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■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.2] ■■■
[517]小豆・大豆の読み方
小林秀雄の本居宣長評論はさっぱり面白くなかった覚えがあるが、それも無理は無い。イデオローグの立場を鮮明に打ち出している音韻学者を文芸評論の対象とするのは無理があり過ぎるからだ。
イデオローギー的に研ぎ澄まされて行く姿を描きたかったのだろうが、それが上手く運ばなかったということ。学者としての追及を第一義に置いている宣長は、分析から指摘できないが、確信している論旨があり、それを展開する上でイデオローギーに依拠せざるを得なかったという一面があり、ここらを文芸的に取り上げるのはえらく難しい。

その辺りが素人でもわかるのが、清濁論である。
「古事記」の用字について、はっきりと言い切っているからだ。・・・
  みな清音のかなをのみ用ひて、
  濁音を用ひたることなし。


そんなことある訳がなかろうというのが、常識人としての「古事記」読みではなかろうか。
しかし、よく考えてみれば、倭語に濁音が無かった可能性がある訳だ。しかし、「古事記」以前の情報は無い以上、学者としてはその様な主張はできかねる。無理は承知で、"「古事記」に濁音無し。"と書くことにしたのだろう。

とんでもなく強引な論旨であるが、ポイントを突いているのは間違いない。濁音読みは、後世の人々によるご都合主義的な解釈に過ぎないというのは当たっているからだ。手法的に、個々の語彙をいくら徹底的に分析したところで、それは何の証拠にもなっていないのだから。
清濁の概念なき、細かな分析は無意味であると言っているだけのこと。概念無き作業をいくら積み重ねたところで、学問的には何の価値も無いということ。

その辺りを理解するのに、恰好の語彙がある。
<小豆><大豆>だ。
≪豆[𠮛+䒑]/荳≫
  [意味]祭礼用盛食肉器(高坏)
     ⇒ 黄豆 緑豆 紅豆 豌豆
  [呉音]
  [漢音]トウ
  [訓]まめ ど
≪菽[艸/艹+叔] ≪尗[上+小]
  [呉音・漢音]シュク
  [訓]まめ
≪荅[艸/艹+合]
  [呉音]トフ
  [漢音]タフ
  [訓]あずき こた-える
基本的には、<小豆><大豆>の読みは呉音にするか、訓にするかだろう。
   こ まめ
  ショウ =紅豆
  おほ まめ
  ダイ  =黄豆
当然ながら、「古事記」では訓読みすることになろう。
  小豆嶋
  故所殺神於身生物者・・・於鼻生小豆
   ・・・於尻生大豆

ところが、これから外れる読みが定着している。おそらく、後世読みだろうと考えがちだが、そうではないと見ることが多いようだ。・・・
   あ づき
 [平安期]阿加阿都岐あかあ_き@「本草和名」
 [江戸期]赤粒草あつき
"あ"は赤とすると重複表現となり腑に落ちないが、小生は、語源を[推定]あかつくとした。濁音ではないという点と、"木"を付けたと見て。
そう考えるのは、平安期の小豆は渡来系栽培種と考えるからで、以前の呼名を替える必要があったとみるからだ。土着種は駆逐されたが、それは藪蔓であったため、草⇒木にしたと考えたのである。・・・「古事記」の小豆はもちろんのこと藪蔓である。
(粟津湖底遺跡[@琵琶湖瀬田川河口付近]から土器だけでなく貝殻・魚/鳥獣骨・採取堅果類等が出土している。少量とはいえササゲ類が含まれており、4000年前にすでに小豆が食されていたと推定されている。)

ただ、小豆あづきと濁音で読むことになっているのは、「萬葉集」で<小豆あづきなく>と訳されているせいもある。([巻十一#2580]小豆鳴 [巻十一#2582]小豆奈九 [巻十二#2899]小豆無)大豆は収録歌には使われていない。

さて、この<豆>だが、音素表記文字として使われており、それは呉音<ヅ>だと思われるが、素人からすれば、清濁どちらでもよさそうな箇所もある。(例えば以下【清音】箇所。)このことから、清濁表記は一意的に定まっていないと見なすこともできよう。
(「萬葉集」でも清音訳がある。…[巻二十#4340]豆久志奈流[筑紫なる])
そんな場当たり的な音素文字表記をする訳が無いと考えるなら、全てが清音であると見なしても、その逆でも、かまわないことになろう。無理矢理に、イデオロギーで一刀両断に踏み切った宣長の主張には一理ある。・・・
【音素文字表記@歌】
[歌1]伊豆毛夜幣賀岐[出雲八重垣]
[歌2]比許豆良比[引こづらひ]・・・阿麻波勢豆加比[天馳せ遣ひ]
[歌3]阿麻波世豆迦比[天馳せ使ひ]
[歌4]多久豆怒能[栲綱の]
[歌6]多久豆怒能[栲綱の]
[歌24]伊豆毛多祁流賀[出雲建が]・・・都豆良佐波麻岐[黒葛多纏[巻]き]
[歌31]多多那豆久[たたなづく]
[歌35]那豆岐能[水漬きの]・・・登許呂豆良[野老葛]
[歌36]許斯那豆牟[腰難む]
[歌37]許斯那豆牟[腰難む]
[歌39]迦豆岐勢那和[潜きせなわ]
[歌41]曾能都豆美[その鼓]
[歌42]加豆怒袁美禮婆[葛野を見れば]
[歌43]伊豆久能迦邇[いづくの蟹] 毛毛豆多布[百伝ふ]・・・伊豆久邇伊多流[いづくに至る]・・・迦豆伎伊岐豆岐[潜き息衝き]
[歌44]志豆延波[下枝は]
[歌45]美豆多麻流[水溜る]
[歌52]阿豆佐由美[梓弓]
[歌53]摩佐豆古和藝毛[まさつこ我妹]【清音】
[歌57]許母理豆能[隠りづの]
[歌59]迦豆良紀多迦美夜[葛城高宮]
[歌60]阿賀波斯豆麻邇[ 吾が愛し妻に]【清音】
[歌75]那豆能紀能[水浸の木の]
[歌79]夜麻陀袁豆久理[山田を作り]【清音】
[歌85]多豆賀泥能[鶴が鳴の]
[歌88]夜麻多豆能[山たづの]<此云山多豆者 是今造木者也>
[歌89]淤母比豆麻阿波禮[思ひ妻あはれ]・・・阿豆佐由美[槻弓]・・・意母比豆麻阿波禮[思ひ妻あはれ]【清音】
[歌91]曾能淤母比豆麻[其の思ひ妻]【清音】
[歌97]阿岐豆波夜具比[蜻蛉(あきづ)早咋ひ]・・・阿岐豆志麻登布[秋津洲(あきづしま)と云(ふ)]
[歌100]伊岐豆岐能美夜[斎の宮]・・・阿豆麻袁淤幣理[吾妻を覆へり] 志豆延波[下枝は]【清音】・・・斯豆延能[下枝の]【清音】・・・美豆多麻宇岐爾[瑞玉盞に]・・・淤知那豆佐比[落ち足沾ひ]
[歌102]宇豆良登理[鶉鳥]・・・佐加美豆久良斯[酒御付くらし]
[歌104]和岐豆岐賀斯多能[脇几が下の]
[歌112]毛毛豆多布[百伝ふ]

ここらを一歩進めて考えれば、太安万侶の考え方も想定できよう。もともとは濁音が無かったが、<ツ>は次第に<ヅ>に変わって行ったが、それが時間軸ではどの辺りかは読めないので、読者が判断して欲しいと云うことでは。
いくらなんでも、 <山田を作りづくり/豆久理>のように濁音で読むとは思えないし。

もちろん、<ツ>の方が好まれた語彙もあるということで、清音らしき語彙は新しい時代に多く見られることになる。例えば、本当は、こう読むべきかも。・・・
【ツの時代】<天之狹土神>…土=豆知つち
   ⇒【ヅの時代】 <阿王>
【地文】
---上巻---
神名天之狹土神<訓土云豆知 下效此>
故刺左之御"美豆良"湯津津間櫛之男柱一箇取闕而
  纏御美豆羅 而乃 於左右御美豆羅 亦 於御鬘 亦
  乞度天照大御神所纒左御美豆良
  乃於湯津爪櫛取成其童女 而 刺御美豆良
賜名號"意富加牟豆美"命
"和豆良比能宇斯能"神
初於中P随迦豆伎 而
次 "伊豆能賣"神
於向股蹈"那豆美"
"淤美豆奴"神
"布怒豆怒"神
"比比羅"木之其花"麻豆美"神
天"知迦流美豆"比賣
"彌豆麻岐"神
---中巻---
① 宇豆毘古
⑧ 宇豆比古之妹
⑨ 建豐"波豆羅和氣"王
⑩ 故號其地 謂伊杼美<今謂伊豆美也>
⑪ 「汝所堅之"美豆能"小佩者誰解」
⑫ [歌24]
  「"阿豆麻波夜"」故號其國謂阿豆麻也
  [歌31]
  即 匍匐廻其地之"那豆岐"田 而
  [歌35][歌36]
  又入其海鹽 而 "那豆美"行時
  [歌37]
⑭ 爾 自頂髮中採出設弦<一名云 宇佐由豆留>
  [歌39][歌41]
⑮ [歌42][歌43][歌44][歌45][歌52]
  <此者伊豆志之八前大神也>
    故茲神之女 名伊豆志袁登賣神坐也 故八十神 雖欲得是伊豆志袁登賣
    ・・・爲"宇禮豆玖"云 爾・・・不償其宇禮豆玖之物
    ・・・乃取其伊豆志河之河嶋節竹而
---下巻---
⑯ [歌53][歌57][歌59][歌60][歌75]
⑲ [歌79][歌85][歌88]<此云山多豆者 是今造木者也>[歌89]
㉑ [歌91]
  即幸阿岐豆野 而 御猟之時 <訓蜻蛉云阿岐豆>
   [歌97]故自其時 號其野 謂阿岐豆野也
  [歌100][歌102][歌104]
㉓ [歌112]
㉖ 阿豆王

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