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■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.15] ■■■
[348]俗に言う国見の概念は曖昧過ぎる㊦
🗾👀下巻の《国見》と言えば、⑯大雀命/仁徳天皇の段。
もっとも、それは、有名な民の竈から立ち昇る煙を見た話。高所に登って四方を眺めわたしてから国を寿ぐことで、統治者としての役割を果たす本来の《国見》行事とは一寸違う気がする。

  於是天皇 登高山見四方之國
  詔之:
  「於國中 烟不發 國皆貧窮
   故 自今至三年 悉除人民之課 伇」
   ↓
    :
   ↓
  故 稱其御世 謂"聖帝世"也


《国見》と言ってもよいのは、こちら。
"見て⇒寿ぎ⇒その結果"、という呪術的な叙述の歌になっているから。・・・
  [歌54]【天皇】帰郷した妃を追いかける
    押し照るや 難波の前由 出で発ちて
    吾が国見れば 阿波島 淤能碁呂島
    蒲葵の 島も見ゆ さけつ島見ゆ

内容的に、伊邪那岐命+伊邪那美命による国生み大事業を想って詠んでいる歌である。しかしながら、詠んだ背景としては、男女三角関係的な艶話と受け取られてもおかしくない書き方。
ここらが、なんとも面白いところ。
この元ネタの歌謡は、アドリブも多そうだし、さぞかし人気があったろう。稗田阿礼も太安万侶も、そこからの歌の採択に当たっては、大いに悩み楽しんだに違いなかろう。

次に《国見》が登場するのは、㉑大長谷若健命/雄略天皇段の冒頭。
これは失敗譚。
河内に行幸して山に登り、国見をすると、志幾の大縣主の家が屋根の上に高く堅魚木を上げて、天皇の宮殿に似せて造ってあった。天皇は怒り、その家を焼こうとしたので、大縣主は恐れて謝罪し、白犬を献上した。
それだけでしかない《国見》で終わったのである。・・・
  [歌91]【天皇】皇后との結婚
    日下辺の 此方の山と 畳薦
    平群の山の 此方ごちの
    山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫
    本には い組み竹生ひ 末方には た繁竹生ひ い組み竹
    い組み宿ず た繁竹 確には率宿ず 後も組み宿む
    其の思ひ妻 憐れ

その帰途、再び登山。

城山登幸時だが、葛城之一言主大~が百官を従えて登場。天皇は惶畏し大御刀・弓矢・百干の衣服を拜獻。初代の入畝傍(白檮原宮)以前、この地域の王権=神権を握っていたことを意味していそうな話。
  [歌_97]【天皇】吉野行幸時の蜻蛉島寿ぎ
    三吉野の 小室岳に 鹿猪伏すと
    誰そ 大前に白す
    やすみしし 吾が大王の 鹿猪待つと
    胡坐に坐し 白妙の 袖着装束ふ 手脛に
    虻齧きつき 其の虻を
    蜻蛉早咋ひ 斯くの如 何に負はむと
    そらみつ 倭の国を 秋津洲と云(ふ)


「古事記」巻末は㉝段だが、系譜には次代の㉞岡本宮天皇/舒明天皇が記載されている。「万葉集」巻一#2には、有名な《国見》の歌が収載されており、重視されていることは明らか。
    高市岡本宮御宇天皇代[息長足日廣額天皇]/天皇登香具山望國之時御製歌
    大和には 群山あれど とりよろふ
    天の香具山 登り立ち
    国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
    海原は 鴎立ち立つ
    うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


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