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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.26] ■■■
[390]「古事記」は日本型知の原点
"「記紀」読みは避けるべし。"と、しつこく書いているので、不快に感じる人もいようが、そこらはご勘弁の程。
「記紀」読みは、ある意味当然だからだ。両書は日本最古の文字記録であり、他に該当する書が無い以上、古代日本を知りたいと思えば、片方のみに寄りかかる人は稀になるのは当たり前。
しかし、日本の歴史を年表的に知りたいなら、国家プロジェクトとして長期間かけ、官僚知恵を集めて編纂された国史で十分な筈。同時に読むべきは、中華帝国の国史であって、「古事記」ではなかろう。(「古事記」をバラバラにして国史に入れ込んで読むとか、編年体的歴史物語集と見なして粗筋を日本の古代史と見なすべきでは無いということ。)

「古事記」を読もうというなら、太安万侶の歴史観・倭の社会観を探るつもりで、じっくりと対処すべき、というのが小生の考え方。

どういう意味かわかりにくいだろうから、<明治維新>を例にとって説明してみよう。と言うか、「古事記」を読んだから<明治維新>の意味が見えて来たのである。
そんな馬鹿な、と言われそうだが。・・・

素人が明治維新の解説で驚かされるのは、為政者たる幕府を倒したのは《攘夷》派ということ。中華帝国型から西欧型に転換したのは《開国》派たる幕府ではなく、その反対の勢力なのである。明治政府が鎖国主義者である筈もなく、とんでもない矛盾を抱えていることになる。このことは、尊王勢力は国際情勢やパワーバランスにとてつもなく無知な層に依拠していたことを示していると言ってよいだろう。

何故にこういうことが発生したかといえば、草の根まで、幕府によって西欧宗主国化の道に進んでいるように映ったからだろう。東アジアで中華帝国が君臨する時代は終焉し、西欧列強の時代が始まっていたから、幕府がそれに対応して動いただけだが、それに対する危機感が生まれたということ。思想的には4つの流れが存在したと言ってよさそう。
 1 国学(神祇系・末端統治者)
    …天皇依存志向(多数派)
 2 儒教(武士階層)
 3 仏教
 4 自立個人・現実直視/科学的実証思想
    …西洋模倣不可欠(国際派)

「古事記」成立は、このような時代の状況とよく似ていると思った次第。と言うのは、[国学者]小中村清矩:「皇嗣例」「女帝考」「后妃考」@1885年/明治18年という書の存在を知ったから。時あたかも、内閣制度創設。
臣祖註付き皇統譜編纂命で成立した「古事記」と状況はよく似ている。中華帝国の漢字文化圏に入ることになり、統治上の肝となる天皇の正統性の意味を確定する必要に迫られたのである。もちろん、衣替えが軌道に乗れば、不要となるが。
この流れは、倭国の従属国化を意味するから、それに反対する勢力も多かったに違いないが、それ以外の道はあり得ない。・・・太安万侶は、その辺りを百も承知で編纂したことになろう。だからこそ、33代以降は不要なのである。

つまり、漢文による文書統治=儒教型官僚統治機構の整備とは、中華帝国の"世界"標準に合わせるということ。さもなくば、蛮族社会とみなされ、機会あらば即座に殲滅対象とされてしまう。

江戸幕府もそこらはわかってはいたものの、組織上、中途半端な《開国》しかできようがない。西欧列強の"世界"標準からほど遠く、文化的後進国とみなされるしかなく、誰でもすぐにわかるような不平等条約締結を飲まざるを得なかったということ。
そのような条約の存在を知れば、立腹して当たり前。ここらが《攘夷》派が主流化した大きな理由でもあろう。だからと言って、《攘夷》が可能な訳もなく、新たな"世界"標準を受け入れる道以外に無いとわかったからこそ、国学・儒教・仏教の上に西欧思想がおかれることになる。

あとは、不平等条約を失くすための、西欧化を急ぐ以外に道はなかろう。
   <アジア Мix>
  中華帝国型:天子-科挙官僚制
  古代倭国型:祭祀大王制度
  古代天竺型:仏教国教制度

   🠋
   <西欧 Мix>
  英吉利型:立憲君主制度
  仏蘭西型:共和制
  独逸型:帝政 連邦制

ちなみに、日本の大学(私学)とは、この異なる仕組み(体制と法律)毎に生まれた政治的セクトが発展した組織と違うか。大学は、西欧に倣って誕生したと考えるべきでないかも。

「古事記」はこの手のパターンを提示しているとも言えるのでは。・・・
   <原始海>
  3柱独神

   🠋
   <天降・婚姻による大地創出>
  淤能碁呂島作成
  八洲誕生

   🠋
   <環境創成(青草発生)>
  河海発祥観念
  風・木・山・野信仰
  火尊崇

   🠋
   <相克>
  高天原後期型:天照大御神+諸神
  葦原中国初期型:大国主神+少名毘古那神

   🠋
   <倭 Мix>
  木型:万幡豊秋津師比売命
  山型:神阿多都比売/木花佐久夜毘売+石長比売
  海型:豊玉毘売命[八尋和邇]+玉依毘売命

   🠋
   <アジア Мix>

そもそも、別天神として、最初に出現するのは独神3柱。そして、すぐに隠れたにもかかわらず、以後に登場してくるだけでなく、子神が存在するという、矛盾した記載を平然と行っている。そこには強烈なメッセージ性があると考えるべきだろう。
思うに、そのような論理性を追及するのは中華帝国の儒教社会の特徴であることを語っているようなものか。理屈での一貫性に基づいたスタンダードを金科玉条の如く掲げるのだが、現実にはダブルスタンダードどころか、トリプルサタンダードのどうにでもなる社会であることを知っていたのだろう。

つまり、中華帝国とは違い、必要ならスタンダードに合わせた体面作りはするが、雑炊的に伝統を混在させて一貫性を骨抜きにすることに長けているのが、葦原中国の島国体質ということになろう。
古代から綿々と繋がるといっても、その本質は磨き抜かれた思想・信条的な一貫性ではなく、多様な考え方を取り入れ、揺れながら脱皮を図るものの、過去の観念適宜復活させるというもの。(伝承譚のモチーフが時代を超えて再度登場してくる。)

換言すれば、王権神権上の正統性や合理的正当性を文書記録で示せる社会ではないと見抜いたのであろう。例えば、一応、男系にしてあるが、本質的には女系かも知れぬということ。穢れを嫌う原則論があれば、そこらは渡来人を重用することで、克服し、そのうち穢れ観自体が変わってしまうという社会ということ。

・・・そのような社会的"知"が存在していることに、太安万侶は気付いたのでは。

「今昔物語」の三国観の鋭さは、おそらく「古事記」を知っていたからだろう。・・・世界には、様々な文化があるが、震旦圏か天竺圏に属しており、個々には違いがあるが圏内の国々は根本的にはなにも変わるところはない。ところが本朝だけは独特。実際、表向きは仏教国であるし、その倫理観を正当と思ってはいるものの、実態のところ仏教のドグマに従って生きている訳でもないことを、伝承譚から説き起こしているようなもの。

「古事記」の示した倭の風土とは、和魂洋才的に海外から役に立つ箇所を紐解いて、それこそ"大和錦"に織り込むような体質としたいところだが、そうではないと指摘しているようなもの。一方、帝国と併存するオプションはいくつか考えられるから、pros and cons検討の上でズ意思決定するという、現代思考が通用する社会でもなかろう。しかし、避けたいオプションについての共通認識だけは早くから形成されていたようだ。
(覇者たる帝国が規定している"標準"に従わなければ、帝国官僚の成果競争のタネとされるから、なにをされるかわかったものではないから、"標準"導入は必至ではあるものの、タイトな外交関係締結は、帝国官僚が内部分裂を仕掛けるし、宗教対立を呼び込むことになる。内乱はたまらぬという感覚だろう。前面的属国化を率先して受け入れ、小中華帝国を目指す半島の状況を知っていれば当然だろう。伝承をすべて抹消してしまったのだから。)

結局のところ、倭では、分裂を避けるために、雑炊的な仕様で行くことにしたようだ。それぞれの色に染めるべく活動するセクト間の角逐を許容し、揺れ動きながら、綱渡り的に歩むしかなかろう、と達観していたともいえよう。

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