→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.12] ■■■ [376]誓約で生まれた神は1柱を除いて降臨か もちろん、その場合のバックグラウンド・イメージ文字としては<鵜景>が似あう。"うけひ"は鳥占とも係わっていたようだから。 さて、<誓約>@天の安河で生まれた、建速須佐之男命の十拳剣(3女神)の神々は玄界灘に降臨。一方、天照大御神の勾玉(5男神)の神々は、最初の降臨が第二子で、第一子は降臨命を執拗に辞退し、次世代にその任を。両者共に、"国譲り"を無理筋と見なしたかのような雰囲気が醸し出されている。他の神はどうしたのか記載がないが、第三子は後裔氏族が明らかにされているので、別途降臨したことになる。 残りの2柱には説明がない。天の安河で誕生したのに神名に"天"が無いから、天照大御神の命での降臨は無かったのだろうが、逆に、そのような名称ということは、勝手に降臨したことを意味していそう。 この2柱の伝承と言えるのか、曖昧性はあるものの、降臨したとみなされている話は存在していない訳ではない。 活津日子根命は、語呂合わせ的な印象はあるものの、地名の彦根の発祥譚とされることが多い。天津日子根命の名称と対であるから、活津である必然性がわからないから、後世の都合での地名譚のようにも思えるがなんとも言い難しである。 ただ、この5男神はもともとが玉の神であり、各地の国土差配の魂として祀られてもおかしくはなかろう。第二子が出雲に入り、第三子は大和縁辺・河内・山城というなら、第四子は彦根とのストーリーとしてはわかり易いのは確か。逆に、「古事記」記載とはかけ離れた桑名地区で第四子をご祭神としている例の存在の方が理解し難い存在に映る。 厄介なのは、第五子である。明らかに熊野の神であるから、降臨したに違いないが、太陽神系の玉=魂の神というより、葬礼祭祀に深くかかわっているイメージが濃厚な名称だからだ。 ただ、熊野信仰はかなりの古層に由来していそう。日本海出雲と紀伊半島熊野に祀っている神社があるが、天照大御神が出雲への降臨を第一義としている以上、前者と考えるのが自然だろう。神名は"熊野加武呂乃命"と大分異なるとはいえ。 《出雲神戸》郡家南西二里二十歩 伊奘奈枳 乃 麻奈古坐 "熊野加武呂乃命" 与 五百津鋤々猶所取々 而 所造天下"大穴持命" 二所大神等依奉 故云神戸 [「出雲国風土記」意宇郡] 他の熊野神社は、熊野坐神社創始後で、御祭神は同じと見て間違いなさそう。 ●【左御目】 ├┬┬┬┐ ❶ │❷ │┼❸ │┼┼❹ │┼┼┼❺ │ └┬● ┼├┐ ❶[継承]正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命 --- ❷天之菩卑能命 …葦原中国平定に大国主神@出雲へ派遣されたが、心服し住み着いた。 ⛩神魂神社@松江大庭[伝:天穂日命創建] ⇒[子]建比良鳥命 ⛩天日名鳥命神社@鳥取大畑森崎(御祭神:天日名鳥命 素盞嗚命) 出雲國造__[出雲国] 无邪志國造_[武蔵国] 上菟上國造_[上総国海上郡] 下菟上國造_[下総国海上郡] 伊自牟國造_[伊甚国=上総国埴生郡+夷灊郡] 津嶋縣直__[対馬国] 遠江國造__[遠淡海国@浜名湖] 等 --- ❸天津日子根命 凡川内國造_[(大)河内国] 額田部湯坐連[大和国平群郡額田郷 or 出雲国大原郡屋裏郷] 茨木國造__[常陸国茨木郡] 倭田中直__[大和国田中] 山代國造__[山城国] 馬來田國造_[上総国望陀郡] 道尻岐閇國造[常陸国多珂郡] 周芳國造__[周防国] 倭淹知造__[大和国山辺郡] 高市縣主__[大和国高市郡] 蒲生稻寸__[近江国蒲生郡] 三枝部造__ 等 ⛩多度大社@桑名多度(御祭神:天津彦根命…桑名首の祖 雄略天皇代創建) --- ❹活津日子根命…n.a. ⛩活津彦根神社@近江八幡安土下豊浦(御祭神:活津彦根命…豊浦荘産土神) ⛩生根神社@住吉(御祭神:少彦名命 or 活津彦根命) ⛩生國魂神社@天王寺生玉(御祭神:生島大神+足島大神) --- ❺熊野久須毘命…n.a. ⛩熊野大社(出雲国造奉斎社)/熊野坐神社@出雲国意宇郡/松江八雲熊野 (御祭神:熊野山 熊野大神櫛御気野命)…天津神 ⇒ ⛩熊野神社@近江国高嶋郡, 越中国婦負郡, 丹後国熊野郡 ⇒ ⛩熊野本宮大社/熊野坐神社@紀伊国牟婁郡/田辺本宮 (御祭神:家津美御子大神/熊野加武呂乃命/熊野奇霊御木野命/素盞嗚尊) (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |