→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.5.20] ■■■ [504]「古事記」は同音異義語創出の祖 きしゃのきしゃがきしゃできしゃした。 助詞についての理解があるので、文を句に分割させるのは難しいことでは無いが、仮名で記載しているとほとんどの単語なにがなにやらになってしまう。 アクセントやイントネーション等で区別する方法も機能していない語彙が4つ並ぶのだから、全部違うとすれば、4の4乗通りの組み合わせが生まれてしまう。現代の考え方からすれば非常識極まりない表記方法と云えよう。 にもかかわらず、ほとんどの人が間違いなく、しかもお気軽に対処して、即時、理解できる文章である。非日本語母語者からすればほとんど奇跡に映ってもおかしくなかろう。 ・・・貴社・記者・汽車・帰社 以外にも、喜捨や騎射まであり、これほど同音異義語を擁する言語は他にはあるまい。(当たり前だが、文字表記が異なる漢語は同一発音であることは滅多に無い。漢字表記を止めた半島圏でもそれぞれ異音表記になる筈だ。) しかも、上記は特例ではない。 無理に、特殊性を指摘している訳ではなく、これが日常なのである。パソコンで仮名漢字変換すれば、意味ある語彙がズラズラと並ぶことが少なくないのはご存じの通り。該当語が2行目で、つまり使われている語彙が2桁ということになり、流石に仰天したことがある。 このことは、耳にした言葉は一度漢字に変換されてから、意味を解釈する言語であることを意味しよう。情景を浮かべて、それに合う語彙を選択して並べる作業を瞬時に行うという、驚くべき能力が発揮されていることになる。主語-動詞を幹とする文章構成ありきの言語でないから、こんなことが可能なのである。 もともとこうした言語だったのかはわからないが、少なくとも「古事記」はそのような特質を際立たせ、漢文を読める読者に、倭語が漢語とは全く異なる体質の言語であることを示したと言って間違いない。 換言すれば、現代日本語の、他言語と大きく違っている点は「古事記」の発音固定化に端を発することになろう。 その辺りが一番よくわかるのが、"ン/ん"表記文字が無い点。それは当然であって、倭語にはそのような音が無かったからに他ならない。 しかし、後世、とってつけたように突然、この音が加わってくる。これまた当然であって、漢籍が普及し、漢字の音が知られるようになれば、"ン/ん"の必要性が高まることになる。 ≪爾[𠂉+ハ+丅+冂]/尓[𠂉+小]≫⇒ン(初画) [呉音]ニ [漢音]ジ [唐音・宋音]ル [訓]なんぢ その しかり (のみ ちか/ちかし) ≪无[一+尢[𠂇+乚]]/無[𠂉+卌+一+灬/火]≫⇒ん [呉音]ム [漢音・宋音]ブ [唐音]モ [訓]なし/ない ≪∨≫⇒ン [撥音符号]アヌスヴァーラ ここで重要なのは、"ン/ん"音が無かったという狭い視野ではなく、倭語は母音言語であって、子音は母音の接頭音でしかないという状況。子音で終わる音は無い。 子音で終わって当たり前の漢語とは、ここで根本的に違っており、倭語の漢字表記はことのほか難しい訳で、太安万侶も悩んだに違いないが、結局のところは子音で終わる場合はウ音系と見なすしかなかろうとなったのだろう。その代表例が、ム≒无である。これが後世の"ん"の誕生に繋がったことになる。 一方、二≒爾であって、これは音の"ん"ではない。尓ともども、句/文末用文字としての用法があり、漢籍訓読みの際に"ん"となったのだろう。要するに、漢文に発音注として書き込む撥音符号のようなもの。 漢語の熟語に同音異義が多いのも、これを考えると、うなづけるものがある。語末の音をほとんど"う"音と解釈してしまったため、異なる音の漢語が同一化してしまうことになる。 さらに、すでに触れたが、撥音(ん)だけでなく、促音(〇っ)と拗音(〇ゃ/ゅ/ょ)も無かったが、それを無視して漢字の読みとしたのだから、漢語の異なる音が消滅してしまう。 倭語の発音体系を崩さずに、漢字表記するには、この方法しかないとの大胆な決定である。この太安万侶"簡略化"ルールは、既に述べたように、現代でも有効である。(例えば、母音の違いなど無視したサーバーが英語とされる。しかも、これをサーバと表記せよとのこと。) 母音言語である以上、致し方ないとはいえ、"簡略化"ルールは人々の琴線に触れたようで、撥音・促音・拗音を付け加えるのと引き換えたように、母音も減ったことになる。甲類・乙類が存在したということは、母音が失われたことを意味している訳で。 ことは、母音の問題だけではないようで、子音も漢語で区別されているものを同一視することにしたようだ。 現代でも、h・f・t・p・g・k辺りは境が曖昧になっているが、ここらも「古事記」以来の伝統だろう。ただ、ここらの状況を、古代からとらえ返すのは難しかろう。現代中国語は発音に関しては大変遷を遂げており、日本語を大量に輸入した時代を経ており、その際に語頭の子音が日本語読みだったせいもあり、それを切っ掛けにして母語の子音をかなり消滅させており、古代の漢字の発音が容易に想定できなくなっているからである。(孫文は日本語に堪能だったから当然だが、中華帝国国史ではこの大量輸入は消されていると思われる。) しかも、日本語自体が"簡略化"の道を歩んでいるから、倭語の音が実際どうだったのかは、ほぼ想像/創造の世界。例えば、所謂、歴史的仮名遣いとは、文字表記を現実の発音に近づけたもの。換言すれば、古代音が他の音に集約されたことを意味している訳だ。消えてしまったものについての検討はとんでもなく難しい。 尚、半島は、小中華思想一色の地域である上、宗教上儒教系漢籍を至高とせざるを得ないので、現代言語に古代漢語の息吹きが一番良く残っている筈。しかし、古い資料が皆無なので、漢語と現地語との峻別は原理的に無理である。一方、倭語は「古事記」から一貫して非漢語の道を走っており、180°方向が異なる。両者を比較する意味は薄い。(政治的には大いに役に立つらしいが。) (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |