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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.17] ■■■
[320] [私説]小治田宮への道間の角逐
「古事記」下巻の最終段記載の33代天皇の宮は小治田宮。
雷丘東方遺跡から、"小治田宮"墨書土器が出土しており、建物礎石も検出しており、後世の行宮だったのは間違いなく、この地の可能性が高そう。

そうなると、大阪湾から、"小治田宮"への道程は、以下の様に想定されよう。もちろん、「古事記」から直接的にこのようなことはわからない。仏教について全く触れていないから、寺の存在も無視されているのだから。
しかし、小生は、太安万侶は、この状況を意識していそうな気がする。

"難波宮"
└────────┐
_________
難波大道_______河内湖
_________
四天王寺_______
├────┐____大和川(下流)
________
久宝寺___竹内街道_
渋川廃寺_/大阪__亀の瀬…上陸
________│└───┐
船橋廃寺__________
衣縫廃寺________中流…浅船
____________├→支流(寺川)
竜田峠___________
├─────────┘___支流(初瀬川)  
_____________
斑鳩寺____________
中宮寺___________
____竹内峠_______
額田寺___/穴虫峠_____海石榴市…上陸
_____________
渡川____横大道_______
_____________│山田寺
太子道_________阿倍山田道
├────┴─────────┘

"小治田宮"(雷丘東側)

「古事記」では、仏教についてなにも語らない理由も、ここらに関係しているようにも思えてくる。

「酉陽雑俎」著者の段成式は、唐の都のインターナショナルな文化とサロンの自由をこよなく愛し、身分を越えた交流も楽しんだ官僚だが、そんなことが可能なのは仏教がインターナショナルな宗教であり、寺と僧が国教や身分を越えた交流基盤を作ってくれたからということをよく理解していたようだ。太安万侶の認識も、そこらは同じではないか。
そうだとすれば、反仏教の動きや、本邦の仏聖たる聖徳太子一家の抹消の動きを、信仰対立や単純な皇位継承の権力闘争として捉えると、次代の大きな流れを見誤る、と考えてもおかしくなかろう。

実際、下巻末記載の御陵群は完璧な脱古墳型で、それは桁違いの薄葬ではあるものの、知識人から見れば、仏教帰依を示すどころか、道教的祭祀様式の導入以外のなにものでもない。ここらの大転換を、仏教伝来として纏めてしまうと、確かに、見る目が曇ってしまう。

上記の道程並立は、そんな感覚を図示したようなもの。

聖徳太子は大和川航路が途切れる亀の瀬という要衝の地を見据え、斑鳩寺を創設したと考えることもできる。言うまでもないが、そこから宮には、一直線の陸路で到達する道が造成されることになる。
しかし、亀の瀬を避けた、つまり完全陸路も、難波宮が存在した頃から存在し利用されていたのである。だからこそ古墳群が現在まで存在している訳で。
その場合は、竹内峠経由ルートの整備と、横大道拡充が進むことなる。この流れを主導したのは、おそらく蘇我氏であろう。北の横道は東端が初瀬川の船溜まりで、さらに上流を東進すれば伊賀-伊勢に続く、北の横道の時代を終わらすべく邁進したと言ってよいだろう。もちろん、それを嫌う従来勢力も存在する訳で、33代天皇は、この陸路と、大和川水運の両建て勢力を基盤としているのは自明であろう。

奈良盆地のあるべき全体構造に関して、考え方の違いは余りにも大きくなってしまったということになろう。それは、隋-唐朝の都のあり方を模倣し、代毎の遷宮廃止方向に進むためには越えねばならない一大ハードルと言ってよいだろう。

この時代、寺川上流に宮が設定されたり、隋朝の遣使は海石榴市から宮に入ったりと、まだまだ初瀬川重視路線が続いていたのは間違いないが、問題は、峡谷的地形で隘路になっている亀の瀬の存在。地勢的に地盤が安定していないし、到達地の海石榴市の地は洪水発生が避けられない地でもある。この交通路に依拠した地を恒久的な都の地とするのは考え物なのは自明であり、奈良盆地の主力路決定は悩ましい問題だった筈。
しかも、それぞれのルートに古くからの利権が絡んでいる訳で。

インターナショナル化必至という点では全勢力一致していたと思われ、そのためには仏僧と寺は不可欠であり、大陸と齟齬をきたさない世界観の共有必要性も認識していたからといって一枚岩にはなれない原因がそこにある。
総論的には大賛成であっても、いざ、それを現実の施策として実行するとなると、簡単どころか、一族の浮沈に係わることになるから熾烈な戦いが生じることになる。上記の道程間競争は、勢力間の角逐の引き金なのである。

しかし、そんなことは、大きな流れのなかでは、実は、取るに足らぬ小事に過ぎないとも言えよう。・・・それが太安万侶の心情と違うか。

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