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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.3] ■■■
[183] ご神体山と神奈備の曖昧さ
必ずと言ってよいほど、古神道の解説では、山がご神体だったとされる。そして、そのような山は居住地から見えるところにある"神奈備"であるとの説明がある。
「古事記」がはっきりと記しているように、環境には様々な神が居るにもかかわらず、山を特別視する根拠は語られていない。所与の地場信仰とされている。
もちろん、これに対する、異なる見解は見かけないから疑問を感じる人はいないのだろう。

しかし、"神奈備"と呼ぶ山の定義はいかにも中途半端。すべての山を指すとも思えないが、どの山が該当するのか確定のしようがないからだ。
例えば、出雲だと、カンナビ山は以下の4つだけということになるのだろうか。そうだとすれば、他の山とはどこが違うのか。・・[「出雲国風土記」]
意宇郡▲神名樋山 80丈=茶臼山171m@松江
嶋根郡 無し
秋鹿郡▲神名火山
230丈=朝日山342m@松江…山下:佐太大神社
楯縫郡▲神名樋山 120丈5尺=大船山335m@出雲
出雲郡▲神名火山 175丈=仏経山366m@出雲
神門郡 無し
飯石郡 無し
仁多郡 無し
大原郡 無し

上記4山は"神奈備"という概念とは違うというなら、特定の神山に限定されると考えるべきなのだろうか。[「出雲国造神賀」]
 倭大物主櫛_玉命登名乎稱天。
  大御和[三輪]乃神奈備尓坐。
 …大神神社
 己命乃御子阿遅須伎高孫根乃命乃御魂乎。
  葛木乃鴨能神奈備尓坐。
 …高鴨神社
 事代主命能御魂乎宇奈提[卯名手/雲梯@橿原]尓坐。
    …河俣神社
 賀夜奈流美命能御魂乎。
  飛鳥乃神奈備尓坐天。
 …飛鳥坐神社
 皇御孫命能近守神登貢置天。
定義が曖昧である以上、江戸期の里山生活での山イメージを古代にママ投影しているだけと言わざるを得まい。
ただ、それはどうにもなるまい。

"山信仰"の分類ができていない以上、十把一絡げの議論から脱するのは困難極まる。情緒的に対象を絞って、説明するしか手はなかろう。
重層化している文化を読み取る難しさがココにあると言ってよいだろう。

とは言え、切り口皆無ということもなかろう。参考になるかも知れないのが、「今昔物語集」のセンス。

小生は今頃になってからまともに読んだのだが、素晴らしい書である。"日本仏教の源流は3つあると考えヨ。"との主張に、初めて接したからだ。その時、頭に叩き込まれた観念を取り払うのは容易なことではないことに、改めて感じ入ったのである。

仏教は早くから、神々との習合を図ったから、これは仏教以前の信仰の流れが3つあることを示唆している。

一つ目は、国家統治の"律"を第一義的に考える信仰。(聖徳太子系)
これは現代人には当たり前の道徳律のように映ることもあるが、それは自分でそう解釈したいから。
例えば、天竺や震旦で言えば、前者は職業フラグメント化社会の固定化の核となる思想であり、後者は皇帝独裁-官僚統治の貫徹のためのもの。国家としてまとめるために、精神風土に合わせているに過ぎない。ここで齟齬をきたせば、国家分裂は避けられまい。(ついでながら、知識人とは、そこらがどうなっているのか熱心に考えている人達ということになる。生きていくために、こうした律に従っているが、自由を愛するから、どのような精神的規制を強要されているのか知っておかねば奴隷化されてしまうと考えている人達である。当然ながら、人口比率では僅少。例えば、"国家とは、幻想の共同体。"と看破した吉本隆明はその点でまさしくインテリと言えよう。「今昔物語集」編纂者や太安万侶も同類と見て間違いなかろう。)

二つ目は、コミュニティ構築の絆の元となる"奉仕労働(お布施)"信仰。(行基系)
現代で言えば、資本主義的概念ならボランティア(献金)思想に近い。一方、嘘だらけがバレてしまった社会主義国が振りまいた概念で言えば、死語である土曜労働となる。要するに、自発的にパトロンとなるだけの話。(所詮は、奴隷として石工として働いているのと、ピラミッドを造っていると考える違いでしかない訳だが。)
一つ目と一体化すると、化け物のような巨大な権力国家が出現することになる。しかし、一般的には、カネと権力という点で、国家とその一部のコミュニティの利害が一致しないことの方が多いから、本来的には対立的な思想と考えた方がよいだろう。(西洋的に言えば、労働は創造神からの罰と考える思想から脱却して、事由意志の労働に転換させるようなもの。神の代理たる独裁者にとっては意思決定を無視されかねず、危険思想そのもの。)

三つ目は、呪術信仰である。(役行者系)
その代表が修験ということになるが、これこそが山信仰を引き継いでいると見てよいだろう。但し、その系譜をたどることは不可能に近い。
儒教型の国家統制の廃仏運動で、マイナーな修験系信仰は消し去られており、メジャーな部分だけがもともと繋がりがあった既存密教教団に囲い込まれてしまい、ヒエラルキー化され、全容は図りかねる状況。
但し、ここで言う修験の土台はあくまでも呪術者育成。周囲環境信仰の祭祀者(神と意思疎通可能な交感役)たる巫女/巫覡の宗教観を引き継いでいると言ってよいだろう。(南島では巫女の仕組みが修験に代替されていない。)古くからの呪術信仰に、道教の巫祝制度が取り入れられ、呪術習得のための仙人修行の行儀が被って成り立っていると考えるのが自然だろう。

この場合、現代人は、どうしても、アルピニズムや富士講、あるいは山伏という観念無しで見るこができないので、古代の観念を想定することが難しくなる。
"神奈備"とそれ以外を峻別しておく必要があろう。こんな風に考えたらどうか。・・・
○大きく高い大河川源流地の山ではない。
 ヒマラヤ@天竺 エベレスト@チベット[シェルパ族] 玉龍雪山@雲南[納西族] (崑崙山)
○神権者/宗祖の事績や教義規定の山ではない。
 霊鷲山@ビハール(釈尊) 蓬萊山@渤海(「山海経」)
○宗教上重視された奇峰ではない。
 霊山@江西(道教第三十三福地) カイラス山@チベット(≒須弥山)

そして、海人の原初信仰を宿しているとすれば、渡来原(浄處)⇒神道⇒門/鳥居⇒祭祀庭/拝殿⇒神居/神体山という構造になっていると思われる。

つまり、猪登場の山神譚は、別系統の山信仰と見なす訳である。
▲大和葛城山
  又一時 (大長谷若建命/雄略)天皇登幸葛城之山上
  爾 大猪出
  ・・・
  故 天皇畏其宇多岐 登坐榛上

▲伊吹山…牛のような大きな白猪(伊夫伎神社@近江坂田)
  (倭建命)取伊服岐能山之~幸行
  於是詔 「茲山~者徒手直取」
  騰其山之時
  白猪逢于山邊其大如牛


修験の山々も異なると見てよいだろう。・・・
--- 大和周囲修験 ---
△金剛山@葛城 △金峰山・大峰山 △熊野三山
--- 対馬海流系 ---
△出羽三山 △鳥海山
△弥彦山634m
△立山 △石動山
△伯耆大山(卍大山寺)
--- 北部九州 ---
△宝満山(大宰府政庁鬼門封じ竈門神社)
△英彦山1,199m △求菩提山
(肥前)背振 牛尾
--- シンボル ---
△白山 △富士山 △阿蘇山 (△石鎚山)
--- 北方 ---
蔵王 日光 迦葉 三峰 武蔵御嶽 高尾 大山 大雄 箱根
戸隠 飯縄 小菅
御嶽


【小生の"大神神社"に関する見立て】
現在の大三輪の地から古代状況を想定するのは避けた方がよさそう。・・・江戸期には神仏習合が極限まで進んでいたと考えるからだ。にもかかわらず、それに関する資料がほとんど無いのだから、どうにもならない。例えば、禁足という言葉自体、この頃の用語だろう。和語とは思えないだけでなく、本来的には意味もおかしい。
江戸期には、三峯(中央峯が高峯/高宮)に対する三鳥居とされていた可能性が高かろう。[三ツ鳥居は大神神社独自ではない。後世の創建だが、熊野修験系とされる、秩父 三峰神社にも存在している。奥宮(妙法ケ岳)+白岩山+雲取山の3峯に対応したもの。]従って、祭祀には南側の平等寺と北側の檜原社が関連していた筈だ。つまり、大明神の拝殿ということであり、当然ながら、護摩供養が行われることになる。幕府が公的に権威を認めていたのだから、かなりの大型社殿が造成されてしかるべきだ。
特筆モノは、拝殿⇔二鳥居⇔大鳥居が一直線に並んでいる点。地場の神奈備のイメージを消し去る造成がなされており、鎌倉の鶴岡八幡宮の様な国家的な威風を感じさせる形式にしたと見て間違いあるまい。海人の伝統からすれば、拝殿は、豪雨で被害を受けるのを知っていながらも、三峯から流れ出る2本の川に挟まれた葦が生える洲的土地の上に建造される筈だ。


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