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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.13] ■■■
[377]物部氏の出自が"謎"とは思えない
物部氏は正体不明の氏族とされているらしいが、小生から見れば、出自を含めてそんなことはなかろうという気分。誰だろうと、「古事記」だけ読んでいれば、次第に、物部氏の存在になんらの違和感も覚えなくなってくるのではなかろうか。

要するに、<物部 v.s. 蘇我>の対立話の印象が強すぎるのであって、仏教関連については何も触れていない書を読んでいれば、それには無縁であり、成程、そういう氏族かと納得感が得られるのでは。

ともあれ、その祖ははっきり記載されている。初代天皇が王権を握ったまさにその時、すかさず後を追ってやって来て、自発的に"お仕え申す。"として登場するからだ。これだけで、なんとなく察しがつくのでは。

もちろん、<物部 v.s. 蘇我>のことを知っているからこそわかることもある。・・・
なんといっても象徴的なのは、物部守屋があっけなく滅ぼされた点。ところが、物部氏滅亡を意味している訳でなく、宗家変更に過ぎない。そして、この宗家とは、石上神宮の祭祀者であり、朝廷の武器庫の管理者でもあるされる。
このことは、強力な"軍事氏族"で、朝廷を差配する地位にいたにもかかわらず、支族長暗殺ではなく、大勢の反守屋の組織力によって宗家が滅亡させられたことを意味しよう。

要するに、蘇我氏が、物部支族も含め、組織的に反守屋で朝廷をまとめあげることに成功したのがこの政変ということになろう。

これだけでピンとくる。

武装勢力との曖昧な用語を避ければ、この氏族の特徴が見えてこよう。

素人発想では、武装勢力3分類で考えることになる。それぞれ性格も役割も全く異なる訳で。
 ○近衛兵(宮及び身辺警護)・・・隼人 久米
 ○治安警察(朝敵分子摘発・処断)・・・物部
 ○軍隊(戦争)
   近衛師団・・・大伴
   主力部隊
   地方師団 連合軍(軍閥集合体)
軍隊と警察は組織的に全く異なっており、前者は独立経済の社会が成立しているが、後者は一般社会の中での一職種でしかない。従って、中央からの指令に従うといっても職務上の話で、そこから外れると一枚岩的組織行動ができなくなることが多い。
物部とは、本貫地の地名とは思えず、治安警察機構の職種を意味している可能性が高かろう。このため、外面上では、皇統レガリアを持つ王の親衛隊として、各地で関連祭祀を執り行なう職掌となろう。

ただ、純軍事部族としての活動も記載されている。それが北九州での磐井の乱。このようなことができるとしたら、近衛師団の力が相対的に零落し軍事勢力の力が均衡してしまったことを意味しよう。
一般に、治安警察はロジスティクス能力が弱体なので参軍しないが、物部の戦闘力量が目立つようになったので派遣されたのだろう。もちろん、それだけではなく、中央の物部氏の本願地が北九州だったのだと思われる。
これは、物部宗家にとって画期的なこと。治安部隊から、自立型の軍事部隊へと変身を遂げたのだから。これで、朝廷で絶大な権力基盤を握ることができる訳で。
そのような力をつけることができたのは、宗家が朝廷の武器製造を担っており、生産能力増強に成功したからだろう。

・・・このように考えれば、物部氏とされていても、系譜不明で取り込まれた氏族が含まれていておかしくなかろう。あくまでも職掌の部民であり、各地に散った皇族の守護役をかって出た土着武装勢力が混じっていておかしくないからだ。
従って、中央の物部宗家が統括役になってはいるものの、組織的に一丸となるのは難しかろう。

このような状況だとすると、伝統祭祀役を奪いかねない仏教とは折り合いが悪いという見方が生まれてもおかしくない。しかし、渡来の大乗仏教はもともと土着信仰の取り込み習合による対立回避体質である。しかも、仏僧は交易上不可欠な人材であり、仏教施設自体が通商外交のプラットフォーム化しており、物部仏教勢力も少なくなかった筈である。<廃仏 v.s. 尊仏>の戦いが発生する可能性は極めて低いと言ってよかろう。

もっとも、物部の謎とされる所以は家伝があって、それをベースとした史書が存在するからだろう。
それによると、始祖が河内国河上哮峰に天磐船で降臨し、大和国鳥見白庭山に座したとされる。長髄彦の妹 御炊屋姫を妻としており、初代天皇即位前の大和では、天皇的な地位にあったという伝承が存在していることになる。ここを重視すれば、ソリャー謎の存在そのもの。
しかし、それは後世の書で記載されている話で、712年成立の「古事記」では全く取り上げられていない。
691年に18氏(大三輪 雀部 石上 藤原 石川 巨勢 膳部 春日 上毛野 大伴 紀 平群 羽田 阿倍 佐伯 采女 穂 阿曇)が系譜書を提出しており、どの氏族も天孫との係わりを示すことに心血を注いだ筈で、太安万侶がその記述を見ていないとは思えない。しかるに、見解は180度異なる。物部系の祖は大和先駆けではなく後発。
天孫の伴として降臨している氏族ではないという点だけは同じである。

《「新撰姓氏録」第一帙皇別》
[大和国皇別]布留宿祢(柿本朝臣同祖) 天足彦国押人命七世孫米餅搗大使主命之後也
 男木事命 男市川臣 大鷦鷯天皇御世 達倭賀布都努斯神社於石上御布瑠村高庭之地
 以市川臣為神主 四世孫額田臣 武蔵臣
 斉明天皇御世 宗我蝦夷大臣 号武蔵臣物部首并神主首 因 失臣姓為物部首 男正五位上日向
 天武天皇御世 依社地名改布瑠宿祢姓 日向三世孫邑智等也

[摂津国皇別]物部首(大春日朝臣同祖)
[摂津国皇別]物部(物部首同祖) 米餅搗大使主命之後也
[河内国皇別]物部 天足彦国押人命七世孫米餅搗大使主命之後也
[和泉国皇別]物部(布留宿祢同祖) 天足彦国押人命之後也
[和泉国皇別]網部物部 同
《「新撰姓氏録」第二帙神別》
[左京天神]石上朝臣 神饒速日命之後也
[左京天神]穂積朝臣(石上同祖) 神饒速日命五世孫伊香色雄命之後也
[左京天神](石上同祖)
     阿刀宿祢 若湯坐宿祢 舂米宿祢 小治田宿祢 弓削宿祢 氷宿祢
     曽祢連 越智直 衣縫造 軽部造

[左京天神]物部(石上同祖)
[左京天神]物部肩野連 [伊香我色乎命之後也]
[右京天神]采女朝臣(石上朝臣同祖) 神饒速日命六世孫大水口宿祢之後也
[右京天神]若桜部造 同神三世孫出雲色男命之後也
四世孫物部長真胆連 初去来穂別天皇[謚履中]泛両枝船於磐余市磯池 与皇妃分駕遊宴 是時膳臣余磯献酒 桜花飛来 浮于御盞 天皇異之 遣物部長真胆連尋求 乃俘得掖上室山献之 天皇歓之 賜余磯姓稚桜部臣 長真胆連賜姓稚桜部造也
[山城国天神]阿刀宿祢(石上朝臣同祖) 饒速日命孫味饒田命之後也
[山城国天神]佐為連 同神八世孫物部牟伎利足尼之後也
[山城国天神]錦部首 同神十二世孫物部目大連之後也
[大和国天神]佐為連(石上朝臣同祖) 神饒速日命十七世孫伊己止足尼之後也
[大和国天神]長谷山直(石上朝臣同祖) 神饒速日命六世孫伊香我色男命之後也
[摂津国天神]若湯坐宿祢(石上朝臣同祖) 神饒速日命六世孫伊香我色雄命之後也
[摂津国天神]物部韓国連 伊香我色雄命之後也
[河内国天神]氷連(石上朝臣同祖) 饒速日命十一世孫伊己灯宿祢之後也
[河内国天神]物部依羅連 神饒速日命之後也
[河内国天神]物部 同神十三世孫物部布都久呂大連之後也
[河内国天神]物部飛鳥 同神六世孫伊香我色雄命之後也
[河内国天神]物部首 同神子味島乳命之後也
[和泉国天神]若桜部造 饒速日命七世孫止智尼大連之後也
[和泉国天神]物部  同神六世孫伊香我色雄命之後也
[和泉国天神]高岳首 同神十五世孫物部麁鹿火大連之後也
[和泉国天神]物部連 神魂命五世孫天道根命之後也

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【左御目】天照アマテラス大御神
│<誓約(勾玉)>
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正勝吾勝勝速日天之忍穂耳マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ

└┬万幡豊秋津師比売ヨロヅハタトヨアキヅシヒメ
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天邇岐志アメニキシ国邇岐志クニニキシ天津日高日アマツヒコヒコ番能邇邇藝ホノニニギ
天火明アマノホアカリ

└┬─神阿多都比売カムアタツヒメ/木花佐久夜毘売コノハナサクヤビメ
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n.a.
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○(登美[@富雄川]能)那賀須泥毘古
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[天神]邇藝速日命(≠[天孫]天火明命)
↑天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊@「先代旧事本紀」
參赴白於天~御子:「聞天~御子天降坐故追參降來 卽獻天津瑞以仕奉也」

└┬登美夜毘売
┼┼○宇摩志麻遅命 <此者物部連穗積臣婇臣祖也>

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