→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.4.29] ■■■ [483][安万侶文法]使役表現の標準化 昔話をしても意味ないので、ここでは、「古事記」の使役表現を見ておきたいと思う。 小生的には、この部分は、素晴らしいの一語に尽きると思っているのだが、どんなものか。 ここは漢文法を思い出す必要があるのだが、別にたいしたことではない。 簡単に言えば、SVОC型の構造をとり、"〜しム。"と読み下す、使役形文章があるというにすぎない。 🅢[使役動詞]О(ⓢ)C(ⓥ) …ⓢにⓥさせる。 ただ、注意が必要なのは、実際の構文がこの通りになっている訳ではない点。と云うか、文脈から間違って解釈することなどありえそうにないなら、漢籍の文法に従って書くつもりはないと言っているようなもの。・・・ (🅢:非記載)於 (🅢:非記載) …文構造上は🅢は思金神だが、文脈上はOである。 (構造文文法ではあり得まい。) 逆に言えば、太安万侶は、ここらの独自文法整備に心を配っていることが、一目瞭然。 使役動詞の漢字としては、ほとんど使・令・教・遣だが、ご丁寧にも、3文字同居文まで用意されるという手のかけよう。 即 遣使者 令告 宇遲能和紀郎子 この場合、使者がО(ⓢ)であり、遣が使役動詞なら、SVОC型構造からすれば、令は不要だが、遣とは使役的ではあるが単なる他動詞でもあることを示しており、純正の使役動詞は令であることを伝える文章でもある。以下の文を重ねることで、読者に注意を喚起しているともいえよう。 (🅢:非記載)遣 それぞれ、どうなっているか下記に示した。用法を意識しているとしか思えない。 --- …動詞の頭に付く使役の助動詞。 言令見辱吾 令追 令追 令織神御衣 令思 令鳴 令作鏡 令作八尺勾之五百津之御須麻流之珠 令占合"麻迦那波" 及手足爪令拔 令取茲成種 令作活 令入其中 令寢其蛇室 令採其矢 令取其頭之虱 思金神令思 令取其御手者… 令持百取机代之物奉出 令返石長比賣 令婚其女豐玉毘賣 令惚苦云 無令惶畏 令溺 令惚苦之時 令知其御子等 令祭我御前者 令和平其"麻都漏波奴"人等 令殺"玖賀"耳之御笠 初令貢男弓端之調 令作横刀壹仟口 令白天皇 令取其鳥 令拜其大神宮 令副誰人者吉 令"宇氣比"白 令"宇氣比"枯 令"宇氣比"生 令造神宮 令求登岐士玖能迦玖能木實 令經長眼 令言漏之御子既崩 令云… 令白于神云 有令治天下之心也 命令取大御酒盞而獻 任令取其大御酒盞 令賜於吾 令握大御酒柏 令告宇遲能和紀郎子 傾令其船 令貢於弟 令貢於兄相讓之間 令服其衣褌等 令取其弓矢 令詛言 令詛置於烟上 令返其詛戸 令大坐其國之山方地 令奏天皇云… 令幸於倭 參赴令謁-爾-天皇令詔 令詔 百官令拜 令奏天皇 令詔者… 令持押木之玉縵 令問其家云… 令燒其家之時 令取犬繩以獻上 令止其著火 令詔 令奏天皇 令持此歌 令詔者… 令持百取之机代物 令爲儛其孃子 令問曰… 令儛其少子等 令上於宮 令守其陵 令上坐而 --- …もともとは動詞だろうが、名詞化すると一語で 故以爲於此國道速振荒振國神等之多在 是使何神 而 將言趣 所遣葦原中國之天菩比神 久不復奏 亦使何神之吉 汝所以使葦原中國者 曰<雉之頓使>是也 故 爾 使天迦久神 高木神之命以 問使之 使石長比賣者 亦使木花之佐久夜毘賣者 以鳴鏑待射返其使 射返天神御子之使 以驛使班于四方 宜使也 貢上驛使 是化白猪者 其神之使者 雖今不殺 爾 貢上驛使 將使 而 喚上之 即遣使者 令告宇遲能和紀郎子 不苦役使 故稱其御世 故天皇所使之妾者 不得臨宮中 其容姿端正 喚上 而 使也 所驅使於水取司吉備國兒嶋之仕丁 使舍人 名謂鳥山人 爾 御調之大使 名云金波鎭漢紀武 即 令持此歌 而 返使也 貢上驛使 [例外]天神御子 自此於奧方莫使入幸 荒神甚多 --- …<第三者をつかはす。>と云う使役動詞。 即 遣"豫母都志許賣" 令追 乃 遣𧏛貝比賣 與 蛤貝比賣 令作活 乃 速遣於木國之大屋毘古神之御所 爾 八十神覓追臻 而 矢刺乞時 自木俣漏逃 而 去 天菩比神 是 可遣 故 遣天菩比神者 乃 媚附大國主神 至于三年不復奏 所遣葦原中國之天菩比神 久不復奏 亦使何神之吉 可遣天津國玉神之子 天若日子 賜天若日子 而 遣 又 遣曷神以問天若日子之淹留所由 可遣雉名鳴女時 切伏其喪屋 以足蹶離遣 亦 遣曷神者吉 名"伊都"之尾羽張神 是可遣 建御雷之男神 此應遣 故 別遣天迦久神可問 僕子建御雷神可遣乃貢進 爾 天鳥船神副建御雷神 而 遣 故 爾 遣天鳥船神 故 乞遣其父大山津見神之時 大歡喜 而 遣八咫烏 故 其八咫烏引道 故 先遣八咫烏 大毘古命者 遣高志道 其子建沼河別命者 遣東方十二道 而 令和平其"麻都漏波奴"人等 又 日子坐王者 遣旦波國 日子國夫玖命而遣時 即於丸邇坂 居忌瓮 而 爾 自東方所遣建沼河別 與 其父大毘古共 往遇于相津 是以 各和平所遣之國政 而 覆奏 爾 天下太平 人民富榮 爾 遣山邊之大鶙令取其鳥 故其御子令拜其大神宮 將 遣之時 令副誰人者吉 副其御子遣時 自那良戸 遇跛盲 爾 所遣御伴王等 聞歡見喜 而 遣常世國 令求登岐士玖能迦玖能木實 遣其御子大碓命以喚上 故其所遣大碓命 而 遣 當此之時 其御髮結額也 取殺意禮詔 而 遣 爾 其熊曾建白: 信然也 名御鉏友耳建日子 而 遣之時 給"比比羅木"之八尋矛 何撃遣西方之惡人等 而 返參上來之間 未經幾時 不賜軍衆 今更平遣 東方十二道之惡人等 所遣之政遂應復奏 (即遣使者 令告宇遲能和紀郎子) 遣其孃子之家者 其衣服及弓矢 悉成藤花 遣人於大浦 追下 而 又 續遣丸邇臣口子 而 戀八田若郎女 賜遣御歌 遣大日下王之許 令詔者 汝命之妹 若日下王 即遣人 令燒其家之時 爾 多祿給其老女以 返遣也 故此四歌志都歌也 遣人之時 其伊呂兄 意意祁命奏言 破壞是御陵 不可遣他人 專僕自行 多无禮 故遣物部荒甲之大連 大伴之金村連二人 而 【付言】 冒頭にどうでもよい個人的な話を書いた理由がよくわからないかも知れぬので、一寸、触れておこう。漢文読解とは基本は漢籍の古文調読み下しに他ならない。(漢文を書くために学ぶ訳では無い。)日本語的な文章になれば、知らない語彙を調べるだけで理解可能ということ。 この目的だと、使役表現の漢文はすべて<〜しム>と書き下すのが好ましい。しかし、太安万侶はこの考え方とは180°違っており、上述したように、 これはある意味当たり前。「古事記」は倭語の漢字表記に挑戦しているのであって、それは、渡来漢文を読めるようにどう訳すかという問題とは全く異なるからである。つまり、訳では、<〜しム>該当の文字は多数存在することになる。 古代の資料は僅少なので、この全く異なる<文法>がごちゃまぜになることは避けられない。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |