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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.10] ■■■
[433][安万侶サロン]御宅の展開
屯家[みやけ]/屯倉/官家/三宅/御宅は朝廷直轄の収穫物を蓄える倉を指すそうだが、前期・後期で様相は異なるらしいし、素人からすれば曖昧で情緒的な定義としか思えないが、大化の改新時に制度は廃止されたとのことだから実態はよくわからなくて当然だろう。

ところで、どう見ても、そうは読めない当て字が使われており、素人からすれば元字は"御宅"と考えるしかないが、好字代替文字が魅力的とも思えないから、なんらかの意味付与の漢字表記である可能性が高そうだ。
 ≪屯[=一+屮]=土地(草木初生)⇒聚集⇒駐軍防守⇒屯田
   [音]チュン トン
   [訓]たむろ(-する)
 ≪宅[=宀+乇]=住処(大家族的家) or 葬地(墳墓)
   [呉音]ジャク
   [漢音]タク
   [訓] やけ たか
   [意訓]いえ すま-う

「古事記」では、以下のように、一般名でない名称で出てくる。・・・
⑪伊久米伊理毘古伊佐知命/垂仁天皇
  又天 以三宅連等之祖 名多遲麻毛理 遣常世國
⑫大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇
  此之御世
   定 田部
  又定 東之淡水門
  又定 膳之大伴部
  又定
倭屯家
  又作坂手池 即 竹植其堤也

⑭帯中津日子天皇/仲哀天皇
  此之御世
  定
淡道之屯家
○息長帯比売命/(神功皇后)
  故是以新羅國者
  定 御馬甘 百濟國者
  定
渡屯家
⑯大雀命代/仁徳天皇
  又伇秦人作茨田堤 及 茨田三宅
  又作丸邇池依網池
  又掘難波之堀江 而通海
  又掘小椅江
  又定墨江之津

⑳穴穂御子/安康天皇
  亦副 五處之屯宅以獻
  <所謂
五村屯宅者 今葛城之五村苑人也>

一方、「出雲国風土記」では、"正倉"という語彙がある。これも同じ訓読みの"みやけ"とすることになっているようだが、大穴持命=大国主命の祭祀用田の倉で普通の朝廷直轄地とは異なっている感じがする。・・・
  【意宇郡山國鄉】故云山國也 即有正倉
  【意宇郡舍人鄉】志貴嶋宮御宇天皇[欽明]御世
     倉舍人君等之祖日置臣志毗大舍人供奉之 即是志毗之所居 故云舍人 即有
正倉
  【意宇郡山代鄉】所造天下大神大穴持命御子山代日子命坐 故云山代也 即有正倉
  【意宇郡拜志鄉】所造天下大神命大國・・・故云林 即有正倉
  【意宇郡賀茂神戶】所造天下大神命之御子阿遲鋤高日子命 坐葛城賀茂社
     此神之神戶 故云鴨<神龜三年改字賀茂> 即有
正倉
  【嶋根郡手染鄉】所造天下大神大國主命詔・・・即有正倉
  【楯縫郡玖潭鄉】所造天下大神命大國 天御飯田之御倉 將造給林 覔巡行給
  【出雲郡漆治鄉】神魂命御子天津枳比佐可美高日子命御名・・・故云志丑治 即有
正倉
  【出雲郡美談鄉】所造天下大神大國主命御子和加布都努志命・・・故云三太三 即有正倉

この表記には、正統な名称であるとの自負を感じる。「古事記」の屯家とはいささか、設定の目的が違うということで。
太安万侶は、そこらを、三宅連⇒倭屯家⇒淡道之屯家⇒渡屯家⇒茨田三宅と記載することで説明していると見てよかろう。
要するに、水上交通路確保のための現地管理組織を編成したということ。その組織が労役を駆使して自律的に運営できるように、耕地手当と収穫物保管庫建設を進めたと書いてあるようなもの。御宅を三宅にしたのは、この組織の主要構成が3つあるということだろう。なんといっても重要なのは湊の維持であり、日々、航路である水路の補修を行なうことが重要な任務であったことになろう。
そのような組織を編成し、難波津⇔瀬戸海側だけでなく、難波津⇔淀川⇔宇治川⇔琵琶湖⇔若狭という広域交通網を作り上げていた訳である。

おそらく、こうした基幹ルートの三宅は大組織であり、技術者を抱え、マネジメントノウハウがあり、禁忌観が異なるので自由に活動しやすい渡来人が任命されたに違いなかろう。

「播磨国風土記」には、もちろん<御宅>として登場する。この国での特筆モノは、軋轢からくる摩擦もあるものの、全般的には渡来人が自由に活動して、住み着いている点。そのような土地柄での新羅渡来の天之日矛譚は凄い。「古事記」にも唐突に登場してくるが、この書では、淡路国出浅邑→揖保川河口→宍禾郡→神崎郡と広く動きまわっている。つまり、交通路を瀬日していったことになる。
おそらく、それが三宅の前身で、朝廷は交通網整備のために次々と三宅を設置していったとおもわれる。
しかし、地場勢力にとっては、小組織にもかかわらず地位的に上位であるような振舞いをする状態は心地悪しだろうから。一定の軍事力無しには存続しがたいも9のがあっただろう。
その時点から、屯田兵的な組織になり、名称も屯家になったと考えるとよいのではなかろうか。・・・
大帶日子淤斯呂和気天皇/景行天皇
  【賀古郡益氣里】
  所以號宅者 大帶日子命 造
御宅於此村 故曰宅村
品陀和気命/応神天皇
  【神前郡多駝里】…播磨三宅氏出自譚とも思える。
  一云 掘城處者:
  品太天皇御俗 參度來百濟人等 隨其俗 造城居之
  其孫等
川邊里三家人 夜代等
  【飾磨郡漢部里】
  右 稱多志野者
  品太天皇巡行之時 以鞭指此野 敕云:
  「彼野者 宜造
宅 及 墾田
  故號佐志野 今改號多志野

大雀命/仁徳天皇
  【餝磨郡貽和里】
  所以稱
餝磨御宅者 大雀天皇仁コ御世 遣人 喚 意伎 出雲 伯耆 因幡 但馬 五國造等
  是時 五國造 即 以召使為水手 而 向京之
  以此為罪 即退於播磨國 令作田也
  此時 所作之田 即號 意伎田 出雲田 伯耆田 因幡田 但馬田
  即 彼
田稻收納之御宅
  即 號
餝磨御宅
  又云
賀和良久三宅
  【損保郡佐岡】
  佐岡所以名佐岡者 難波高津宮天皇之世
  召
筑紫田部 令墾此地之時
  常以五月 集聚此岡 飲酒宴 故曰佐岡

袁祁王之石巣別命/顕宗天皇
  【美嚢郡志深里】
  ・・・於奚袁奚天皇 自此以後更還下
  造宮於此土 而 坐之
  故有
   高野宮
   少野宮
   川村宮
   池野宮
  又 造屯倉之處 即號
御宅村造倉之處 號御倉
広国押建金目命/安閑天皇
  【損保郡越】
  所以號皇子代者 勾宮天皇安閑之世
  寵人但馬君小津 蒙 寵賜姓 為皇子代君 而
  造
三宅於此村 令仕奉之 故曰皇子代村

要するに、太安万侶が上記で語っているのは、"屯家"であって、もともとの朝廷管理倉庫である"御宅"ではないのである。断定的に言うのは「魏志倭人伝」の一節があるからだ。すでにこの時、北九州地区に朝廷から観察官が派遣されており、大きな収納倉庫が存在していると記載されている。・・・
  収租賦   租賦(税)を収め
  有邸閣   邸閣(高床倉庫)有り
  國國有市  国々に市有り
  交易有無  有無を交易す
  使大倭監之 "大倭"をして、之を監ぜしむ


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