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■■■ 「古事記」解釈 [2022.2.9] ■■■
[404]【寄り道】鐸について
伊邪本別王[履中天皇]御子である市邊之押齒王御子の袁祁之石巢別命/顕宗天皇は、惨殺された父の御骨埋所を目にしていた老媼のお蔭で、蚊屋野の東山に御陵を造成して埋葬できた。
そして、置目老媼と命名し宮の近辺に住まわせて、毎日召した。その際には、大殿戸に懸けた鐸を引いて鳴らすことにしていた。
---御製---
 阿佐遲波良 浅茅原
 袁陀爾袁須疑弖 小谷[オタニ]を過ぎて
 毛毛豆多布 [モモ]伝う
 奴弖由良久母 [ヌテ]ゆらくも
 淤岐米久良斯母 置目[オキメ][]らしも

"[ヌテ]"を使っているところを見ると、特別な意味があるかも知れない。歌の流れからすると、これは、いかにも律令で決まっている驛使が鳴らす様子に模した句であり、「古事記」成立時には律令制度の《鈴》が使われており、なんらかの割註表記があってもよさそうだが。
そうなると、全く触れられていない出土品の銅鐸的な鳴器を示唆しているのかもと思ったりして。・・・
《鐸》=鐘(無舌)の有柄有舌鳴器
  [呉音]ダク
  [漢音]タク
  [訳訓]すず
  [意味訓]ぬて/ぬりて
  [形態訓]さなぎ
《鈴》=有鈕有舌(基本手鈕)
  [呉音]リョウ/リャゥ
  [漢音(密教用語)]レイ(レィ)
  [唐音]リン
  [訓]すず
《すず》=[和義]中空で中に玉等が入っていて、振ると音が出る鳴物。

現代感覚でこの行為を眺めると、マザーコンプレックス的なものを感じてしまうが、山麓からの遺骨発見能力は並外れているから、神懸かり的な人物と見なされたのだと思われる。逃避行で、身分違いの人々と生活していたこともあり、宮人からは感じられない神的な香りを求めていたようにも見える。
播磨では、鐸で神をお呼びしていた時代を思わせる風習に触れたかもしれないし。

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