→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.25] ■■■ [448]五七調の意味再考(続) ただ、収録歌がそれを示していると簡単に言える訳ではない。 倭建命に係る歌で、句長を眺めたことがあるので再掲しておこう。 一目でわかるのは、字足らずや字余りはあるものの、ほぼ【五-七】調とみなせそうな点。しかし、それは<大御葬儀歌>4首を除外しての話。これらは、明らかに外れている。・・・ [_24]【倭建命】出雲健討伐自賛 やつめさす____…5┐ いづもたけるが__…7┘ はけるたち____…5┐ つづらさはまき__…7┤ さみなしにあはれ_…8┘ ≒7 [_25]【(后)弟橘比賣命】入水辞世 さねさし_____…4┐ ≒5 さがむのをぬに__…7┘ もゆるこの____…5┐ ほなかにたちて__…7┤ とひしきみはも__…7┘ [_26]【倭建命】「吾妻はや」と歎息@甲斐国酒折宮 にひばり_____…4┐ ≒5 つくばをすぎて__…7┤ いくよかねつる__…7┘ [_27]【御火燒之老人】 かがなべて____…5┐ よにはここのよ__…7┤ ひにはとをかを__…7┘ [_28]【倭建命】初夜@所期の地 ひさかたの____…5┐ あめのかぐやま__…7┘ とかまに_____…4┐ ≒5 さわたるくび___…6┘ ≒7 ひはぼそ_____…4┐ ≒5 たわやがひなを__…7┘ まかむとは____…5┐ あれはすれど___…6┘ ≒7 さねむとは____…5┐ あれはおもへど__…7┘ ながけせる____…5┐ おすひのすそに__…7┤ つきたちにけり__…7┘ [_29] └【美夜受比賣】答御歌 たかひかる____…5┐ ひのみこ_____…4┘ +3 やすみしし____…5┐ わがおほきみ___…6┘ ≒7 あらたまの____…5┐ としがきふれば__…7┘ あらたまの____…5┐ ときはきへゆく__…7┘ うべなうべなうべな…9○○○┐ …例外的重複 きみまちがたに__…7───┘ わがけせる____…5┐ おすひのすそに__…7┤ つきたたなむよ__…7┘ [_30]【倭建命】伊吹山より敗走@尾津岬一本松 おはりに_____…4┐ ≒5 ただにむかへる__…7┤ をつのさきなる__…7┘ ひとつまつ____…5○┐ あせを______…3○┘ +4 ひとつまつ____…5○┐ ひとにありせば__…7─┤ たちはけましを__…7─┘ _________…0○┐ きぬきせましを__…7─┘ ひとつまつ____…5○┐ あせを______…3○┘ +4 [_31]【倭建命】伊吹山より敗走思國歌 やまとは_____…4┐ ≒5 くにのまほろば__…7┘ たたなづく____…5─┐ あをかき_____…4┐│ やまごもれる___…6┴┤ やまとしうるはし_…8─┘ ≒7 [_32]【倭建命】伊吹山より敗走思國歌-無事な人へ いのちの_____…4┐ ≒5 またけむひとは__…7┘ たたみこも____…5┐ へぐりのやまの__…7┤ くまかしかはを__…7┘ うずにさせ____…5─┐ そのこ______…3○┤ +4 _________…0○┘ [_33]【倭建命】辞世的[片歌]故郷を見上げ感慨 はしけやし____…5┐ わぎへのかたよ__…7┤ くもゐたちくも__…7┘ [_34]【倭建命】辞世的草薙剣と美夜受比賣を思って をとめの_____…4┐ ≒5 とこのへに____…5┘ +2 わがおきし____…5┐ つるぎのたち___…6┤ ≒7 そのたちはや___…6┘ ≒7 -----<大御葬儀歌>----- [_35]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>逝去悲嘆 なづきのたの___…6 いながらに____…5 いながらに____…5 はひもとほろふ__…7 ところづら____…5 [_36]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>倭建命白鳥に化身 あさじのはら___…6 こしなづむ____…5 そらはゆかず___…6 あしよゆくな___…6 [_37]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>白鳥追走@海辺 うみがゆけば___…6 こしなづむ____…5 おほかはらの___…6 うゑぐさ_____…4 うみがはいさよふ_…8 [_38]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>白鳥飛翔@磯伝い はまつちどり___…6 はまよはゆかず__…7 いそづたふ____…5 歌の変遷を考える上では、上記の≪大御葬儀歌≫の4首ほどほど参考になるものはない。 そもそも、埋葬地から御陵地と飛行する白鳥を追うというのだが、そのルートはひたすら西方に向かうのであり、伊勢⇒伊賀⇒大和⇒河内しかありまい。従って、磯や浜で難儀することなどありえない。 しかし、誰もそれに違和感など覚えないどころか、この話を耳にすれば感極まれ状態になったに違いないのである。そうでなければ、この歌が朝廷の公式な葬儀行事に用いられるなど考えられないからだ。 そもそも、歌の内容からして、解説なかりせば、どうして人々がこの歌で慟哭するのかはなはだわかりにくい。少なくとも、崩御の驚き・逝去の悲しみ・生前の思慕は感じられないし、生き返りをひたすら祈る歌でもないからだ。ト書き無しでは、哀傷性も感じることができそうにないし。 文字的には崩御と記載されるものの、あくまでも1皇子であり、朝廷非関与の私的な殯もがり儀式の筈。御陵埋葬の葬送行事でも無いから、そこで詠われた歌を公的な儀式に組み込む必然性は極めて薄い。 このような点を考えると、≪大御葬儀歌≫は海人の喪に於ける儀式の中核的な役割を果たしていたということでは。そうだとすれば、葬儀儀礼が大きく変わってきたなかで、この歌で、一種のノスタルジー的な気分が突如持ち上がって来たと解釈することもできよう。 極めて古層の歌ということになろう。「万葉集」巻二に多数収録されている挽歌の一種という訳ではない。 特に重要なのは、挽歌は詠むといってもその本質は「読む歌」だが、≪大御葬儀歌≫は歌謡であり、鳥装束での舞踊とともに謡う歌だったと思われる点。しかし、雅楽の"誄歌"には舞は無いから、早くに止めてしまったようだ。声明で洗練度が格段に上がり、舞が敬遠されるようになったということか。(宮内庁楽部の誄歌は現代の楽師による古譜撰の琴唱。古代の歌謡形態が遺っていると評価されている。)ともあれ、歌のリズムは、舞や奏とシンクロさせる必要があり、それは一般的には組曲的な構想に基づいている筈で、五-七調の歌の言葉に合わせるより、前句(提題)-後句(修飾+述部)の形式で自由度を保つ方が重要だったと思う。 つまり、4首とは、いわば交響曲の4つの楽章のテーマであり、スピード感や調子はそれぞれ異なることになろう。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |