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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.29] ■■■
[271] 白鳥陵の状況からすると
太子 倭建命の最期は、"歌竟卽"⇒"作御陵"と記載されており、中央で即位していないだけで、実質的に天皇扱いしても一向にかまわぬことが示されている。
ただ、この御陵造成には朝廷が一切関与せず、現地で葬儀(継承儀式でもある。)も行われなかったようだ。あくまでもローカルな独自行為という位置付けであり、いかにも折衷的。

結局、改葬というか、新御陵造成となる。
朝廷としては、倭建命の御子即位の正統性確保のためには、御陵造成と皇位継承儀式としての葬儀が不可欠だったということ。しかしながら、こちらの記載も"作御陵鎭坐也"であり、降臨した地に過ぎず、埋葬は行われていないことになろう。

もともと、崩御後、"化八尋白智鳥 翔天 而 向濱飛行"ということで、霊魂が浮揚した描き方になっており、朝廷による公的な御陵が出来上がったといっても、葬儀場でしかなく、そこから、さらに"更翔天以飛行"となる。その様な地を祭祀対象とすべきかは微妙な問題であろう。(八尋白智鳥は朝廷の地たる大和地区には立ち寄っていない。)基本、遺骸は何処にも存在しないことを示唆しているようなものであり、いかにも道教的仙人化が完遂されたように描かれていると言ってよいだろう。と言っても純粋道教ではなく、倭の伝統の鳥的儀式も混淆させているのだが。
しかも、これに伴う歌は、天皇の大御葬儀で詠まれると、註として記載されており、盛大な葬儀兼御子14代への皇位継承式典が行われたことを意味しているのだろう。

12代は纒向之日代宮で大和の中核地だが、皇位継承の御陵は河内國之志幾。13代は近淡海之志賀高穴穗宮と大和から離れるし、倭建命の御子である14代は熊襲対策で遠く離れた宮地が選ばれ、中央統治の安定感が急速に失われた時代だったことになろう。相互矛盾だらけの伝承が残って当然であり、太安万侶も、本来有りえないこととはいえ、3太子並立とせざるを得なかった訳である。

ここらの太安万侶の書き方からすれば、その発端を作ったのが、12代となろう。とんでもない数の御子をすべて王としたからだ。皇族は鼠算的に数が増えるから、経常的な征圧地域拡大なくしては成り立たない方針だし、中央-地方の二重構造を壊すことになりかねないのも自明。・・・それぞれが、こまごまとした領地の王となるのだから、皇族による全国統治深化に繋がると踏んだのだろうが、もともと力を持つ地場勢力に各王が取り込まれるだけのこと。その息がかかった御子連合が生まれるのがオチとなろう。

皇子・皇女が個々に地場勢力と連携することになってしまえば、皇嗣の正統性誇示力も失せて行くことになるのは自明。

そんなこともあって、以後、白鳥"陵"が作られていったと見ることもできよう。

これは御陵と見なさざるを得ず、天皇巡幸祭祀の必要性も失せることになろう。神はすでに勧請されており、行儀を倣うだけで祭祀可能で、事実上、神権は中央ではなく地場勢力に属すことになってしまう。
もともとの地場神権回帰とも言えよう。(神婚の巫女を娶ることで、神権を確立していく仕組みが最終的に消滅したことになろう。)
倭建命譚が伝承されている地に、地場の首長クラスの墳墓があれば、それが白鳥陵と見なされるということでもある。おそらく、相当数存在していた筈。そんな状況だったからこそ、即位していない倭建命の御子が皇位を継承できたと言うか、それ以外に手は無かったということだろう。

そんな状況だからこその現象も見てとれる。・・・
倭建命崩御地の伊勢国能褒野とは、御幣川と内部川間の扇状地端@鈴鹿山脈東麓。それなら、この辺りに倭建命をご祭神とする様々な古社が存在していておかしくないが、そうはなっていないのである。
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《前方後円墳》
 日本武尊能褒野御墓/能褒野王塚古墳@亀山田村丁子塚/のぼのの森
     …[明治12年内務省治定]

 白鳥陵古墳/前の山古墳・軽里大塚古墳@羽曳野古市古墳群
     …[現行治定]

 白鳥御陵@尾張熱田神宮/法持寺
 白鳥塚古墳@名古屋 守山志段味 東谷
 白鳥古墳@山口熊毛平生佐賀
 房後白鳥古墳@安芸高田高宮房後
《帆立貝型墳(旧判定:円墳)》
 白鳥塚古墳@鈴鹿石薬師北松塚/加佐登神社
《長方丘 or 円墳》
 白鳥陵@御所富田
     …[国史"大和琴弾原"治定]

《推定円墳》
 白鳥塚古墳@宝塚中山寺…巨石横穴式石室+家形石棺
《n.a.》
 白鳥古墳@東広島高屋白鳥山山頂
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【代表的神社】
和泉國一宮 大鳥大社@堺西鳳北(大鳥連祖神)
近江國一宮 建部大社@大津神領
常陸国三宮 吉田神社@水戸宮内
(尾張国三宮 熱田神宮)
  主祭神:熱田大神(草薙剣)
  相殿神:天照大神 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 建稲種命
(越前国一宮 氣比神宮)
  本宮:伊奢沙別命 仲哀天皇 神功皇后
  東殿宮:日本武尊
  総社宮:応神天皇
  平殿宮:玉姫命
  西殿宮:武内宿禰命

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