞として以下の語彙を出されると、違和感を覚えてしまうことになる。
 (〜を)🅅見る。
   [+エ]⇒(〜が)🆅見える。
 (〜を)🅅聞く。
   [+エ]⇒(〜が)🆅聞こえる。
 (〜を)🅅消す。
   [+エ]⇒(〜が)🆅消える。
これらの自動詞には、他動詞の目的語(〜を)表現は無いものの、助詞の違いだけで、ほぼ同等の知覚の対象は存在しており、理屈では自動詞だが、意味的に自動詞と言えるのかはなはだ疑問。可能であること示する文章にも思えるし。
浅学の身にはこの辺りがどうなっているのか全く知らないが、日本語には、倭の時代から綿々と続く、自動詞・他動詞とは異なるルールが存在しているような気がしてならない。

特に、このように書いてみると、そんな気分になってくるのだ。・・・
 (神々が)🆅集まる。(〜の下に)
 (神々を)🅅集める。(〜が)

 (統治が)🆅始まる。(〜の)
 (統治を)🅅始める。(〜が)

何故に、そう感じるかと言えば、目的語云々で自動詞と認定する意味がはたしてあるのか、疑問を感じるからだ。「古事記」ならこんな動詞があたる。
 🆅座す。
 🆅光る。

かえって、わかりにくいか。
以下のように並べると、多少は、小生の感覚がおわかりいただけるかも。
 (笛を)吹く。
 (風が)吹く。
 (芽_)吹く。

「古事記」的な言葉表現だと、自動詞と他動詞の峻別は意味が薄そうに思えてくるのだ。・・・
 芽吹く 根張る 枝伸ぶ 葉茂る 花咲く

さて、ここで「古事記」に戻るが、以下の峻別は、果たして自動詞と他動詞の違いだろうかということ。・・・
 (神が)🆅成る。 …e.g. 宇摩志阿斯訶備比古遅神がナル。
 (神を)🅅生む。 …e.g. 伊邪那岐神と妹 伊邪那美神が大事忍男神をウム。

🆅自動詞と🅅他動詞の違いは、行為の🅞対象の有無、つまり他に働きかけるか否かということになっている。そのような峻別意識の前に、自然なあるがままの状況で変化が発生したという概念と、目的意識が存在していて、その流れで新たな動きが始まるという概念の違いがあると見た方がわかり易い。
"成る"とはあくまでも発現であり、意志あっての誕生とは違うということになる。<主語+文型>言語ではなく、<述部>言語であるから、この概念表現が最優先されていると考えた方がしっくりくる。

例えば、以下の文は、生(産)むという他動詞の受け身表現と考えるのが<主語+文型>言語人。私という主語に、子を"産む"という他動詞が付くのだから、それ以外の解釈など有り得ぬということになろう。実に、論理的である。
   吾は生まれた。
一方、この文章は、自分は自然にこの世に"成った"という表現では、と受け取るのが<述部>言語人である。もちろん、話の筋によっては、母から産まれたとの意味のこともあろうが、それは、"This is a pen."と言うシーンがほとんどあり得ないのと同じこと。(オッと、そうでもなかった。英語教育を揶揄する文章としての定番。)

倭人社会の風土は、理念と信仰告白ありきの宗教人感覚からは読み取れないのであり、風土の根底にある言語を、西洋文法の論理で整理したところで、現代社会に於ける標準化と社会統制には大いに役に立つが、古代の状況を読もうとするなら桎梏以外のなにものでもなかろう。「古事記」はあくまでも、漢文的教養を120%活かしながらの、<主語+文型>の漢語秩序からの脱却を試みた書なのだから。

以下に、そんな気分で、「古事記」上巻での「生成議論」(日本最古の言語学)が見えるように書いてみた。まさに、生成文法のハシリ。

圧巻。説明するのが失礼に当たろう。
太安万侶と稗田阿礼、渾身の傑作と言ってよかろう。・・・

 天地初發之時
  
↓成神 ☚
 於高天原
成神名・・・次・・・次・・・此三柱神者 並獨神坐 而 隱身也
 次・・・之時 如葦牙因萌騰之物 而
成神名・・・次・・・此二柱神亦獨神坐而 隱身也
 次
成神名・・・次・・・此二柱神亦獨神坐而 隱身也
 次
成神名・・・次・・・次・・・次妹・・・次・・・次妹・・・次・・・次妹・・・
 次伊邪那岐神 次妹伊邪那美神・・・

 於是《天神》諸命以詔 伊邪那岐命伊邪那美命二柱神
  「修理固
是多陀用幣流之國」
   :
 自其矛末垂落之鹽 累積
成嶋 是淤能碁呂嶋←成嶋≠嶋生 ☚
   :
 於是問其妹伊邪那美命曰:
 「汝身者如何

 答曰:
 「吾身者
成成不成合處一處在←なりなりてなり合わざる処 ☚
 爾 伊邪那岐命詔:
 「我身者
成成而成餘處一處在←なりなりてなり余れる処 ☚
  故以此吾身
成餘處
  刺塞汝身
不成合處
  
以爲生成國土生奈何
  
【訓生云宇牟 下效此】
  
↑【註記】生を訓じて"ウム"と云ふ。下、此に効へ。 ☚
  
↓嶋生≠成嶋 ☚
 興而
子水蛭子 此子者入葦船而流去
 次
淡嶋是亦不入子之例
 於是二柱神議云 今吾
之子不良

 御合
子 淡道之穗之狹別嶋 次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・
 故因此八嶋先
謂大八嶋國・・・
 
吉備兒嶋・・・次・・・次・・・次・・・次・・・次兩兒嶋

 既
國竟 更
 故
神名大事忍男神 次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・
 次
水戸神・・・因河海持別 而 神名沫那藝神・・・次・・・
 因
此子 美蕃登 見炙而病臥在 多具理邇
 
神名金山毘古神 次金山毘賣神
 次於屎
成神名波邇夜須毘古神 次波邇夜須毘賣神
 次於尿
成神名彌都波能賣神 次和久産巣日神 此神之子謂豐宇氣毘賣神
   
↑屎・尿は成神 ☚
 故伊邪那美神者 因
火神 遂神避坐也
 凡伊邪那岐伊邪那美二神 共
嶋壹拾肆嶋 神參拾伍神
 【是伊邪那美神未神避以前
唯意能碁呂嶋者 非 亦姪子與淡嶋不入子之例也】
   
↑【註記】"矛末垂落之鹽 累積成嶋" の非所生のご注意 ☚
 ・・・哭時。於御涙
成神・・・
   
↑涙は成神 ☚
 故爾伊邪那岐命詔之 愛我那邇妹命乎・・・
 哭時 於御涙
成神・・・名泣澤女神・・・
 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也

 於是伊邪那岐命 拔所御佩之十拳劔斬其子迦具土神之頸
 爾著其御刀前之血 走就湯津石村
成神名 石拆神・・・次・・・次・・・
 次著御刀本血亦走就湯津石村
成神名 甕速日神・・・次・・・次・・・
 次集御刀之手上血 自手俣漏出
成神名 闇淤加美神・・・次・・・
 【上件自石拆神以下闇御津羽神以前并八神者因 御刀
之神者也】
   
↑【註記】血からの成神だが、刀で生まれた神 ☚
 所殺迦具土神之於頭
成神名正鹿山津見神 次於胸成神・・・次於腹成神・・・次於陰成神・・・次於左手成神・・・次於右手成神・・・次於左足成神・・・次於右足成神・・・
 於是欲相見其妹伊邪那美命 追往黄泉國・・・
 并八雷神

 於是伊邪那岐命見畏而 逃還之時 其妹伊邪那美命 言令見辱吾・・・
 令追 爾 伊邪那岐命 取K御鬘投棄 乃
蒲子 是摭食之間 逃行
 猶追 亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕 而 投棄 乃
笋 是拔食之間 逃行
  
↑生≠"ウム" ⇒ 生="ナル"=成 ☚
 ・・・
 爾 伊邪那岐命詔:
 愛我那邇妹命 汝爲然者 吾一日立千五百産屋 是以一日必千人死 一日必千五百人

 ・・・禊祓也・・・
 故於投棄御杖
成神名衝立船戸神 次於投棄御帶成神・・・次於投棄御裳成神・・・次於投棄御衣成神・・・次於投棄御褌成神・・・次於投棄御冠成神・・・次於投棄左御手之手纒成神・・・次・・・次・・・次於投棄右御手之手纒成神・・・次・・・次・・・
 【右件自船戸神以下邊津甲斐辨羅神以前十二神者 因脱著身之物
生神也】
   
↑【註記】では成でなく生 ☚
 ・・・滌時
 
所成坐神名八十禍津日神・・・次・・・所到其穢繁國之時 因汚垢 而成神之者也
 次爲直其禍 而
成神名神直毘神・・・次・・・次・・・
 次於水底滌時
成神名底津綿津見神 次・・・
 於中滌時
成神名中津綿津見神 次・・・
 於水上滌時
成神名上津綿津見神・・・次・・・
 於是洗左御目時
成神名天照大御神 次洗右御目時成神名月讀命 次洗御鼻時成神名建速須佐之男命
 【右件八十禍津日神以下速須佐之男命以前十四柱神者 因滌御身
者也】
   
↑【註記】では成でなく生 ☚
 此時伊邪那伎命大歡喜詔
 吾者
生生子 而 於終 得三貴子・・・
   
↑子を生み生みて 生みの終わりに三貴子を得た ☚
 ・・・
  
↓"於吹棄氣吹之狹霧於所成神" ☚
 於吹棄氣吹之狹霧
成神御名 多紀理毘賣命・・・次・・・次・・・
 於吹棄氣吹之狹霧
成神御名 正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命・・・
 於吹棄氣吹之狹霧
成神御名 天之菩卑能命・・・
 於吹棄氣吹之狹霧
成神御名 天津日子根命・・・
 於吹棄氣吹之狹霧
成神御名 活津日子根命・・・
 於吹棄氣吹之狹霧
成神御名 熊野久須毘命・・・
 於是天照大御神 告速須佐之男命:
 是後所生五柱男子者 物實 因我物
故自吾子也
 先所生之三柱女子者 物實 因汝物
故乃汝子也 如此詔別也
 故其先
之神
 ・・・故此後
五柱子之中 天菩比命之子建比良鳥命・・・
 ・・・
 爾速須佐之男命 白于天照大御神 我心清明
 故我
生子 得手弱女・・・
 ・・・
 爾 大氣都比賣 自鼻口及尻 種種味物取出 而 種種作具 而
 進時 速須佐之男命 立伺其態 以爲穢汚而奉進 乃殺其大宜津比賣神
 故所殺神於身
物者
 於頭
蠶 於二目稻種 於二耳粟 於鼻小豆 於陰麥 於尻大豆
 ・・・
 故 其櫛名田比賣以 久美度邇起而
成神名謂八嶋士奴美神 ☚
 又娶大山津見神之女 名神大市比賣
   
↓中巻的世界の"生" ☚
 
生子大年神・・・次・・・娶・・・生子・・・娶・・・娶・・・生子・・・娶・・・生子・・・娶・・・生子・・・
 ・・・
 故此大國主神 娶・・・
生子・・・次・・・
 亦娶・・・
生子・・・亦娶・・・生子・・・
 此神 娶・・・
生子・・・娶・・・生子・・・此神 娶・・・生子・・・
 此神 娶・・・
生子・・・此神 娶・・・生子・・・此神 娶・・・
 
生子・・・此神 娶・・・生子・・・此神 娶・・・生子・・・
 故其大年神 娶・・・
生子・・・次・・・次・・・次・・・次・・・又娶・・・生子・・・次・・・
 又娶・・・
生子・・・・・・
 ・・・娶・・・
生子・・・次・・・次妹・・・次・・・次・・・次・・・次・・・次・・・
 ・・・
 爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白 僕者將降裝束之間 子
出・・・
 御合高木神之女 萬幡豐秋津師比賣命
生子・・・
 ・・・
 今臨産時 是天神之御子 私不可産 故請 爾詔
 佐久夜毘賣一宿哉妊 是非我子 必國神之子 爾 答白
 吾妊之子 若國神之子者 産不幸 若天神之御子者幸
 即作無戸八尋殿 入其殿内 以土塗塞 而
 方産時 以火著其殿而産也。故其火盛燒時
之子名火照命・・・次生子・・・次生子・・・
 ・・・


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