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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.1] ■■■
[365]神"うれづく"とは何だろう
🛐「古事記」中巻最後の天皇段に、何の脈絡もなく、突如、天之日矛が登場して来る。

話の中身が重層化しているのでバラバラとした寄せ集めの解釈になりがちだし、他との繋がりも不透明で、まことに検討しにくい箇所だ。一応、それなりに触れては来たものの、核となっている、《兄 秋山之下氷壮夫・弟 春山之霞壮夫の婚姻競争譚》は避けて来た。天之日矛には関係するものの、およそ皇統譜とは無縁だし、氏族の祖でもない2柱を取り上げている理由がはなはだわかりにくいからだ。
春と秋という対照軸も、現代ならそれなりにわかるが、「古事記」の時代に同じような発想が通用したのかも疑問だし。

しかし、そのことは、太安万侶がここぞとばかり収録に踏み切ったことを示している訳で、原文を眺めて考えてみようと思う。

先ず、この話の出所だが、帰化新羅人 出石氏の伝承譚と見るしかないが、土着の娘を娶った天之日矛の娘への、これまた土着の神々の婿入り競争が描かれていると見てよさそうだ。兄弟八十~の末席たる大穴牟遲ノ~が八上比賣婚姻競争に勝利した話と似たところがあり、渡来人にもかかわらず、倭の基本パターンの伝承譚をもっていることを、示したかったということだろうか。

もともと、天之日矛も倭人の妻を追いかけての渡来人で、その風習は半島の新羅人とは違っていたことになろう。この国の主は、秦との紐帯を有する中華帝国系韓族と見られており、支配層の信仰は儒教しかありえない。そうなると、宗族の掟として嫡出長子を採用することになるから、女系(御祖)・末子相続(弟溺愛)的風合いを感じさせる婚姻譚を伝承するなど有り得ないのである。
この時代、新羅は百済との対立も激しさを増していたようだし。それは、単なる覇権争いということではなく、根底には風習が異なる異民族抗争が横たわっており、婚姻の慣習を柔軟に変えるなどできそうにないのだが。
(百済は、自称だが、ツングース系の高句麗と同族たる扶余を出自としている。)

このことは、新羅人が15代天皇期に初渡来ということではなく、古くから、儒教を捨てても倭に移住するしかなかった人々が出石辺りに住んでいたことを語っているのかも。つまり、出雲の八千矛文化が広がったのと同じように、出石の天之日矛文化が広がったことを示唆しているようにも思える。
つまり、「古事記」のこの段での記載は、敵対宗族とされてしまった新羅の高等難民が続々と押し寄せ始めたということを意味していることになろう。それは、新羅神社が全国に拡散していくことを意味していよう。(但し、それはあくまでイメージレベル。後世の、三井寺隆盛時の新羅神社創建との峻別ははなはだ難しく、この頃の渡来人分布と現存の神社分布が一致しているとは言いかねるからだ。さらに、白木神社のように、あえて新羅との関係性を表面から消し去る動きも見て取れ、ご祭神や由緒譚の改変が大規模になされていそう。そのため、当時の実態は全く見えなくなっている。)

この辺りの背景については、当たっているか否かは別として、それなりに想定もできるが、語彙の方はなんとも言い難しである。

さて、「神"うれづく"」だが、文脈から、婚姻成否の賭けを意味していそうだが、"戯"でもある豆掴み丁半博奕/博打/賭博類を指す用語とも思えず、適当な当て訓(e.g. 熟れ付く)も見つから無いので、その意味を探るのはほぼお手上げ。

相当に古層の言葉ということだろうか。

そう思うのは、話のなかで藤布が使われているからである。
保温性が低いので、使われなくなったが、他の植物栽培が不適な地域ではこれしかなかったはずである。そのような素材を特別視しているのだから、出石は藤布のパイオニア的な地位にあったことが想定される。
  大麻@縄文時代草創期
  赤麻@縄文時代前期
  苧麻@縄文時代後期
  藤@弥生時代前期
  楮@弥生時代後期
  葛@古墳時代前期

だから何なんだ、と言われても往生するが。大和朝廷に従属していながらも、その服装からしてかなり異質で目立ったということか。そんなこともあって、北方シャーマニズム的な"矛"の呪術に長けた一族とされていたのだろう。
(祇園祭の矛の出所は出雲ではなく、出石と思われる。)

--- 兄 秋山之下氷壮夫・弟 春山之霞壮夫の婚姻競争譚 ---
故 其天之日矛持渡來物者 その天之日矛が持って来た物は
"玉津寶"云而珠二貫
又 振浪比禮,切浪比禮,振風比禮,切風比禮,
又 奧津鏡,邊津鏡,
幷 八種也 合計8種。
<此者 伊豆志之八前大~ 也> 【これはイヅシ[=出石]の八座大神。】
故 茲~之女 名伊豆志袁登賣~坐也 神に娘が居り その名前はイヅシ[伊豆志]袁登売[オトメ]
故 八十~雖欲得 八十~が得ようとしたものの
是伊豆志袁登賣皆不得婚 誰も結婚できなかった。
於是有二~ 兄號 秋山之下氷壯夫 弟名 春山之霞壯夫 兄弟2神が居りました。・・・
故 其兄謂其弟:
「吾 雖乞伊豆志袁登賣不得婚 兄:「妻としたかったが出来なかった。
 汝得此孃子乎」 お前はこの女を得ることができるか?」
答曰:
「易得也」 弟:「容易に得ることができます。」
爾 其兄曰:
「若汝有得此孃子者 兄:「もし、お前が妻に出来るなら
 避上下衣服 量身高而釀甕 服を脱ぎ、身長の高さの甕に醸造し
 亦山河之物悉備設 山河の物品をことごとく設えてやろう。 
爲宇禮豆玖」云爾 宇禮豆玖[うれづく]しよう。」
爾 其弟如兄言具白其母 そこで、弟は、兄の言を具に母に言った。
即 其母 取布遲葛 而 すると母は葛蔓を取り、
一宿之間 織縫衣褌 及 襪沓 作弓矢 一晩の間に、衣・袴・襪・沓を織り、弓矢を作って、
令服其衣褌等 令取其弓矢 それらを着せ、弓矢を取らせ
遣其孃子之家者 其衣服及弓矢 悉成藤花 女の家に遣ると、悉く藤花になったのです。
於是 其春山之霞壯夫 以其弓矢繋孃子之廁 弟は弓矢を厠に繋ぐと
爾 伊豆志袁登賣 思異其花 將來之時 オトメはその花を異なことと思い持って入室
立其孃子之後入其屋即婚 オトメの後に付いて部屋に入って即結婚
故 生一子也 そして子が生まれました。
爾 白其兄曰:
「吾者得伊豆志袁登賣」 弟:「オトメを得ました。」
於是其兄 慷慨弟之婚 兄は結婚に憤慨し
以不償其宇禮豆玖之物 宇禮豆玖[うれづく]の物を償おうとしませんでした。
爾 愁白其母之時 弟は愁いて母に言った。
御祖答曰:
「我御世之事能許曾~習 母:「この世の事こそ神に習うもの。
 又 宇都志岐青人草習乎 不償其物」 美しき青草が習うのに、物の償いせずとは!」
恨其兄子 子である兄を恨み
乃取其伊豆志河之河嶋一節竹而 イヅシ河の中州で1本の竹を取り
作八目之荒籠 八ッ目の荒籠を作り
取其河石 合鹽而裹其竹葉 河石を取って塩と合わせ竹の葉で包んで
令詛言 呪詛:
「如此竹葉青如 此竹葉萎 而 青萎 母:「この竹葉の青の如くが萎んで、青く萎め。
 又 如此鹽之盈乾而盈乾 さらに、この塩[潮]の盛乾[満干]の如くに、満ちて引け。
 又 如此石之沈而沈臥」 さらに、この石が沈む如くに、沈み臥せよ!」
如此令詛 置於烟上 この呪詛を令し、(竈の)烟の上に置いた。
是以其兄八年之間 こうして、兄は、それ以降、8年間、
于萎病枯于萎病枯 身体は干からび萎び、病で身が枯れてしまいました。
故 其兄患泣請其御祖者 そこで、兄は泣き患い御母堂に請いたのでした。
即 令返其詛戸 すぐに、元に戻す呪詛を令し
於是 其身如本以安平也 身体は元通りになり、平安に。
<此者"~宇禮豆玖"之言本者也>

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