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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.12] ■■■
[315] [私説]カタマランをもご存じ
毛色の異なる「先代旧辞本紀」を取り上げたので、ここらで、冗談半分・本気度半分で書いておきたくなった。
12代天皇が、御子の曾孫と婚姻することなど有りえないし、倭健譚もフィクションという解説だらけなのに辟易したからでもある。

もちろん、国史を読むなら、そんな姿勢で十分。支配貫徹の為に作る以上ではなく、そんなことは万国共通。議論する意味などほとんどなかろう。要するに、矛盾なきように知恵を絞ってご都合良く編纂するだけのことで、どうにもならなくなれば、仕方なしとなるだけのこと。国史をベースにしながら、"真実"追求など、ミクロでは意味もあろうが、土台無理筋。記録や伝承の余裕なき"民衆"の歴史追求というスローガン自体、大いなるフィクション以外のなにものでもない。

くどいが、「古事記」はあくまでも太安万侶個人の編纂書。これを、国史本扱いしたいらしいが、そのような読み方をしたならほとんど読む価値はなかろうに。

読むべきは太安万侶のモノの見方。社会に対する姿勢を感じ取れるからこその醍醐味。

前置きが長くなったが、船に関して、こうも読むことができるという例を示しておこう。
もちろん、「古事記」記載の船については、すでに取り上げているが、はっきり書いていないので。

何故に、そんなことを気にかけると言えば、昔のことだが、自分の運動神経も顧みず、モルジブでヨットを操ろうとしたことがあるから。
船はカタマラン。双胴船である。

単胴の場合はモノハルと呼ばれているので、マルチハルという分類になる。ちなみに、3胴はトリマランとなる。その時知ったのであるが、トリマランは、要するに、リガー船のこと。
何故にこんなことを覚えているかといえば、カタマランとは、インド亜大陸のタミール語発祥と言われて仰天したからである。なんと、モルジブはメッカだったのである。
なんだ、そういうことかと。

おわかりになるだろうか。余計なことは書かずにおこう。

この感慨を覚えていて「古事記」を眺めると、状況が見えてくる。・・・

漆固めの竹籠船の系列はベトナムでは今も使われてはいるものの、そんな船が九州南端から南島辺りの荒海で使える訳がなかろう。
しかし、漢字の字義からそう判断するしかない。それだけのこと。
しかし、構造船が存在したとは思えない時代の話。フツーに考えれば、丸木刳り船だろうから、カタマランかアウトリガーの小振りのタイプと想定することになるが、問題は、そのような証拠が皆無なこと。(従って、外洋航海にも、大河に向く葦船や筏の可能性が高いということになる。これなら、海面が好条件の時を狙えば実証実験ができる。海が荒れれば一発アウトだろう。)
太安万侶は、この辺りすべてご存じだった可能性があろう。意味的表記では実在の竹籠船にしているものの、実はカタマという発音表記だったりして。言うまでもないが、"ラン"はタミール語"船"で、カタマとは繋げたことを意味する言葉と聞いたのである。

そんな読み方が可能となると、枯野とはカヌーであると語る、ナンデモ読み替え説も正論ということになってしまう。

ただ、一理ある。
と言うのは、淡路島往復を一日で行えるというトンデモ話がたいした意味無しに収載されているからだ。それは、実は有りえる話でもあるということ。
カタマランの航行スピードは時速50Km程度なら可能である。どこまで本当かわからぬが、カタマランのインストラクター兼遊び相手氏はインド洋ではその程度は普通なのだと。すぐにチンするような初心者はわからぬだろうが、と豪語していたが、実際、たいした風もないのに、船の片側が浮き上がり猛スピードがいとも簡単に出せるのは間違いない。もちろん、とてつもないスリル感を味わうことになる訳だが。
当然ながら、転覆は当たり前。それをたった一人でも起こせて初めて一人前。

この手の想像は一般的にはあてにならない訳だが、太安万侶は二俣小舟を突然持ち出しており、自然の樹木からカタマランを作った例の存在を示しており、そのような船が存在しているのは当然といわんばかりなので、まるっきりの推測とも言い切れない。
言うまでもないが、牛車が存在した時代には渡し舟は筏ではなく、カタマランだった筈で、珍しかった訳ではない。ついでながら、小舟と書いてあるが、現在のカタマランのようなスポーツ用とは違い、宴席を設けたかなり大きい船と見るべきだろう。竹籠船名の類推からすると、大勢が乗る軍船ではないということでの、当て字としての"小"かもしれない。
・・・書読みのレベルが半端ではない太安万侶であるから、唐代の段成式と似た体質で、才覚でも引けを取らないレベルと考えると、このような見方も成り立つかも。

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