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■■■ 「古事記」解釈 [2022.5.6] ■■■
[490][安万侶文法]将に文法の初元
"<>について考えてみた。"との内容に過ぎないが、わざと、読み違いを引き起こしそうなタイトルにしてみた。

とんでもないルビに映るが、これは素人の勝手に解釈ではない。どうも、学校文法公認の読みのようだ。もっとも、その辺りが、どうなっているのかは不勉強なので存じ上げないが。

≪将/將[丬/爿+寽[𠂊+冫+寸]]
 【語源】師(統率)
  [呉音]ソウ
  [漢音]ショウ
  [訓]はた まさ-に ひき-いる もつ/もって/もち-いる

上記からは、どうしてこの読みが生まれるのかは全くわからない。
と云うことで、先ず、<む>読みの用例をあげておこう。・・・
  竊設兵攻[潜に兵を設けて攻め (とす)]
  
乘船時[船乗ら(とせし)時]
  
入獄囚[獄囚に入れ (とす)]
  
行吾祖之国[吾が祖の国に行か (とす)]
  乃追渡來
到難波之間[すなはち 追ひ渡り来て 難波に到ら(とせ) し 間]

要するに、<[助動詞]む+[格助詞]と+[動詞]す>と云う用法があるということのようだ。
一方、「萬葉集」表記では、特段の用法があるようには見えず、単に<>とされている。用例数は多い。・・・
[「萬葉集」巻一#84]鹿鳴山曽[鹿鳴か山ぞ]
[「萬葉集」巻二#85]待尓可待[待ちにか待た]
[「萬葉集」巻二#87]君乎者待[君をば待た]
[「萬葉集」巻二#88]我戀息[我が恋やま]
[「萬葉集」巻二#89]君乎者待[君をば待た]
[「萬葉集」巻二#90]迎乎徃[迎へを行か]
[「萬葉集」巻二#109]告登波[告らとは]
[「萬葉集」巻二#117]片戀為跡[片恋せと]
[「萬葉集」巻四#762]八多也八多[]
[「萬葉集」巻七#1174]過而夜行[片恋せと]
[「萬葉集」巻十二#3100]神思御知[神し知らさ]
[「萬葉集」巻十六#3840]其子播[その子産まは]
[「萬葉集」巻十九#4218]保尓可出 吾之下念乎[秀にか出ださ 我が下思ひを]

当然ながら、「古事記」所収歌にも、<む>が存在しているが、表記文字に<将>は使われていない。<牟>である。・・・
[__5]【大国主命】嫡后の嫉妬の抑制
    ・・・泣かじとは 汝は言ふとも 倭の 一本薄
    頂傾し 汝が泣かさまく
    朝雨野霧に立たむ[
]ぞ・・・
[_19]【大久米命】回答
    乙女に
    
多陀爾阿波登[ただにあはむと]"直に逢はむ"
    吾が黥ける利目
[_21]【伊須氣余理比賣】御子に危機迫る
    狭井川由雲立ち渡り 畝傍山 木の葉騒ぎぬ
    
加是布加登須[かぜふかむとす]
[_23]【少女】謀反の陰謀あり、と告知
    御真木入日子はや 御真木入日子はや
    己が命を
    
奴須美斯勢登[ぬすみしせむと]
    後つ戸よ い行き違ひ
    前つ戸よ い行き違ひ
    窺かはく 知らにと
    御真木入日子はや

[_28]【倭建命】初夜@所期の地
    久方の天香久山 利鎌に さ渡る鵠 繊細 手弱が腕を
    
麻迦登波[まかむとは]"枕(ま)かムとは"
    吾はすれど
    さ寝むとは吾は思へど 汝が着せる 衣裾の裾に 月立ちにけり

[_32]【倭建命】伊吹山より敗走思國歌-無事な人へ
    命の全けむ[]人は 畳薦 平群の山の 熊樫皮を 髻華に挿せ その子
[_60]【天皇】家出皇后を追いかける使者を派遣
    山代に い及け鳥山 い及けい及け 吾が愛し妻に い及き遇はむ[]かも
[_97]【天皇】吉野行幸時の蜻蛉島寿ぎ
    三吉野の 小室岳に 鹿猪伏すと 誰そ 大前に白す:
    やすみしし 吾が大王の 鹿猪待つと 胡坐に坐し 白妙の
    袖着装束ふ 手脛に 虻齧きつき 其の虻を 蜻蛉早咋ひ 斯くの如
    
那爾於波登[なにおはむと]
    そらみつ 倭の国を 秋津洲と云(ふ)

「古語文法」の解説を眺めると、受験で重要なのか、助動詞≪む/ん・むず(=むとす)≫の用法はかなり詳しく書いてあることが多い。([助動詞]む+[格助詞]と+[動詞]す)細かい説明をされると、素人はかえって混乱させられるので厄介であるが、見ておこう。

と云うのは、以下の、「我、汝命のためによき議をなさむ。」という、歌ではなく、地文での用例があり、そこにはは存在していないからである。文脈から見て、明らかな一人称主語"我"の【意志】表明文だから、"[動詞]な-す+[助動詞]む⇒なさむ"との文法と見てよさそうだが。
  爾 鹽椎~云:
  「我爲汝 命作なさ_善議_
おわかりだろうか。命と将は意志と一括りにしては駄目なのだ。倭語における意志の概念が西洋とは全く異なることを意味している可能性があろう。

ところで、この手の助動詞<む・むず>には、6用法あるとされているようだ。・・・
  【意志】1人称で 〜(し)よう
  【適当】2人称で 〜(する)のがよい。
  【勧誘】2人称で 〜しないか。
  【推量】3人称で 〜(だろ)
  【仮想】〜(する)としたら[助詞]・・・
  【婉曲】〜のような・・・[名詞]
上記の代表例として、古文<む>が現代文<う><よう>に訳されることがあげられていることが多い。おそらく、受験対策としては肝要なのだろう。

素人からすると、分析などほとんど不要で、主体の意向での活動を示すため、動詞の末尾に付けるだけのこと。自分の意志で行動するか、相手に自分の考え方で行動することを勧めたり、自分が想うところのモノの動きを語っているに過ぎまい。命令とは違い、あくまでも相手を尊重して、語るのであるから、そこから派生して婉曲的な意味合いが生まれるのも自然なこと。

従って、特殊な活用の助動詞とされるが、使う意味のない活用は存在しない。
  む…終止形[ 。] & 連体形[-物]
  め…已然形[-ば]
  (不適)…未然形[-ず]・連用形[-て〜]・命令形[ !]
・・・このように考えれば、動詞だけでなく、形容動詞や形容詞に付けても、なんら違和感を与える用語ではない。ただ、動詞ではないから、「〜な様だネ。」と云う、自分の気分というか、個人的な見方を伝える用法になろう。

太安万侶は、<将>という文字表記を通じて、倭語のこの特徴を伝えていると見てよいのでは。

主語は不可欠ではないどころか、表明すること自体がコミュニケーションの場作りという土台を壊しかねない所作であるという、いかにも口頭言語体質から、文字表記へのコペルニクス敵展開を図る必要性に迫られ、一番重要となるのは主体の意志の表現方法であることに気付かされれば、当然、対処策を熟考することになろう。
その表記の鍵を握っているのが<将>ということ。漢字の意味を踏まえた、人々をうならせる用法と云えよう。

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