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■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.13] ■■■
[346]俗に言う国見の概念は曖昧過ぎる㊤
🗾👀《国見》は、"大王や地方の首長が高い所から国の地勢や人民の生活状態などを望み見ること。国を支配する者の支配の象徴的行為。"とされている。[@「精選版 日本国語大辞典」/コトバンク]一種のマナイズム的様相を示している説明であり、倭語に"マナ"が存在している以上、そのような風習は間違いなく主流だったに違いない。
しかし、この用語は「古事記」原文を検索しても見つからない。極めて重要そうな儀式に映るにもかかわらずだ。と云うことは、飛鳥時代以後の造語可能性も捨てきれまい。しかも、国見に当たりそうな事績が各天皇段で語られている訳ではない。

つまらぬことだが、ここに拘ってみたい。
その心は、・・・

マ、風土に根ざす、個人個人に染み込んだ体質問題に触れたいということ。
だからといって、どうにかなる訳ではない。要は、それを自覚するかどうか。
南方熊楠翁が、どうにもならない体質と見なし、酔っぱらって招待講演をしなかった気分はよくわかる。王朝や政権の転覆はその気になれば難しいことではないが、社会の根底に流れる精神を覆すことなど数代かけても土台無理なのであるから。

ところで、小生は、お気軽に、ネットリソーシスの様々な解説を参考にしている。その結果、間違った方向に引きずられることが多いのは重々承知の上だが、致し方ない。
ズブの素人が、世の中の一般的見方を知らずに考える訳にもいかないから、中途半端ではあるものの、無方針の手抜き検索で色々と目を通すことになる。
(実態…検索可能なまとまった電子化原文は中国語Wikiしかなく、註は個別検索で探すしかない。一見利用できそうに見える事典/辞典的なサイトもあるものの、項目表示のみで中味皆無だったり、項目自体も網羅されていないし、中味にしても、同じことの繰り返しだらけで、参照は面倒なだけ。・・・しかも、どこを見ても、できる限り「記紀」を混淆させての記述となるため、こちらの知りたいことを見つけるのは骨である。)
要するに、質的に色々なレベルの資料を、まともに読まず、関係ありそうな箇所のチラリ拝見だけで済ますことになる。それで、註的情報を得ている気分になる訳だ。

このため、どうしても、間違った思い込みをしがち。この状況では、それから逃れるのは極めて難しい。
そういう点では、確実に、本サイトはゴミである。しかし、逆説的だが、だからこそ逆に大いに価値あり、と考えている。

太安万侶の思想の全体像を捉えるという知的営為(概念的把握)を進めるためには、かなり参考になる筈ということで。

もちろん、素人の書き物だから、ほんの一部の人にしか意味はなかろうが。

・・・と言うことで、国見について。

例えば、初代天皇が国見を行った際に、国土に"秋津嶋"との呼び名を付けたとばかり思っていたが、そんなことは「古事記」には記載されていない。冒頭に述べたように、国見という用語自体使っていないのであるから、そんな事象に触れる必然性は限りなく薄い。
つまり、初代は国見など行っていないというのが、太安万侶の見方と言ってよいだろう。
一方、言うまでもないが、国史編纂プロジェクトチームがそのような姿勢をとれる訳がなかろう。「初国見は初代」は、絶対的なドグマに決まっているからだ。初代=国家の祖であり、国見祭祀記載欠落など有り得まい。その場所については異論もありそうだが。国見神社@御所原谷(「日本書紀」神武天皇の腋上の嗛間の丘の国見山に由来とのこと。)

冒頭の概念から言えば、どう考えても、初国見は、❶伊邪那岐命+伊邪那美命と言うべき。命を受けたとはいえ、天浮橋に自ら立って修理固成を行ったとはっきり記載されているのだから。見た対象は国(多陀用幣流之國)であるからこれこそ国見でなくてなんであろう。
天皇の場合、葦原中国から天浮橋に出向く訳にいかないから、それに代わって山頂に立っているに過ぎまい。スケール感は全く異なるが。

次も天皇ではない。
天照大御神の詔で❷正勝吾勝勝速日天忍穂耳命が天浮橋に於て御立ちに[多多志]
しかし、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 甚く[伊多久]騒ぎて[佐夜藝弖]有るなり[那理]。」と告。
命を無視して、降臨しないことになる。
・・・国見は失敗したのである。
その余韻なのか、代替役で派遣された天菩比神も、葦原中国平定どころか、"媚附大國主~"で復命も無し。
さらに続いて、天若日子[無敬称]を派遣。しかし、大國主~之女を娶り復奏せず、これ又大失敗。
当然ながら、両者ともに、国見を行うどころではない。その前での国見失敗が尾を引いていることになろう。

結局、太子の正勝吾勝勝速日天忍穗耳命に命じるのだが、子が生まれたので、任を渡すべしとの応答で、❸天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命が豐葦原水穗國へと天降り。・・・
  天之石位[≒磐座]を離れ
  天之八重棚[多那]雲を押し分け
  稜威[伊都]の、道別き道別き"[知和岐知和岐]
  天浮橋に於いて
  浮き緊り[宇岐士摩理]
  反り立たし[蘇理多多斯]
  天降
  座
   竺紫日向 之
   高千穗 之
   奇し振る[久士布流][多氣]
文章の意味ははっきりしないものの、天浮橋に立ち、高千穂の峯を"見"ていると考えるのが自然だろう。そうなれば、国見と見なさざるを得まい。
引き続いて、峯では、寿ぎの詔も発せられている訳で、これこそが、葦原中国に於ける初国見と言うべき事績では。
はっきりと、国と見なしているのだから。・・・
  此地者 向韓國眞來通
  笠紗之御前 而
  朝日之直刺國 夕日之日照國也
  故 此地甚吉地

・・・上記の3ケースは《国見》概念に当てはまると思うので、とりあえず。上巻には、これ以外のケースは見当たらない。そのことは、首長による支配体制が構築されていないということになるのでは。
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