→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.20] ■■■ [262] 土雲と土蜘蛛は異なる概念 土着という点なら、"熊"も同じような勢力に思えるが異なる概念のように思える。 "尾生る"ということで、外見が特殊に映るなら、"長い脛"の強敵も該当しそうなものだが、そういうことでもなさそう。・・・ 【[初]神武天皇】 此の時、とみのなかすねひこ[登美能那賀須泥毘古] 軍を興して待ち向ひて以て戦へり --- 従 其の地幸行者 生尾人 井 自り出来 其の井に光有り 爾 問:「汝誰也」 答曰:「僕者 国つ神にて名謂う井氷鹿」<此者吉野首等祖也> 即 其の山に入り 之に亦遇う生尾人 此の人巌を押し分け 而 出来 爾 問:「汝誰也」 答曰:「僕者 国つ神にて名謂う石押分之子 今聞く 天神御子幸行 故 参向ひし耳」<此者吉野國巢之祖也> --- 忍坂の大室[⛩押坂山口坐神社@桜井赤尾]に到りたまひし時 "尾生る"土雲<訓グモ[具毛]> 八十建 其の室に在りて待ちいなる[伊那流]・・・ 故 明將打其土雲之歌曰:・・・ 【倭建命】 凡此倭建命平國廻行之時 久米直之祖名 七拳脛恒爲膳夫 以從仕奉也 【@天孫降臨】故 爾 天忍日命天津久米命二人 取負天之石靫 取佩頭椎之大刀 取持天之波士弓 手挾天之眞鹿兒矢 立御前 而 仕奉 故其 天忍日命<此者大伴連等之祖> 天津久米命<此者久米直等之祖也> 土雲のプロフィールとしては、隷属を拒否する小勢力以上、なにも描かれていないが、解説では土雲=土蜘蛛とされ、反朝廷の生活文化が異なる土着勢力の呼び方とされていることが多い。従って、それに従うことになるが、「記紀」として読むべきではないという考え方を貫くなら、はなはだ疑問な見方と言わざるを得ない。 例えば、脛長彦との戦いで完敗した思い出が、倭国中枢家系にトラウマ的に残っていることに、太安万侶は気付いていたように思われる。それに、常識的に考えて、土雲とか国栖に蔑視のニュアンスは無かろう。冷徹に現実を眺めていると言ってもよいと思う。朝廷の場合、従属拒否部族は機会を見つけていつかは抹殺すべしという儒教の宗属信仰の大原則を真似るしかないから、好字ならぬ悪字化を図ったことは自明だし。「風土記」は概ね官僚が中央の指示に従って、それぞれの思惑でまとめた書でしかなく、それと「古事記」をゴチャマゼで解釈するのは考え物である。・・・ 《「越後國風土記」(逸文)》 美麻紀天皇御世 越國有人 名八掬脛 <其脛長八掬 多力太强 是土雲之後>☚ 其屬類多 しかしながら、生活文化的な差異が大きい人々であることは間違いなかろう。 それを指摘しているのが、「常陸國風土記」。狩猟採取型で穴居生活をする人々とのイメージを与える記載。 但し、国巣や国栖という用語も使われており、あくまでも土着の人々ということでの用語と考えるのが自然だ。要するに、人口密度が極めて低い山側の森林域で生活している人々ということ。道具調達は昔からルートが確立されていた筈で、必ずしも里の住人との常時接点を必要とはしていないから、実態はよくわからなかったろう。昔からこの辺りに棲む山人とされていたに過ぎまい。 ただ、森林での生活は飢餓に見舞われるリスクは高いから、里への侵入略奪は避けられない。交易メリットが無ければ、里人からすれば抹殺対象とするとの中央政権の方針に反対して不利益を被ることは避けて当然。それに、生活域の境界問題もあろう。山林開墾に注力しない限り、中央献上で生活は悲惨に状態に落ち込むことが見えている訳で。おそらく、薄いながらも交流はあったろうから、一部を匿ったに違いないが、基本は害獣扱いだろう。・・・ 《「摂津國風土記」(逸文)》 うねび[宇彌備]能 かしはら[可志婆良]能宮 御宇天皇世 偽者土蛛 <此人穴居中 故賜賤号曰:土蛛>☚ 《「陸奥國風土記」(逸文)》 【八槻郷】 古老傳云 昔於此地 有八土知朱 一曰:黒鷲 二曰:神衣媛 三曰:草野灰 四曰:保々吉灰 五曰:阿邪爾那媛 六曰:栲猪 七曰:神石萱 八曰:狹礒名 各有族 而 屯於八處石室也 此處皆要害之地 因不順上命矣 國造磐城彦 敗走之後 虜掠百姓 而 不止也 纏向日代宮御宇天皇 詔日本武尊 而 征討土知朱矣 土知朱等 合力防禦 且諜津輕蝦夷 許多連張猪鹿弓猪鹿矢於石城 而 射官兵 官兵不能進 歩焉 日本武尊 執々槻弓槻矢 而 七發々八發々 則七發之矢者 如電鳴響 而 追退蝦夷之徒 八發之矢者 射貫八土知朱 立斃焉 射其土知朱之征箭 悉生芽 成槻木矣 《「常陸國風土記」》 【茨城郡】 古老曰: 昔在国巣<俗語:とちぐも[都知久母] 又 云:夜都賀波岐> 山之佐伯 野之佐伯 普置堀土窟 常居穴☚ 有人来 則入窟而竄之 其人去 更出郊 以遊之 狼性梟情 鼠窺掠盗 無被招慰 弥阻風俗也 此時 大臣族黒坂命 伺候出遊之時 茨蕀施穴内 即縦騎兵 急令遂迫 佐伯等 如常走帰土窟 尽繋茨蕀 衝害疾死散 【板来之駅】行方郡 古老曰 斯貴瑞垣宮大八洲所馭天皇之世 爲平 東夷之荒賊 遣建借間命・・・ 於是 有国栖名曰 夜尺斯 夜筑斯 二人 自為首帥 堀穴造堡 常所居住 覘伺官軍 伏衛拒抗 【芸都里】行方郡 従此以南 芸都里 古 有国栖 名曰 寸津毘古 寸津毘売 二人 其寸津毘古 当天皇之幸 違命背化 甚无肅敬 爰抽御剣 登時斬滅 於是 寸津毘売 懼悚心愁 表挙白幡 迎道奉拝 天皇矜降恩旨 放免其房 更廻乗輿 幸小抜野之頓宮 寸津毘売 引率姉妹 信竭心力 不避風雨 朝夕供奉 天皇 欸其愨懃恵慈 【薩キ里】久慈郡北 古有国栖 名曰土雲 爰兎上命 発兵誅滅 時能令殺 (上記の国栖は、大和国吉野郡から常陸国茨城郡に移ったと解釈することもできる。"とちぐも"とは異なるのだから。) 一方、九州地区はすべて土蜘蛛である。「古事記」では全く用いられていない用語である。雲⇒蜘蛛にしただけと見るには、統一的記述が多過ぎで、朝廷隷属を拒否する土着族に対する蔑称と見た方が自然だろう。度々、反旗を翻している隼人や熊襲といった連合勢力から弾き出された独立精神旺盛な小勢力を意味しているだけでは。・・・ 《「豊後國風土記」》 【石井郷】日田郡南 昔者 此村有土蜘蛛之堡 不用石 築以土 因斯名袁 【五馬山】靭編郷南 昔者 此山有土蜘蛛 名袁五馬媛 【祢疑野】柏原郷之南 昔者 纏向日代宮御宇天皇 行幸之時 此野有土蜘蛛 名曰打猿八田国摩侶等三人 天皇 親欲伐此賊 在茲野 勅歴労兵衆 【蹶石野】柏原郷之中 同天皇 欲伐土蜘蛛之賊 幸於柏峡大野 々中有石 長六尺 広三尺 厚一尺五寸 天皇 祈曰:「朕 将滅此賊当蹶茲石 譬如柏葉」而 騰 即蹶之 騰如柏葉 【宮処野】朽網郷 同天皇 為征伐土蜘蛛之時 起行宮於此野 【海石榴市・血田】大野郡 昔者 纏向日代宮御宇天皇 在球覃行宮 仍欲誅鼠石窟土蜘蛛 而 詔群臣 伐採海石榴樹 作椎為兵 即簡猛卒授兵椎以穿山靡草 襲土蜘蛛 而 悉誅殺 【網磯野】大野郡西南 同天皇 行幸之時 此間有土蜘蛛 名曰小竹鹿奥<謂志努汗意枳>・小竹鹿臣 此土蜘蛛二人 擬為御膳 作田獦 其獦人声甚謶 天皇勅云:「大囂<謂:阿那美須>」 【速見郡】速見郡 奏言:「此山有大磐窟 名曰鼠磐窟 土蜘蛛二人住 之 其名曰青白 又 於【直入郡祢疑野】 有土蜘蛛三人 其名曰 打猿八田国摩侶 是五人 並為人強暴 衆類亦多在 悉皆謡云:"不従皇命" 若強喚者 興兵矩焉」 於茲 天皇遣兵 遮其要害 悉誅滅 《「肥前國風土記」》 【朝来名峯】益城郡 宇御間城天皇之世・・・ 有土蜘蛛打猴頚猴二人 帥徒衆一百八十余人 拒捍皇命 不肯降服 朝庭 勅遣肥君等祖健緒組伐之 於茲 健緒組 奉勅 悉誅滅之 【佐嘉郡】 于時 有土蜘蛛大山田女狭山田女 二女子云: 「取下田村之土 作人形馬形 祭祀此神 必有応和」 【小城郡】 昔者 此村有土蜘蛛 造堡隠之 不従皇命 日本武尊巡幸之日 皆悉誅之 【賀周里】松浦郡 昔者 此里有土蜘蛛 名曰海松橿媛 纏向日代宮御宇天皇 巡国之 遣陪従大屋田子<{日+下}部君等祖也>誅滅 【大家島】松浦郡西 昔者 纏向日代宮御宇天皇 巡幸之時 此村有土蜘蛛 名曰 大身 恆拒皇命 不肯降服 天皇 勅命誅滅 【値嘉郷】松浦郡西南之海中 昔者 同天皇 巡幸之時 在志式島之行宮 御覧西海 々中有島 煙気多覆・・・ 就中二島 々別有人 第一島名小近 土蜘蛛大耳居之 第二島名大近 土蜘蛛垂耳居之 自余之島 並人不在 於茲 百足 獲大耳等奏聞 天皇勅 且令誅殺 【嬢子山】杵島郡東北 同天皇 行幸之時 土蜘蛛八十女 又 有此山頂 常捍皇命 不肯降服 於茲 遣兵掩滅 【能美郷】藤津郡東 昔者 纏向日代宮御宇天皇 行幸之時 此里有土蜘蛛三人兄名 大白 次名中白 弟名少白 此人等 造堡隠居 不肯降服 爾時 遣陪従紀直等祖穉日子 以且誅滅 於茲 大白等三人 但叩頭 陳己罪過 共乞更生 【彼杵郡】 昔者 纏向日代宮御宇天皇 誅滅球磨噌唹 凱旋之時 天皇 在豊前国宇佐海浜行宮 勒陪従神代直 遣此郡速来村 捕土蜘蛛 【浮穴郷】彼杵郡北 同天皇 在宇佐浜行宮 詔神代直曰: 「朕 歴巡諸国 既至平治 未被朕治 有異徒乎」 神代直 奏云:「彼煙之起村 未猶被治」 即勒直遣此村 有土蜘蛛 名曰浮穴沫媛 捍皇命 甚無礼 即誅之 【周賀郷】彼杵郡西南 昔者 気長足姫尊 欲征伐新羅 行幸之時・・・ 陪従之船 遭風漂没 於茲 有土蜘蛛 名欝比表麻呂 拯済其船 《「肥後國風土記」(逸文)》 【朝來名峯】u城郡 肥後國者 本與肥前國 合爲一國 昔崇~天皇之世 u城郡朝來名峯 有土蜘蛛 名曰打猴頸猴二人 率徒衆百八十餘人 蔭於峯頂 常逆皇命 不肯降服 天皇勅肥君等祖健資g 遣誅彼賊衆 健資g 奉勅到來 皆悉誅夷 《「日向國風土記」(逸文)》 【知鋪郷】臼杵郡 天降於日向之高千穂二上峯時 天暗冥晝夜不別 人物失道 物色難別 於茲 有土蜘蛛名曰 大鉏 小鉏 二人 奏言: 皇孫尊 以尊御手 拔稻千穗爲籾 投散四方 必得開リ」 于時 如大鉗等所奏 搓二千穗稻 爲 籾投散 即天開リ 日月照光 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |