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■■■ 「古事記」解釈 [2022.4.20] ■■■
[474]千五百や五十の意味
𓎆𓍢𓆼𓂭「古事記」は倭語の数の概念について、かなり教えてくれる。後世の人々が忘れてしまうことを前提に工夫しているようにも思えてくる。
数える行為の最後は、原初的には、おそらく八。九は10進法導入まではなかった可能性もあろう。だからこそ8を特別扱いしていると云ってもよさそう。ところが、数多いという意味では、もう一つ五も該当する。指で数えるのは自然ななりわいだから、驚くようなことでは無い。

「古事記」からはこういう構造が見てとれる。・・・
 []・・・五十[いと]  e.g. 抜所御佩之 [][つか]_[]
 -十[]・・・五十[い-そ]・・・八十[や-そ]
   [もも]・・・五百[い-ほ]・・・八百[や-ほ]
    []・・・[]_[あまり]五百[い-ほ]
      [よろづ]・・・八百[や-ほ][よろづ]

現代の10進法に使っていると、突然、1,500という中途半端な数字が出てくると、違和感を覚えるがどうということは無い。実態的には、ここらが倭での実用上計数可能な数だったのだろう。これを越えると曖昧な塊になり、それが万で、現代の無量大数という気分が八百万ということのように思える。
  千五百之黃泉軍 千五百產屋 千五百人生
  是以一日必千人死 一日必千五百人生也
  千入之靫 千五百人


上記は明らかに数字であるから、音素には使わないようにしているというのは、七で見た通りだが、明らかに数を意味していない用法であればその限りではなかろう。そこらは、読者が読み取るしかない。
例えば、以下の五十は流れから見て数ではないから音であり、"い-そ"と読ませようとしているように思える。その音から意味を考えヨ、と云うこと。
(二柱王子の)弟(袁祁命)將儛時  …<歌>とは記載されていない。
詠曰:「・・・
  物部之我夫子之
  取佩於大刀之手上 …皇太子を示す太刀
  丹畫著 …赤色高貴顔料画
  其緒者載赤幡
  立赤幡 …皇軍御旗
  見者五十隱 …磯隠る(岩影に潜む)
  山三尾之竹矣
  本"訶岐"苅 …根本から掻き刈る
  末押靡魚簀 …魚簀[なす]=迷路的捕獲漁具の簀棚⇒現存タイプは筌のみ=魚梁[やな]
  如調八絃琴
  所治賜天下
  伊邪本和氣天皇之御子
  市邊之押齒王之
  奴末爾」


従って、50や500は、数字なのか音なのかを推定する必要があることになろう・・・
五百引石
八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠 八尺勾之五百津之御須麻流之珠 天香山之五百津眞賢木
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國
五百入之靫
五百鉤
[名]五百原君 水穂五百依比賣 五十日帶日子王 五百木之入日子命+五百木之入日賣命


ついでながら、五の場合は数ではないかと思う。
  五P命 五伴緒 五處之屯宅/五村屯宅(葛城之五村苑人)

この辺りは「万葉集」での表記を参考にせざるを得ない。・・・
<五百>
五百重が下に 五百重波 五百重隠せる 五百重波寄す 五百重山 五百重降りしけ 五百重に隠り 五百重波
鰒玉五百箇もがも[安波妣多麻 "伊保知"毛我母][巻十八#4101]
五百枝さし 五百枝剥き垂り 五百夜継ぎこそ 五百代小田を 白玉の五百つ集ひ 五百機立てて 五百つ鳥立て 白玉の五百つ集ひを 五百つ綱延ふ-五百つ綱延ふ
千名の五百名に立ちぬとも 我が背子は千年五百年ありこせぬかも
天降りましけむ五百万千万神の神代より
(音素表記) 五百入鉇染[廬り悲しみ] 五百入為而[廬りして] 借五百礒所念[仮廬し思ほゆ]


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