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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.12] ■■■
[162] インターナショナル視点での原始の海
ヘンテコなタイトルをつけてみたのは、何度か書いてきた"「古事記」を神話として読むべきではない。"の説明をしたいと思って。

小難しい話をしたい訳ではなく、素人だと、自ら単純思考の罠に嵌ることになりかねないから注意した方がよいとお伝えしたかっただけ。
例えば、気が付かずに、エンゲルスの単純明快なドグマの信奉者になりかねないのである。・・・父なる天を信仰する遊牧民は、母なる大地を信仰する農耕民を武力制覇し、地母神⇒至高神天主という信仰の転換を成し遂げ、これによって社会構造の大変革を創ったという見方。
至極わかり易いので、その通りと考えてしまいがちだが、論理的根拠は極めて薄弱と言わざるを得ない。これに当てはまらない例は無いのか考えもせずに同調するのは止めた方がよいというだけのこと。

こんなことをわざわざ書いているのは、小生の信念からと言いたいところだが、そんな大それた考えなどさらさらない。書き流しているだけなのだから。

理由は単純で、「古事記」は序文の冒頭で、"ドグマを持ち出すな!"と高らかに語っているに等しいからだ。換言すれば、神代の話として十把一絡げにして読まないようにとのご注意でもある。・・・"混元⇒陰陽斯開"の端緒は參~と序文に記載されているが、本文にはそのようなことは一切書かれていないからである。ドグマ論にすでに染まっていれば全く気にかからないが、まともな知識人ならナンダこの解釈は、となる仕掛け。(本文は"天地初發の時に高天原に參~が成った。"とある。)

さて、「古事記」上巻では、海神あるいは海人関連の神が10タイプ登場して来る。

これだけでも十分読み甲斐がある。実に、よくできた歴史観であり、じっくり味わわないともったいない。
今迄、個々にはバラバラと取り上げてきたので、ここらで"インターナショナル的視点"で振り返ってみようと思う。
以下の全体ストーリーを勘案しながら、順次眺めていこう。・・・
(くどいが、形骸化されてしまった"神話"のモチーフとの類似性を探っている訳ではない。情報を集め、分析し、互いに結び付ける糸口を見つけたいのではなく、あくまでも、それぞれの精神の底流となっていそうな観念を風土論的に想定しているだけ。)

❶冒頭。クラゲのような"原始の海"的世界に神が顕れる。
  造化三神
 その世界の名称は高天原。
 海に囲まれた島嶼社会に根ざした観念と言ってよいだろう。
 栄養豊富な海辺での水母大量発生のシーンが重なる。
 天竺なら さしずめ乳海に当たる。
神々の系譜が独神から対偶神に入り、
 神世の最後に登場するのが倭国の創造神。

  伊邪那岐命伊邪那美命
 高天原の神々の意向で、矛で国造りをすることに。
 矛を入れて引き上げると、
 あたかも潮から塩ができるかの如く、
 日本列島起源の島が出来てしまう。
 島嶼居住の海人の伝承以外に考えられまい。

交わりの最初に生まれた子は蛭子。
 葦船
に入れ流し去った。海人の葬制なのだろう。
 しかし、子として認められていない。
 葦と言えば、別天神で"葦牙因萌騰之物"として唯一性情が示されるのが
 
宇摩志阿斯訶備比古遅神。…いかにも河川デルタ域。 📖葦でなく阿斯と記載する理由
 そして"国生み[=
嶋神生み]"で日本列島の主要国土を生成する。
最初の海神とされるのは、神生みで登場。
 最初の10柱のうちの8番目。

  [海神]大綿津見神
本格的な船は神生みの最後の方になってから登場。
  鳥之石楠船~/天鳥船
 ここだけでなく、国譲りに再登場。
 派遣された建御雷神はあくまでも"副"。
 正は海を渡航する能力ある神。

その後、黄泉国から帰った伊邪那岐命は、
 穢れを払うために禊を。その最後に3貴子が誕生。
 天照大御神を絶賛し、高天原統治の詔。
 物実に使ってしまった筈の玉もレガリア的に。
 その一方、男神には、おざなり的に海原統治の詔。

  須佐之男命
ところが、この3貴神誕生の直前に、海の3神2組が登場。
 海神名再登場だが、安曇連祖神である。

  底津綿津見神
  中津綿津見神
  上津綿津見神
一組づつ、順次登場ではなく、ペアで3連続。
  底筒之男神
  中筒之男神
  上筒之男神
 こちらの3男神は墨江之三前大神(住吉神)とされている。
さらに、時代が変わると、
 天照大御神と須佐之男命の誓約で
 3女神の伊都久三前大神(宗像神)が生まれる。

  多紀理毘賣命(胸形之奥津宮)
  市寸嶋比賣命(胸形之中津宮)
  田寸津比賣命(胸形之邊津宮)
天孫降臨後。
 山彦こと火遠理命は、海彦の針を失くし、
 捜索のため、鹽椎~の助言に従って海を渡航。

  綿津見大神
 大神の娘である豊玉毘売と結婚する。
 葦原中国ではないから、当初の大綿津見神とは異なるかも。


【倭】の初源は混沌。そこに神が生まれる。但し、その先、最初の独り神が自らの力で神々を生んでいくのではない。3柱が顕れるだけ。ところが、なにもしない。それどころか、その存在自体も隠れていてその実体はわからない。
しかし、ずっと後代になると、うち2柱は、葦原中国に於ける最初の王権樹立の支援者的役割を果たすことになる。と言っても、王の後ろ盾として威光を示す訳でもない。
天帝とはイメージ的に全く異なる存在である。

黄河-中原の【中華帝国】の公的信仰では、天地創造とは、混沌からの天と地が分別する二元論。そのうち天を支配する男神が絶対的権力を持つとされるが、男女対偶神発想を消し去ることができた訳ではないから、地母神信仰もあり、さらに、この天地観念にパラレルに死霊(鬼)≒祖先信仰も存在するから、当初から天帝=至高絶対神観念が確立していた訳ではなさそう。
 皇天@天空…使者(天神)を抱える。
 后土@地上=皇地祇(自然神)…おそらく墓神でもあろう。
 人鬼(祖先)
(比較神話論を真似すれば、"上記3神⇔造化三神"を追求してみることになる。皇天≒高木神、后土≒神産神、人鬼≒御中神とするしかなかろうが、無関係としか思えない。)
上記の皇天は儒教用語では天帝/昊天上帝、道教用語では玉皇上帝。
史書とは帝国樹立に伴って成立するもの。そのため、史書を第一義に考えれば、初めから絶対神の天帝が存在していたように思ってしまうが、もともとは、ヒトの始祖とされる人首蛇身の神が最高神だった可能性の方が高い。天帝に天子として命じられた歴代皇帝にしても、別枠で尊奉していたと思われる。そうでなければ抹消されている筈。(表だってそのようには書けないから、揚子江流域から南方に逃亡した現称苗族等の伝承とされているに過ぎまい。)儒教型帝国からすれば、部族トーテム的である上に、天帝をさしおいて民族祖神を最高神にされたりすれば、統治の邪魔になるから抹消させたかっただろうが、そこまでは注力しなかっただけのこと。
 伏羲
 女媧
さらに、天地開闢と極めて親和性が薄い創始神も別途存在している。
世界の万象を生み出す異形の神"混沌"である。七孔を開けられて死ぬことで、この神から万象が生まれる。
ただ、道教に組み込まれたのは創世神"盤古"。後世の手が入っていそうだから、その特徴は信用しかねるが、呉ではほぼ確立していた伝承話である。所謂、死体から万物が生成される原人である。その衣類の蚤からヒトが生まれる話もあったりして、儒教が生まれる前の時代の息吹を感じさせる話である。

そんな頃は、部族トーテム乱立状態だったろう。祖としての鳥類信仰が主流だった可能性が高そうだ。そうだとすれば、宇宙卵が原初とされていた筈。

普通に考えれば、これらの互いに繋がりようもない話とは、大陸での信仰変遷を示す一断面ということになろう。"部族社会⇒地域協調体制⇒国家⇒連合国家⇒帝国"という過程で生まれた観念と考えれば、なんの不思議もない訳で。…「古事記」を読んでいるから、そう考える訳だが。

このように考えると、倭の原初の混沌とは、中華帝国段階の観念と類似と見てよいのか、十分に注意してかかる必要があろう。

世界の万象を生み出す神が最初に誕生するのが、ユニバーサルに通用する観念と考えがちだが、それは頭に叩き込まれているモノの見方でしかない。(遠の昔に捨て去られたギリシア信仰の残滓を基本形と考えさせられているということ。)
「古事記」が示す原初とは神々の場に過ぎず、「無」の世界とは言えない。「無」から「有」が生まれて行く訳ではない。原初の神は存在していても確認できないが、顕れたことは実感できるという考え方。しかも、最初の神が、宇宙を創るとか、生命体を生み出すことはない。

もう一つ考えておくべきは、原始の海に矛を入れる場所を考えると、高天原を遥かかなたの天空とみなすのは信仰以外のなにものでもないという点。
つまり、中華帝国の天地とは、概念が全く違う。太陽、月、星、は天帝の支配下の神であり、天体運動の核と見なされる北極星が天帝のシンボルや最高官となることはあっても日神が最高神にされることはあり得まい。太陽は、西に沈み、東から再生して来るという見方だから、絶対神ではありえないし、創造神となることも考えにくい。天の支配者足り得ないから、矢を射られて落下することもあっておかしくないのである。
「古事記」は、天照大御神を太陽神と記述することはないし、星神も全く登場しない。月神にしても、月読神であり天体運動を解釈する神であって天体神と言えるのかよくわからない表現になっている。
中華帝国と倭は似ても似つかぬ観念であるため、「古事記」はそこらを勘案して書かれていると考えるべきでは。
中華帝国の、天地観念とは、無限大の半球"天"に覆われた、東西南北の海に囲まれた。限りある方形の地という宇宙像に由来していそうだが、倭にはそれは当てはまりそうにない。

初源の神を考えるということで、エーゲ海の【ギリシア】についても、眺めておこう。

我々が習う神話の主神はゼウス。…完璧に人格神化されており、全知全能の至上の存在とされている。極めて多くの神々が存在しており、納得できる理由は欠くもののゼウスの地位はそのなかでの唯一絶対神。換言すれば、天空神であり、人類と神々の共通の王(全宇宙を支配)ということになる。中華帝国皇帝を命ずる天帝と概念的には似ている。国家乱立から帝国へと進展する過程では、こうならざるを得ないのであろう。
系譜を見ると、いかにも、都市国家や多島海の種々の神々を纏めていった様子が偲ばれる構造。・・・
[原古]混沌/カオスChaos

大地/ガイアGaia
│└┐
[子]天空/ウラノスUranus
└┬┘母子婚
├─┐
○クロノスChronos
△レアーRhea
└┬┘
┼┼├┬┬┬┬─┐[末子 or 長子]全知全能神
┼┼│││││ゼウスZeus…主神@オリンポス山(≒天界)
┼┼││││ヘーラーHera…天界の女王:結婚神
┼┼││││└┬┘姉弟婚
┼┼││││
┼┼[家庭]ヘスティア [農]デメテル [冥府]ハデス [海]ポセイドン
一目瞭然だが、ゼウスは初源の神どころか、かなり後代の神々の社会の主神。しかも、初源の神はゼウスではなく混沌そのもの、あるいは、大地の女神。その神が天空の神を生むことから神々の系譜が始まる。
天地という観念は、空を感じるからヒトにとっては当たり前と思いがちだが、ギリシア型は地から天が生まれる。・・・天地創造のユニバーサルなストーリーなど無いことがわかろう。当たり前だと思うが、自分の信仰と齟齬をきたしかねない見方は異端とみなしたいから、どうしてもそうなるのであろう。

例えば、【シュメール】では、天地を生み、さらに全ての神々をも生んだ祖神は、原初の混沌状態から顕れた海[エンガル/Engur]の女神[ナンム/Nammu]

そして、兄妹神<最高神の天神[アン/An]冥界の地神[キ/Ki]>を生んだとされる。
この海の女神は後に改名[ティアマト/tiamat](蛇人体 or ドラゴン)される。その時点で、原初混沌から神が顕れて止揚し世界が確定するとのストーリーが出来上がったのだろう。
要するに、アンとキが天地開闢の神になる訳で、場合によっては、この兄妹神を生んだ父母神が存在したという教義も生まれたりする。
どう見ても、極めて思弁的な形而上の神であるから、信仰対象として祀られていた訳ではなさそうだが、シュメールの世界の創造神であることは間違いないだろう。
その宇宙観はドームで覆われた地表とその外側に原初の海があり、地底には淡水の海[アプスー/apsû]が広がっているというもの。

普通に考えれば、シュメール人の謂うところの大地とは、毎年洪水に見舞われる湿地帯や河川湖上に作った人工洲だろう。そんな地での山岳信仰とは遥か彼方の源流域尊崇を意味している筈。一方、冥界とは遺骸が沈んで行く河底に当たろう。

シュメールは文字解読で少し状況がわかって来たとはいえ、情報豊富な古代文明は何と言っても、ナイル河の【エジプト】。ただ、素人にとって厄介なのは、王朝変遷があるので、どのように定式化してよいのかわからぬ点。とりあえず、以下のように考えると、天地開闢は男神大地と女神天空が大気によって引き離されたことで発生することになる。しかしんがら、この対偶神は神々を生むが、宇宙の創造神とは言えそうにない。
[原初]/ヌン

[創造主]太陽/ラー…乗船渡航
├─┐
大気/シュウ
湿気/テフヌート
└┬┘
├─┐
[兄]大地/ゲブ
[妹]天空/ヌート…再生の神でもある。
└┬┘
┼┼├┬┬┐オシリス、イシス、セト、ネフティス

以上、インターナショナルと言うことで、ずらずらと眺めてみた。

これらは注意が必要。あくまでも、"現在の信仰"に基づく"合理的"視点から整理されたものだからだ。過去の信仰を否定することで生まれた信仰の視点で見ているのだから、言語の系統論と同じで、どこまで実態を反映しているかわかったものではない。
日本やインドのように解釈替えや習合を経て現在に至っても生き続けている信仰と比較するのは、オレンジ・アップル議論のレベルかもしれないのだ。つまり、神の概念自体が異なるにもかかわらず、それを無視して検討している可能性は比定できないということ。

と言うことで、口承叙事詩のヴェーダを信仰の中核とする【天竺】の創始神を眺めることとしよう。

天竺の神の数は多く、異名が次々と生まれるし、明らかに発祥が違う神であっても同一神の化身とされるので、整理するのは容易なことではない。ただ、仏教の曼荼羅である程度読みとることは可能だ。

現在の信仰からすれば、三神一体/トリムールティのブラフマー/創造+ヴィシュヌ/維持+シヴァ/破壊の3柱が原初の神となるが、生まれの由緒には乳海が関係してくる。いずれも極めて内陸的なイメージに映るが、河川神といった自然神ではない。
これより古い最高三神は"アグニ/火+スーリヤ/太陽"⇒インドラ/雷(神々の帝王)。この段階では、水、月、風、といった神も同列扱いされているから、かんらずしも絶対的地位と言う訳でもなさそうだ。
インド多神教の世界は教義的に常に整理が進み続けており、この自然神も初源とは異なっている可能性が高い。
・・・創始神は「天父地母」と見た方がしっくりくるからだ。
  天空男神ディヤウス+大地女神プリトヴィー(おそらく農耕創始神)

そのお隣の【ペルシア】は、火信仰のゾロアスター教発祥の地で少なからずインドの信仰に影響を与えているが、創始神は河女神。気象に係わる一切の神々を支配する神でもある。その水源が天であり、注ぎこむ先が大海洋。ドームの天的な宇宙観ではない。ただ、豊穣の神はあくまでも地神であり、女神。

・・・こんなことを次々と書いていると切りが無いので、ここで一段落としよう。
(天父神・地母神1つとっても、我々が知る範囲で天は男神、地は女神が多いに過ぎず、天父神も少なからず存在するし、天母神も。太陽神など男神だらけに映るが、倭の天照大御神は太陽神と見なされている訳で、信仰の違いが存在しているのは明らか。機械的に整理分析して地女神存在理由を云々してよいのか、考える必要があろう。)

言うまでもないが、同じ多神教でも、天竺と倭は信仰の基盤が異なる。

自然現象を尊崇する点では共通なので、両者の神々は類似性があって当然だが、倭の場合はその数が極端に多くなる。それこそ文字通り八百万の神々。そのため、国家神道化で大部分が消し去られることとなった。その結果、天竺の方が多そうに映るが本来は逆の筈。
と言うのは、天竺の信仰はあくまでも死生観が核であり、それに基づいた自然の摂理=法則を土台としているから。法則がほぼ同一でも、見方は千差万別でどのような神々になるかは、各地の習俗で変化してくる。とりあえず、法則を代表とする神が現行の主神として祀られることになる。

倭の多神教は、これとは違い、各地の土着化した人々が環境を崇拝することが原点。環境には、自分自身も含まれるから、神と非神のボーダーラインは曖昧だし、人格神と非人格神の峻別も避けることになる。移住すれば、過去と現在の信仰を習合させることになる。そこになんらの違和感など生まれようが無い。
「古事記」から見る限り倭祖は海人で、葦が生える地が本貫地ということになろう。宇宙の創始は当然ながら海の筈。しかし、海だけで食べていける筈もなく、様々な土からの恵みに依存することになるから、自然と土に関係する環境神が多くなる。
天竺は大陸的な地域であり、環境神信仰の多神教という点では似ているが、信仰の本質は、宗教の原点たる死生観。
従って、乳海譚や蓮上のヴィシュヌ譚が宇宙創成話であるといっても、そこには宗教の根幹哲学が組み込まれている。初源に海を持ち出す必要性は無いが、広大な海に起源を感じていることを示していることになろう。

倭の多神教と一番対立的なのは、死生観を確立している儒教である。祖先への絶対信仰と、それに付随する招魂再生儀式を最重要視し、それに天帝という絶対への崇敬を被せた構造にしており、自然神無視を図っているからだ。道教は地場信仰の寄せ集めでしかなく、教団維持あっての宗教。そのため儒教の補完的地位で存在する以外に手はない。「山海経」にはかつての部族毎のトーテム信仰と、海・山・河川湖沼信仰の残渣が示されているが、道教は、それを形式的かつ表面的に受け継いだように見せているに過ぎない。土着神の官僚統制の仕組みの導入とは、自然神絶滅化と同義なのだから。帝国化とはそういうもの。

倭は、中華帝国の仕組みを導入したが、官僚制を志向すれば、宗教としての儒教も一挙に流入してくる。しかし、本質的に儒教的信仰は風土に合わないから、それを止める必要があり、反儒教の道教的センスを同時に取り入れるしかなかろう。
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《混沌》
┌┴─┬──┬──┬──┐
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┼┼││┼┼┼┼┼┼┼│└定業 夢 復讐 嘲り 愛情 老年
┼┼││┼┼┼┼┼┼┼ 死 眠り 不和 欺瞞 苦悩 運命 悪霊
┌─┘├──┬┬──┐└┬──┐
┼┼天空│山々天空
┼┼┼│└┬┘
┌┬┬┤├┬┬┐
□□□□□□□□
┼┼┼┼┼┼ティーターン
┼┼┼┼┼《12神》[オーケアノス+テーテュース・ヒュペリーオーン+テイアー・コイオス+ポイベー・クロノス+レアー・テミス・ムネーモシュネー・クレイオス・イーアペトス]

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