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■■■ 「古事記」解釈 [2021.10.1] ■■■
[273] 敢えて"木国"考
よく知られているように、南方熊楠は、儒教型官僚統制国家体制構築を目指す明治政府による強権的な合祀に対して唯一反対の声をあげたことで知られる。

しかしながら、時すでに遅しで、結局のところ紀伊一円の伝承は信頼性皆無状況に陥ってしまった。もともと、この地域は戦国動乱と豊臣秀吉による焼き討ちで、文書記録はすべて消滅しており、もうどうにもならない。
「古事記」の書き方から見て、此の地は、複雑な様相を呈していた筈で、古代の状況を探る上で価値ある情報源を提供してくれた筈だったがまことに残念である。

と言うことで、えらく無理はあるものの、この辺りの残存神社を眺めておくことにした。>

一般には木國=紀伊国であるが、紀伊国8郡(伊都 那賀 名草 海部 阿諦 在田 日高 + 牟婁)として再編されたのは、「古事記」成立直後辺のようだが、最後の1つは熊野であり、国造としては別だったようだから、これを除く7郡として、そこらに属する残存神社を眺めると概略以下のようにまとまってくる。・・・

「木の国」ということで、この国の代表的神は、林業神と目される五十猛命とされているようだが、「古事記」には登場してこない。木神はあくまでも久久能智神であり、大山津見神の直前に生まれている。(木々と久久が同じとは思えないが。)
久久能智神は限定的に祀られているだけで、紀伊圏には無いようだ。後世創建が多そうに映る。
  公智神社@西宮
  久久比神社@豊岡
  大杉神社@多気宮川大杉
  志等美神社(豊受大神宮摂社)
  坂樹神社(吉備津彦神社摂社)
このことは、もともとの木神は紀伊圏発祥ではないことを意味している可能性があろう。
その五十猛命だが、出雲系である。
《五十猛命系》
伊太祁曽神社/山東宮@和歌山伊太祈曽(御祭神:五十猛命)
大屋都姫神社@和歌山宇田森(御祭神:五十猛命の妹 大屋都比賣命)
都麻津姫神社@(御祭神:大屋都比賣の妹 都麻津比賣命)
  都麻津姫神社@和歌山吉礼
  都麻都姫神社@和歌山平尾
 高積神社@和歌山禰宜(御祭神:三神)
須佐神社@有田千田 中雄山中腹(御祭神:五十猛命父 素戔嗚尊)
《出雲系》
淡嶋神社@和歌山加太(御祭神:少彦名命)

そんなこともあって、五十猛命=大屋毘古神と見なす説もあるようだ。確かに、大屋ッ姫の対偶神として、大屋ッ彦と呼ばれていておかしくはない。大屋は地名として残っているから、そうかも知れないが、分祀は後世のことで、姫が追加された可能性もあろう。従って、なんとも言い難し。
そもそも、大屋毘古神はスサノオの生まれる前の"神生み"時代に登場してくる。にもかかわらず、スサノオの御子と見なすのは無理。スサノオは出雲の神ではないとする勢力がこの地に存在したというに過ぎまい。
  即折其木而取出活 告其子言汝者有此間者 遂爲八十神所滅
  乃 速 遣於
木國之大屋毘古神之御所
  爾 八十神覓追臻 而 矢刺乞時 自木俣漏逃 而 去

巨木が枯渇してくれば、必然的に紀伊半島の木材資源が注目されるようになるということか。

伐採木材運搬はもっぱら紀の川ということになろうが、すでに何度となく触れてきたように、この川は中央構造線沿いであり、古くから鉱物資源上で魅力ある地域でもあった。目立つ神社だけあげるが、おそらくそこら中に丹生神社が存在している筈である。鉱脈が尽きれば放棄されてしまうので、現存社が古代でも有力であったか否かはわからない。
《丹生系》
丹生都比売神社@伊都かつらぎ上天野[高野山北西盆地]
   (御祭神:丹生都比売大神+高野御子大神[+気比明神+市杵島比売大神])

丹生川上神社(中社)@吉野東吉野小(御祭神:罔象女神)
 丹生川上神社(上社)@吉野川上迫(御祭神:高龗神)
 丹生川上神社(下社)@吉野下市長谷(御祭神:闇龗神)

木国造は紀氏と考えてしまうが、それでよいのかはわからない。少なくとも、上記の系列とは無縁のように映るからだ。・・・
  (御眞木入日子印惠命/[10]崇神天皇)娶木國造 名荒河刀辨之女
  遠津年魚目目微比賣 生御子 豐木入日子命

  (伊久米伊理毘古伊佐知命/[11]垂仁天皇)令取其鳥
  故是人追尋其鵠 自
木國到針間國
  (大雀命/[16]仁コ天皇)大后爲將豐樂而。於採御綱柏。幸行木國之間。
《紀氏系》
日前宮(日前神宮+国懸神宮)@和歌山秋月
  (御祭神:日前大神[日像鏡]+國懸大神[日矛鏡])

《天照》
木本宮@和歌山西庄(御祭神:日像鏡[天照大御神])
紀の川河口譚があるだけに、地場勢力はどうなっているのか、紀氏の出自はという点が気になるのだが、情報が余りに少なく、基本的に伝承記録は無いと考えるべきなので、国史に合わせたお話以上ではなかろう。
「古事記」では、天照大御神の勅で、ご神体たる鏡は伊勢に祀られるが、紀伊に鏡が存在するだけでなく、もう一柱の太陽神も存在しており、「古事記」とははなはだしく対立的と言わざるを得まい。ここらが「国史」プロジェクトに反映しているということでもあろう。

ただ、太安万侶は、紀氏が当初から御陵守護者であると認識していたようである。・・・
《神武東征系》
  到紀國男之水門而詔 負賤奴之手乎死 爲男建 而 崩 故 號其水門 謂 男水門也
  陵 即 在
紀國之竈山也
水門吹上神社@和歌山小野
竈山神社@和歌山和田(御祭神:彦五瀬命)…墓(守:鵜飼家)
矢宮神社@和歌山関戸(御祭神:八咫烏命/賀茂建津之命)

紀氏は、天皇直属ではなさそうだが、この地を完全統括していた訳でもなさそうで、天皇の直接的臣下も存在していたようだ。・・・
《忌部宿弥系》
海神社@紀の川神領(御祭神:豊玉彦命+国津姫命)…忌部宿弥創建
《武内宿禰系》
  又娶木國造之祖 宇豆比古之妹 山下影日賣
  生子建内宿禰
  此建内宿禰之子 并九<男七 女二>
  波多八代宿禰者<波多臣 林臣 波美臣 星川臣 淡海臣 長谷部君之祖也>
  次許勢小柄宿禰者<許勢臣 雀部臣 輕部臣之祖也>
  次蘇賀石河宿禰者<蘇我臣 川邊臣 田中臣 高向臣
     小治田臣 櫻井臣 岸田臣等之祖也>
  次平群都久宿禰者<平群臣 佐和良臣 馬御樴連等祖也>
  次木角宿禰者<
木臣 都奴臣 坂本臣之祖>
武内神社@和歌山松原(御祭神:武内宿禰+母 菟道彦の娘影姫)

このように見てくると、この地は早くから朝廷一色に染まっていると誤解しがちである。よく見れば、殲滅された筈の地場勢力の神社も存在しており、支配下にあっても従属的ではない姿勢を平然と示す文化が根付いていることがわかる。
《名草戸畔系》
宇賀部神社/頭の宮@海南小野田
  (御祭神:宇賀部大神+荒八王子命+誉田別命)

杉尾神社/腹の宮@海南阪井
千種神社/足の宮@海南重根

以下は経緯が不明なので、如何様にも解釈できそう。・・・
《河川神系》
鳴神社@和歌山鳴神(御祭神:速秋津彦命+速秋津姫命[+天太玉命])
《紀三所》
伊達神社@和歌山園部(御祭神:五十猛命+神八井耳命)
志磨神社@和歌山中之島(御祭神:中津島姫命)
静火神社@和歌山和田前山(御祭神:静火大神)
《後世》
藤白神社[斉明天皇創建]@海南藤白…有間皇子神社+墓所
玉津島神社@和歌山和歌浦中(御祭神:衣通姫尊+etc.)
《後世-修験》
加太春日神社@和歌山加太

全体の雰囲気で想定すると、この地は、フラグメント化した山岳部族集団的文化が基底に流れていそう。紀國とは呼ぶものの、一枚岩的な国とは程遠い状態だったのかも。その辺りを確かめる術は無いが。

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