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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.3] ■■■
[367]言霊の幸はふ国とは書かれていない
🗣一般に、"声に出した言葉が、現実の事象に何がしか影響すると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。"と言われているが、生命の根源に魂があると考えるなら、精神的交流の媒体たる言葉に魂の持つ力が籠められていると考えるのは自然なことと思われる。
・・・と書くことになっていそうなので、それに従っただけ。"言葉には不思議な霊力が宿っていると信じられていた。"と解説されているからだ。言葉が箱で、そこに魂を入れて運べるとの意味としか考えられない解釈である。ところが、そうなると、言葉が持っている呪力という概念とは根本的に異なることになってしまう。呪語とか真言は、誰かの魂なのだろうか、それとも何か別なものを宿しているのか、という疑問が湧いてくる。

<言霊/言魂>との用語を持ち出して、特別な力の存在を誇示する必要があるとすれば、魂の力を言葉に乗せる技量と力が抜群のヒトあるいは神が存在すると考えていることを意味しているのではないか。

そんな風に考えるのは、現代人にはよく知られた語彙にもかかわらず、「古事記」では一回も使われていないからだ。わざわざ、そのような言葉で説明する必要はないことを意味しよう。

天照大御神の発言を考えると、それは当たり前。

大便を神聖な場に振り撒くというトンデモ狼藉皇位があったにもかかわらず、それは酔っ払いの下呂だと言い包めるのだから。このような"お言葉"で、手品のように大便が下呂にすり替わると考える人などいまい。しかし、この言葉の力で、狼藉者が改心する可能性を夢見る人もいよう。言葉に籠めた心の力とはそういうものでは。

間違えていけないのは、それを突き抜ける力を持つ呪語が別途存在している点。こちらは祭祀の行儀を踏まえて行われる呪術。これを人々は怖れ敬っていたのであり、その力の頂点に位置する神も存在しているのだから、気安く<言霊/言魂>という語彙を使うことを避けるのがまともな姿勢と言ってよかろう。

そのような神としては、大国主命の子「(八重)言代主神」が該当していそう。事代主神の話の最中、突然に名称が変わって登場してくるだけで、どのような性情の神なのかははっきりしないものの。
さらに、いかにも、言霊の神格化名称に映る神が、一言主大神。葛城の土着の神でもあるようで、天皇より位が高そうに描かれている。

と言っても、伊邪那伎命や天照大御神には<言依>の力があり、葦原中国を平定する際の基本呪語として、命が出されたのであるから、本家はこちらということになろう。ここらは別途ページを改めてまとめることとしよう。

ただ、一番目立つのは「言挙げ」という用語ではあるまいか。意志をはっきりと声に出して言うことを指すが、倭建命が伊吹山に登った時の言葉がよく知られる。山の神の化身に出会ったにもかかわらず、「これは神の使いだから帰りに退治しよう。」と言挙げ。命は慢心(油断)していたので、神であることを見抜けず、神の祟りに遭い亡くなってしまうのである。
いかにも、口誦・口承の文化の国にありそうな話である。

言葉は端から重要であり、それをわざわざ<言霊>という語彙で一般名詞化する必要性があるとは思えないのだが。

太安万侶は慎重に言葉を選んでおり、「言⇒事」を恐れる感情が生まれて当然という手の話を収録しているだけ。現代の安直な「言⇒事」的言霊論のタネは提供していない。
つまり、「古事記」成立期には、言葉に出すとそれが現実化しかねない"可能性"があるというのが、一般的観念になったと記載しているようなもの。時代は変わりつつあると見ているのだと思う。

尚、「萬葉集」での<言霊>の用例は極めて限定的。以下の歌のみ。
反歌の人麻呂の歌は矛盾を詠んでおり、それは「古事記」上巻の神々の時代@葦原中国と、下巻末期に当たる遣唐使派遣の青草(ヒト)の時代@大和国磯城の差異と考えることもできる。・・・歌を介して、無事をお祈り致しますと"言挙げ"した訳だ。
とんでもない話である。無事の航海を果そうというなら、航海神への手厚い祭祀を一緒に行うのが筋ではないのか。一介の官僚の祈りの歌が、そのような公的祭祀より重要という訳でもあるまい。ここらは、まともに考えると悩ましい問題を抱えていると言えよう。
太安万侶は心して両時代の峻別を図って記載したが、人麻呂は両者のなし崩し的同一化を図っていると見ることもできそう。

【遣唐使送別歌】
《柿本朝臣人麻呂歌集歌曰:》
葦原の 瑞穂の国は 神ながら
言挙げせぬ国 しかれども
言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと
障みなく 幸くいまさば 荒礒波
ありても見むと 百重波 千重波しきに
言挙げす 我れは <言挙げす 我れは>  [巻十三#3253]
《反歌》
磯城島の 大和の国は
言霊の 助くる国ぞ
ま幸くありこそ  [巻十三#3254]
【題詞なし】
蜻蛉島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 しかれども 我れは言挙げす・・・  [巻十三#3250]

【寄物陳思】
言霊の 八十の街に 夕占問ふ
占まさに告る 妹は相寄らむむ  [巻十一#2506]

《好去好来歌一首[反歌二首]》
神代より 言ひ伝て来らく
そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国
言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり
今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ
[左注]天平五年三月一日
  良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室
  [巻五#894]

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