→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.14] ■■■ [256] 「古事記」のアソビ 文字は人間が神と交通するために生まれた。 その裏には、言葉つまり歌とは、もともとは人が神に対する歓喜の表現だったのではないかという思想がありそう。 ・・・それは、"可"という文字は、祝詞を入れた呪器を示す文字と祭祀用枝の象形"丁"からなるとの解釈に顕れている。"可"が神に聞き届けられないと、"可+可"となり、歌謡が催されることになると言うのだ。 哥⇒歌/謌 歌謡は コミュニティの活動に伴うものだが、人同士の交流をしているのではなく、神に願う行為を全員が一体となって口誦と仕草を行うことに意味がある訳だ。 その白川静が一番注目していた漢字は"遊"だという。・・・ 「遊ぶものは神である。 神のみが、遊ぶことができた。 遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。 それは神の世界に外ならない。 この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。 ・・・遊とは動くことである。 常には動かざるものが動くときに、 はじめて遊は意味的な行為となる。」 [白川静:"遊字論"@「文字逍遙」] と言うことだが、実は、この文字は大陸では余り使われていない。 もちろん"遊"の用例はある。その場合、意味としては旅に近いようだ。それ以上の意味はなさそう。 遊母倨 [「禮記」曲禮] 孔子東遊 [「列子」湯問] ところが、辞書では"遊"の項目は割愛されており、代替文字があてられている。 遊[辵+斿]⇔游[水+斿]⇔㳺 斿=吹き流し付き旗竿[㫃]+子 一般的には、もっぱら "游"なのである。・・・ 優哉游哉 亦是戻矣 [「詩経」小雅 采菽] 将万余人游行 [「史記」高祖本紀] 荀悦論曰:世有三游 コ之賊也: 一曰游侠 二曰游説 三曰游行 [「資治通鑑」漢武帝元朔二年] さて、そうなると「古事記」ではどうなっているだろうか。 "遊"であり、"遊行"という言い回しが多い。子供の"遊び"としての用語もある。ここらは、現代にも通用する表現だが、喪中行事としての"遊"、漁の"鳥遊"、性的な"戯遊"は、馴染みが薄い。喪中の飲酒行事は倭の風習として知られているが、アルコール摂取で精神的に常軌を外れた感覚を味わうことができるから、そのことで神の領域に近づいた気分になるということだろうか。他も同様な精神状態に陥るということと考えればわからないこともない。 子供の遊びも、何者かに成り代わることでなり立つから、似た外面といえるのかも。 そうなると、遊行という用語も、仏教的な意味ではなく、神が気ままにそこここ訪問するという状況を意味していると考えるべきかも。 龍は水に生じ、五色を被りて游ぐ。故に神なり。 [管氏水地篇] 歌では、阿蘇婆/阿蘇毘という訓音表記がアソブに該当しているようだ。・・・ 【大穴牟遅神】 出遊行 於是八十神見 且欺率入山而 切伏大樹・・・ 【天若日子】 自其矢穴衝返下者 中天若日子 寢朝床之高胸坂 以死・・・ 乃於其處作喪屋而 ・・・ 如此行定 而 日八日夜八夜遊也 【八重言代主神】 我子八重言代主神 是可白然 爲鳥遊取魚而。 【[初]神武天皇】 遊行於高佐士野 【[11]垂仁天皇】 故率遊其御子之状者 在於尾張之相津 二俣榲 作二俣小舟 而 持上來以 浮倭之市師池 輕池 率遊其御子 【小碓命@[12]景行天皇】 於是言動爲御室樂 設備食物 故遊行其傍 待其樂日 爾臨其樂日 《[14]仲哀天皇》 於是 建内宿禰大臣白: 恐我天皇 猶 アソバセ[阿蘇婆勢]其大御琴 【[16]仁徳天皇】 此日婚八田若郎女 而 晝夜戲遊 若大后 不聞看此事乎 靜遊幸行 爾其倉人女 聞此語言 即追近御船 【[20]安康天皇】 目弱王 是年七歲 是王當于其時 而 遊其殿下 爾 天皇 不知其少王 遊殿下 以 詔: 吾恆有所思 何者 汝之子目弱王 成人之時 知吾殺其父王者 還爲有邪心乎 於是 所遊其殿下目弱王 聞取此言 【[21]雄略天皇】 即令持此歌而返使也 亦一時 天皇遊行 到於美和河之時 河邊 有洗衣童女 《[21]雄略天皇》 故 天皇畏其宇多岐登坐榛上 爾 歌曰: 八隅知し 我が大君の アソバシシ[阿蘇婆志斯] シシの 病みシシの うたき畏こみ 我が逃げ登りし 在峯の 榛の木の枝 《[22]清寧天皇》 於是 王子亦歌曰: 潮瀬[斯本勢]の 波折[那袁理]を見れば アソビクル[阿蘇毘久流] 鮪[志毘]が端手に 妻立てり見ゆ (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |