→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.15] ■■■ [379]マカコ弓とハハ矢について想う Wikiからママ引用しよう。 括弧内は小生が加えたもの。・・・ "葦原中国平定において、 高天原の命を受けて葦原中国を訪れた天若日子は、 8年たっても高天原に戻らず、 逆に高天原から派遣された雉を射殺してしまう。 この時に使われたのが、 (賜わった)天之麻迦古弓(天之波士弓)と 天羽々矢(天之加久矢)である。 雉を殺した天羽々矢は高天原まで届き、 高木神が矢を投げ返すと、 その矢にあたり天若日子は死んでしまった。" 小生は、どうしても、弓矢の名称が違うのか気になってしまう。Wikiは比較的少ないが、一般には「記紀」用語は混成状態で、それが理解に裁量とされているように見受けられる。つまり、混淆が大いに推奨されている社会なのである。従って、「古事記」だけ読んでいるつもりでも、このお陰で、頭がすでにゴチャ混ぜにされているので、それに沿って考えてしまうことが多い。 このことを忘れないようにする必要があろう。 何故、上記の文章を例にあげたかと云うと、ここで書いてある弓矢の名称は直前に近い、これとは別な文章での記載。天若日子が授けられた弓矢名称なのである。それが天之 この箇所は、雉射殺の説明であり、そこでの弓矢の名称は違っていて、天之 どうして、そのようになるのか? おそらく解説不可能だろう。しかし、たいていはココは意味不明とせずに、どのような弓矢かの説が紹介されることが多そう。 ・・・この部分を引用した意味が、おわかり頂けただろうか。 官僚プロジェクトでこのような不統一記載を黙認したとすれば、ほぼ滅茶苦茶な編纂マネジメントと見なされ批判を受けるに違いない。個人編纂の書であれば、そこらは勝手だが、まずそうなることはあるまい。直前で使用した語彙を全く違った単語に代替する必要性が無いからだ。 と言うことは、故意に、語彙用法が滅茶苦茶に映るようにしたということ。散らかっている情報からコピー・ペーストして乱雑に合成した書と見なされてかまわぬという方針で記載していることになる。 もちろん、現代になって、聖典になってしまったから、そんな見方を公言する人がいるとは思えないが。 ・・・小生は、太安万侶が、ママコピーの合成書に映るように、情報を選び抜いて記載したと考える。「酉陽雑俎」著者の段成式が、すべての話に伝聞ソースを記載し、権謀術数のターゲットにされないよう用心したのと同じ姿勢と見て。 つまり、読むなら、どういうつもりでこの文章を収録しているのか推測する必要があるということ。当該記述で伝えたいメッセージは何かを想像しなければならないのである。 つまり、「古事記」読みとは、太安万侶の社会観に触れるために、頭を働かすことを意味する。本来なら、山のような註を眺めながら、考えるべき書ということ。残念ながら、そのような解説本にお目にかかったことが無いので、今のところそれは不可能だが。 結局のところ、浅学による間違いだらけの読みしかできないのだが、それを気にせず、自分の頭で考えるしかない。 そういう意味では、この弓矢を賜わる話は、かなり重要では。 高天原の最高権力者が高木神であることを明確に示す話に仕立てられているからだ。意思決定は合議性ではなく、有能と見なされた専門的な者が対処策を最高神に具申する統治システムが確立していることになる。 ところが、その高木神は、宇宙創始時に成って、すぐに隠れてしまった非人格神と同一とされている。同一の場合、普通は亦の名とされるが、ここでは別名と書かれているから、役割が変わったと考えヨということのようだ。と言っても、高木神というえらく単刀直入な名前であり、しかも"大御神"格の扱いではないから、天照大御神の副になったということだろうか。どうあろうが、人格神化で、倭の信仰が大きく変わったことは間違いなさそう。 そう考えると、太陽が架かる"高木"観念の発生を意味していそうな感じがしてくる。ご神体たる鏡を常緑樹で祀る祭祀が始まったことを示唆していそう、と言うことで。但し、それと統治権がどう結びつくのかがわからぬ。 鳥トーテム社会では剣や矛ではなく、弓矢が聖器だから、鳥系氏族的な風土であることを示しているにしても、その場合は神器としての由来譚があってしかるべきだが、それは欠落。もう一柱の大御神と共通になりかねないので、記載見送りか。(この見方は、南方の鳥信仰を前提としている。北方の獣猟部族では鹿を射る弓矢や熊討ちの鉞が王権のレガリア。そちらの文化と言えないこともなく、その場合は統一的由緒譚は不要だ。さらに付け加えれば、ハハという音から、蛇系トーテム部族を示していると見ることもできる。矢で蛇神の子を宿す譚が中核の伝承が定番とされる社会なのだから。・・・マ、執弓射矢神事はどの社会でも存在していると考えた方がよかろう。) それに、高天原の神社会の通念も不可思議極まる。 出雲の妻が喪主として葬儀を行ったと思われるが、その哭き声を聞きつけて逝去した命の父と妻が高天原から降臨してくる上に、葬儀担当の鳥も派遣させており、主導しているかのよう。 葦原中国は混乱しているとみなしておきながら、出雲の葬儀に大挙して参列であり、どういうことなのだろう。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |