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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.4] ■■■
[154] 葦原中国と唐突に呼称する理由
葦原中国という名称は、黄泉国から逃げ返る伊邪那岐命が助けられた桃子に告げる時に、突然登場してくる。・・・
 爾 伊邪那岐命 告其桃子:
 "汝如助吾 於
葦原中國所有宇都志伎青人草之落苦瀬 而 患惚時 可助"告。

「古事記」成立頃は、中華帝国の地は、中国という言葉よりは、王朝名で呼ぶのが一般的だったようだが、桃の霊力での除邪話は道教信仰以外にあり得ないので、中国という用語を入れる必要あると考えたのではなかろうか。

この中国だが、今のところ、発掘された何尊(青銅器)@西周の銘文に“宅兹中国"とあるのが初出。文脈から天文地理的な中央という意味とされている。その後は東西南北の四夷を外周とする国とされたようだ。
  小雅盡廢則四夷交侵 中國微矣 「毛詩:「小雅」南有嘉魚之什 六月」
  中國戎夷,五方之民,皆有性也,不可推移。
   東方曰夷,被髮文身,有不火食者矣。
   南方曰蠻,雕題交趾,有不火食者矣。
   西方曰戎,被髮衣皮,有不粒食者矣。
   北方曰狄,衣羽毛穴居,有不粒食者矣。
  
中國,夷,蠻,戎,狄,皆有安居,和味,宜服,利用,備器,
   五方之民,言語不通,嗜欲不同。
  達其志,通其欲:
   東方曰寄,南方曰象,西方曰狄鞮,北方曰譯。
 [「礼記」王制]

ただ、このシーンからは五方の存在は想定できず、天降元の高天原を上ッ国と考え、黄泉国は坂下にあるとして下ッ国と見なすことで、{大八嶋國+六嶋}を葦原中国と名付けたことになるのだろうか。
 ㊤【高天原】⓪⇒
  ㊥【多陀用幣流之國⇒淤能碁呂嶋⇒{大八嶋國+六嶋}】
   ㊦【黄泉国】①⇒
    ㊥【葦原中国(黄泉比良坂[=出雲国伊賦夜坂])】⇒
      (竺紫日向之橘小門之阿波岐原)
       (淡海之多賀)
そして、阿波岐原で三貴子が洗所成~[滌御身所生]。それぞれ、命を受けて、異界へ移るように命ぜられる。黄泉国や根之堅洲國は出雲近辺にある入口を塞いでいるだけですぐお隣の国のようだし、常世之国や海神の宮も航海で行き付くことができる地のようだから、これらに囲まれた中国ということかもしれないが。
[右目]月讀命:【葦原中国】⇒【夜之食國】②
[左目]天照大御~:【葦原中国】⇒【高天原】
[鼻]建速須佐之男命:【葦原中国】【③海原(⇔妣國)】⇒【高天原】⇒
   【葦原中国(出雲)】⇒【根之堅洲國】④
 [別途]【③常世之国や海神の宮】

葦原中国はどうも天皇が統治する国の名称としては不適当らしく、上巻用の語彙である。ただ、中巻に例外的に東征で高天原から支援を受けた時のみ使われている。つまり、天照大御~が統治するようになった高天原の統治対象先を、"葦原中国"と呼ぶことにしたのだろう。

《天の岩戸》
 爾高天原皆暗。葦原
中國悉闇。
 細開天石屋戸而。内告者。因吾隱坐而。以爲天原自闇。亦葦原
中國皆闇矣。
 故天照大御神出坐之時。高天原及葦原
中國。自得照明。
《統治不成功降臨》
 思金神令思而詔。此葦原中國者。我御子之所知國。
 所遣葦原
中國之天菩比神。久不復奏。
 汝行。問天若日子状者。
 汝所以使葦原
中國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何至于八年。不復奏。
《国譲》
 葦原
中國者。我御子之所知國。言依賜。
 此葦原
中國者。隨命既獻也。
 不違八重事代主神之言。此葦原
中國者。
 僕之不違。此葦原
中國者。
 返參上。復奏。言向和平葦原
中國之状。
《天孫降臨》
 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命。今平訖葦原
中國
 爾日子番能邇邇藝命。將天降之時。
 居天之八衢而。上光高天原。下光葦原
中國之神。
《東征》
 天照大神。高木神。二柱神之命以。召建御雷神而詔。
 葦原
中國者。伊多玖佐夜藝帝阿理那理。我之御子等。不平坐良志。
 其葦原
中國者。專汝所言向之國故。

ただ、天照大御神は中國という語彙に拘っている訳ではなく、寿ぎ的に呼ぶ場合は使用しない。・・・
  豊葦原之千秋長五百秋之水穂国

中巻の天皇代からは、天下という表現のみとなる。それこそが、天皇の定義でもあろう。
  "天下"之政・・・治天下

ここで、もう一つ気になるのが、聞きなれない語彙の"食國"。朝廷用語だったようだ。・・・
(伊邪那岐命) 次詔 月読命 "汝命者 所知夜之食[袁須]國矣 事依也"
(品陀和氣命/[15]応神天皇) 卽詔別者
   大山守命 爲 山海之政
   大雀命 執
食國之政 以白賜
   宇遲能和紀郎子 所知天津日繼也

やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと [「萬葉集」巻一#50]
天の下 治めたまひ 食す国を 定めたまふと [「萬葉集」巻二#199]
やすみしし 我が大君の 食す国は 大和もここも 同じとぞ思ふ [「萬葉集」巻六#956]


食国は、食邑≒封地(=地租税俸禄)@周〜漢から来ているのだろう。こちらの語彙は常用語であるが、臣下が賜わる際の用語であり、神や皇子に対しては邑を国にした食国となるのだろう。朝廷造語なので、唐音読みをしないのだろう。・・・
賜食邑於寧秦。[「史記」卷五十四曹相國世家 第二十四]
賜食邑杜之樊鄉・・・益食邑千三百戶・・・
(@樊噲)
賜食邑武成六千戶・・・受梁相國印,益食邑四千戶・・・食邑涿五千戶・・・
(@酈商)
以列侯食邑杜平鄉・・・賜益食邑二千五百戶・・・除前所食邑・・・
(@灌嬰)
[「史記」卷九十五 樊酈滕灌列傳 第三十五]


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