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■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.25] ■■■
[358]身長九尺二寸半の意味
上巻には身長の記載はないが、物の名称には長さの単位が使われており、十拳劔/十掬劔、八尺鏡・八尺勾瓊、八尋殿・八尋和邇が良く知られている。拳は"握り拳"を意味しているのだろうし、尋は"広げた両手"であろう、といった見方が常識化している。
当然ながら、尺も身体の部位で定義されていると考えるのが当たり前だが、以外に通念化していない。尺は<訓八尺云八阿多>と記載されているが、アタなる言葉を耳にしたこともなく、誰でもが知る旧基準の"尺"だが、古代感覚は伝承されていない可能性があろう。

前置きはこれ位にして、身長についてだが、中巻・下巻にも1件づつ記載がある。・・・・

  故 大帶日子淤斯呂和氣命者 治天下也
  <御身一丈二寸 御脛長四尺一寸也>

  此天皇(水齒別命) 御身之長九尺二寸半
  御齒長一寸廣二分上下等齊既如貫珠

現代の度量衡であると、曲尺は30.303cmで、和裁用の鯨釈迦は37.8788cm。毛沢東的発想の標準化なら1/3mとなろうが。
細かなことは捨象するとして、上記の天皇の御身之長は四捨五入で3mという人間としてはおよそ有り得ない数字になってしまう。神だからそれもアリとして、読み流すのもよいが、そのような姿勢とは「古事記」の記載は、誇大妄想的誇張も存在していると断定しているようなもの。それでよしとする向きも多いだろうが、小生は、そのような読み方は避けるべきと考える。
この箇所だけが、誇張である理由を論理的に説明できないからである。つまり、全文がそのような記述であっておかしくない訳で、「古事記」は、まともに受け取って読むような代物では無いということになってしまう。(恣意的に、誤字とか脱字として読み解く方法論も同じこと。と言うか、聖典信仰は、この手の解釈がベースとなる。)

それでは、超巨人的記載箇所をどう読むかと言えば、至極簡単。尺とは、漢語だから、その意味を考えればどうということはない。
  【尺≒咫】親指と人差指を広げた象形

つまり、尺という単位は、指を広げた長さ。それが30cmに達する人などまずいまい。
実際、周代の尺は20cmで、秦代になると23cmに伸びたと言われている。
これはあくまでも身体の長さの単位であり、これで物の長さを測ったのは自明。
当然ながら、土地測量だと面倒になるから、別途方法論があった筈だがよくわかっていない。同じ単位表記をしているが、別で、かなり長くなる。正倉院の尺(約30cm)は唐代の後者を用いたと思われるが、本邦では土地用ではなかったらしい。これよりさらに2割ほど長かった尺が使われたらしいが、廃れてしまい、以後30cm内外ということになったようだ。尚、日本の度量衡は大宝律令からである。

・・・小生は、定義からすれば尺はせいぜいが18cmが妥当と思う。

尺は租庸調の施行に当たっては不可欠な単位であり、中華帝国の仕組みからすれば、役人は収入増を図るために、長さを伸ばそうと図るのは当たり前。従って、当初の身体的規定にたいした意味などすぐになくなる。だからこそ、天子制定の標準原器が配布されたのである。おそらく、とんでもなきインフレーション数値への対応だから、当初から過大な長さであったのは間違いなかろう。ついでながら、官僚の浅智慧で、原器自体も王朝変更毎にインフレ化必至なのは言うまでもなかろう。

マ、どうあれ、身長が2m近かったという解釈すれば十分だと思う。

現代の先進国の状況はおそらく史上最長身社会であり、2mはそこそこあり得るレべルになってしまい、なんら驚きではないが、古代なら超人と見なされておかしくない。
特に、馬上で登場すれば、遠くからその存在がわかり、まさに偉容に映るから特別視されて当然。それが、実際どの程度か数値が伝わっていたのだと思われる。

日本列島の土壌では骨は分解してしまうので、古代人の身長は推定しにくいが、肉食を避けていたとは思えないから、江戸期程低身長ではなかったろう。だが、この数値であっても、とんでもなく飛び抜けているのは間違いなかろう。
遺伝的には、北方系と言えるのかも知れない。と言うのは、中華帝国では、最古層と言ってもよさそうな龍山文化圏での出土例から見ると身長は180p程度という高身長説が有力らしいから。これは納得がいく数字だ。人口密度が低いマンモス生存時代から食肉量が多かった人々であるに違いないからである。プロフィール上目立つのは歯となる。穀物野菜食の臼歯発達型ではなく、門歯・犬歯が目立つからである。脚力の強さも傑出していておかしくなかろう。

両天皇とも、狩猟好き一族の出で、養育もその手の家であり、摂取カロリーも多かったことを意味していそう。

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